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出産した友達に会うのが怖い


以前からたまに記事にも書いているが、わたしの周りは妊娠or出産ラッシュが続いている。

毎月のように誰かしらから「妊娠しました!」or「出産しました!」という連絡があり、
わたしはいまのところ子どもを産む予定がないけど、そういった連絡には「おめでとう」と言うし、心からそう思ってもいる。



だけど戸惑うのは「妊娠or出産しました!近々会おうよ!」という連絡。



おめでとうと思う。
妊娠や出産した友達にも、その赤ちゃんにも会いたいと思う。

だけど怖いのだ。
妊娠中、もしくは出産した友達に会うのが怖い。



その子のことを嫌いになったわけじゃない。
妬んだり、ひがんだりしてるわけでもない。
むしろ好きだし会いたいと思うのに
会うのが怖い。
怖いから会いたくない。
なんでだろう。

わたしは仲良くなる人や好きになる人を
独身だからとか、結婚してるからとか、子どもの有無とかで判断したくないと思ってる。
これまでもそんな風に人を選んだことはなかったし、わたしは子なしだから、子ありの友達お断り!なんて思ったこともない。

なのにまさか、子ありの友達お断り!なんて思うようになってしまったのだろうか。
そんな風に人をカテゴライズして、心を開いたり開かなかったりするの?
わたしはそんな人間になってしまったの?
原因がわからず困惑した。




だけど最近わかってきた。
なんで子どものいる友達に会うのが怖いのか。


それは、子どもに対する自分の想いや考えを話さないといけなくなるからだ。
わたしはそれが、すごく怖い。




顔を合わせて「妊娠したよ〜」or「出産したよ〜」と報告を受けたら、だいたい子どもの話になる。
その流れで「mimiは子どもどうするの?」ということもやっぱり聞かれる。
ここまで直接的ではないにしろ、やんわりとそれらしいことを。
わたしは現在結婚して2ヶ月の新婚ということもあり、まあそりゃ聞かれるよね、と思う。
親しい友達なら聞いてみたくもなるし、話の流れとしても自然なことだと思う。


だけどわたしはこの質問にうまくこたえられる自信がない。


noteには子どもを持たないと決めたこと、
夫婦二人で生きていくことなどを
これまでたくさん綴ってきた。
そしてそれでも夫と楽しく幸せに暮らしていることも。

※子どもを持たないと決めたときの記事はこちら


わたしたちが子どもを持たないと決めたのは
100%夫の気持ちによるものである。

正直わたしはいまでも子どもはいたらいいな、と思っているし、夫が欲しいと言ってくれるなら産みたいと思ってる。


だけどいまのところ夫の考えが変わることはなさそうなので、これからも夫婦二人で暮らしていく予定だ。でもそれでいいと思ってる。

夫が子どもを持ちたくないというのは結婚前に聞いていたし、それでも夫を選んだのはわたしなので文句も泣き言も言うつもりはない。

それに何より、子どもの有無なんてどうでも良くなるくらいにわたしは夫が大好きだし
子どもを持ちたいのではなく、夫が好きで一緒にいたくて結婚したのだから。

夫といると楽しい。幸せだと毎日感じてる。
子どもは授かれたらうれしいけど、いまのままでもきっとわたしたちは二人で幸せに暮らしていける。




noteではそれが伝えられている気がするけど、
いかんせんわたしは喋るのが得意ではないので、面と向かって話したときにこういった事情を上手く話せるかわからない。

上手く話せなかった結果、変な風に伝わってしまうのが怖い。


子どものいる友達にこんな事情を話したときに

mimiは子どもを持ちたいのに可哀想。
そんな旦那さんと結婚しちゃって気の毒だね。
夫婦二人でいいって言ってるけど、本当に?
強がってるだけなんじゃないの?
うちは夫が子どもを持ちたい人でよかった。

などと思われるのが
そんな風に受け取られてしまうことが
たまらなく嫌だし怖いのだ。



こんなの被害妄想かもしれない。
だけど人の心の中まではわからないもの。


こういった繊細な話題では、
わたしの伝え方だってかなり重要になる。
言葉の選び方、声のトーン、表情…
伝え方によっては同情されたり、求めてもないのにアドバイスとかされてしまうかもしれない。


noteでは何度だって編集できるし、場合によっては記事を葬り去ってなかったことにもできちゃうけど、言ってしまった言葉はそう簡単に取り消せない。
帰ってから『あの言葉、ちがう意味に捉えられちゃったかな〜。ああ…なんか言わなきゃよかった…』なんて思ったってもう遅い。



わたしと会って話を聞いた人がどう受け取るかなんてその人の自由。
だけど変な風に伝わってしまった結果、
わたしが可哀想とか、本当は子どもがいる人がうらやましいんでしょ?とか思われたり、夫を悪く思われてしまうことだけは絶対にいやだ。
避けたい。

それに自分が傷つくだけでなく
わたしの間違った伝え方や言葉を受け取ってしまった相手が傷ついてしまう可能性だって充分にあるのだ。

子どもを持たないと宣言することは、捉え方によっては子どもを持つことを否定された気持ちにだってなるかもしれない。
そういった誤解を招いたり、自分や相手が傷つくことが、わたしはたまらなく怖いのだ。


本当は会いたいけど、自分や相手が傷つくことが怖いから。
だから会いたくない。

わたしはこんな繊細な話題に対して
上手に言葉を届けられるぞ!なんて思えるほど自分の語彙力に自信はないし
あの子ならそんなこと思わないはず!こう思ってくれるはず!
と思えるほど、相手に期待もしていない。


実はこの記事を書いたのは、ちょうど出産した友達から連絡があったから。

「久しぶり!育児が落ち着いてきたので、赤ちゃん見に来て〜!」と。

だけど通知が見えて、咄嗟に『あ、どうしよう』と思い、しばらく既読をつけられなかった。

友達にも赤ちゃんにも会いたい。
話したいこともある。
だけど会ったら、きっと子どもを持つか持たないかなど聞かれるだろう。
そのときにどう伝える?
間違った伝え方をして夫が悪者になったら、
わたしが子どものいる人を否定してるように捉えられてしまったら…

そんなことをぐるぐる考えてしまい、どうしようどうしようと不安になった。
会うのが楽しみよりも怖かった。

でもこんなこと、考えてたって仕方なくて結局杞憂に終わるのかもしれない。
それは人にもよるのだろうし、結局のところ会ってみないとわからない。

『あの子に会いたい』
その気持ちがあるなら、うまく伝えられるかどうかとか、その子がどう思うかはともかく、会いたいと思った。
だから返信した。

「久しぶり!会いに行きたい!
この時期なら空いてるよ!」


まだ返信はないけど、きっと近々、わたしはあの子に会いに行くだろう。


そのときどうか、わたしもあの子も傷つくことなく、これからもずっと友達でいられますように。

どんな選択をしようと、お互いがお互いの選択を尊重しながら年を重ねていけますように。


そう思っていたら、その気持ちはきっとあの子に届くはず。
そう思ってしまうのは相手に期待しすぎだろうか。

それでもどうか、なるべくは誰も傷つかないやさしい世界であってほしい。
世界中なんて無理だけど、せめてわたしと、わたしの周りにいる人たちは。
そう願ってしまうのだ。




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