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冬季鬱と愛着障害



ついこの間まで寒暖差が…などと言っていたのにもうすっかり冬が到来した。
毎年恒例のこの時期がやってきてしまった。

冬季鬱

わたしの場合、年がら年中双極性障害の影響で情緒がジェットコースターのようであるけれど、
この時期の鬱は厄介極まりない。とても。

昔と比べるとかなり自分の情緒や感情をうまくコントロールできるようになり、飲み込まれることも減った。

なかなかに苦行を強いられたが、今となっては必要な経験だったと飲み込んでいる。

と同時に何事もポジティブに変換してしまう自分に時々びっくりもする。

年がら年中ジェットコースター状態と言えど、自分なりの発散の仕方や自分の楽しませ方も徐々に体得してきた。

◆音楽鑑賞(クラシックは心身ともに浄化してくれる)
◆自然の中で過ごすこと(軽い登山やピクニック、片田舎でのドライブ etc…)
◆芸術鑑賞(美術館等企画展で絵画を鑑賞し、当時の人々の生活や価値観を想像し耽る)
◆知らない土地でのお散歩
◆人と会って他愛のない会話をすること

これらを以て今期の冬季鬱も乗り越える覚悟ではあるが、
最近、身の回りで目まぐるしい変化が起きたことによって冬開始早々に既に鬱に引っ張られてきてしまっている…

まず、人と会っていない。

下半期に転職をし、新たな環境に身を置いているのだが、
なんせ仕事関係で関わる人とはプライベートをさらけ出すほど仲良くなれないたちなので、
職場では業務にかかわる会話しかしない。
(本当は公私ともに関われる関係性を築きたいけど疲れちゃう…)

帰宅後はパートナーとたくさん会話をするが、やはり1人の人とだけでは心の中で偏りがでてきてしまう。

もちろん、友人たちと定期的に会って食事をしながら近況報告や最近の様々な情勢()について語り合う機会も設けるようにはしている。

だけど、拭いきれない虚無感や孤独感に苛まれる時間がある。

なぜだろう?

自分の満たし方も年を重ねるごとに段々と体得し、数やバリエーションも増えてきた。

友人の数は、決して多くはないが(深く狭く主義なので)、みんなわたしに何かあると自分事のように考え、一緒に頭を悩ませてくれる。

嬉しい出来事があると大げさなまでに喜んでくれる。

つまずきそうなときは、諭すように慰め、多くは語らずそっと支えてくれる。

そんな素敵な友人たちやどんな時でも味方でいてくれるパートナーに恵まれているのに何が不満なのだろう。

どうして満たされないと思ってしまう瞬間があるのだろう。



遡って考えてみると、家族との関係性という結果に行き着いた。

やはり、愛着の問題は人格形成や成人後の対人関係にも大きな影響をもたらす。

わたしの家庭は少し複雑でお互いを思い遣るような仲の良い家族ではない。
そのような家庭で生まれ育ったわたしは、大人になった今でも引きずるものがある。

周りに「過去は変えられないけれど、自分次第で未来は変えられるよ」と言われたことがある。

そんなことは頭では分かっている。
身体にも分からせるためにこれまで人には見えないところで多くの時間と精神を消耗してきた。

だけど、そんなに簡単には変われなかった。

もちろん、すべてが無駄だとは思ってはおらず、変われた部分もいくつもあると思う。

ただ、この苦しみからはきっと死ぬまで解放されないのだろうと俯瞰して自身の人生を見るようになってしまった。

こんなに悲しいことはない。


それに、両親には、学習面や経済的な部分でかなり援助してもらえた方だとは思う。
申し分のない学歴と学ぶことへの意義を与えてもらえた。

また、その環境を過ごす過程で出会えた素敵な縁にも感謝をしている。



そんな両親に対して高望みなのかもしれないが、社会へ出た時に恥じない教育や独りでも生きていける力を授かるより、
わたしは真っ向から受ける無条件の愛情が欲しかった。

自分の存在や行動を常に肯定し、支えてくれる家族が欲しかった。


そんなことに気づいてしまい、わたしは急にないものねだりを始めてしまった。

頭の片隅では、「自分以外にも同じような境遇の人はいる」「もっと辛い幼少期を過ごした人だっている」と念じ、自分がいかに恵まれている方であると思い込もうとした時期もあった。

だけど、前述したとおり人はそんなに簡単に変われない。

幼少期から抱く思考はとても根強く、改めるには本当に想像を絶するほどの労力と時間が必要となる。

今に至るまで疲れてしまい、自ら命を絶とうと何度も考えて実行しようとしてきた。

それでもできなかったのは、現世にまだ未練があるらしく小さな奇跡を見てみたいと思うようになったからだった。

素敵な友人たちやパートナーに出会えたのもこの時期だった。


何者かによって生かされているのではないかと思ったこともある。
少しスピリチュアルな話になるが、そう思わされた出来事は、1度や2度ではない。

そんなこんなで今も生きている。

日々、些細な出来事や予測不能なタイミングで急降下することもあるが、すこ~しずつ生きることが上達してきた気がする。

このNOTEを書いていてなんだかすっきりしてきた。

自身の想いを言語化することは頭の中の整理にもつながるし、なにより意思確認になる。

わたしはいつか自分と同じような境遇や近しい経験をした人たちの心の傷を少しでも癒せる存在になりたい。

それは、心理カウンセラーであるのかどういった形かは定まっていないが…

こんなわたしでもそんな野望がある。
せっかくもらった命を誰かのために使いたい。
最近は、そんなことばかり考えている。

今回も長々とまとまりのない文を書いてしまったが、もしここまで読んでくれた人がいたら
特大LOVEと幸せを感じられるよう念を送ります<3

年末にかけてまたさらに環境が変わる予定だけど、なんとか踏ん張って乗り越えて、生きていてよかったと思える瞬間を少しでも感じたい。



—— mimi

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