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人工失楽園BARからこんばんは。

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人工楽園が失われた2020年の日本にオープンした思考酩酊空間。
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2020年8月の記事一覧

ある古美術商への飛び込み営業で本当にあった怖い話

ある古美術商への飛び込み営業で本当にあった怖い話

8月の終わりなので怪談噺でも一つ、と思ったのだが、じつを言うとこわい思いというのをあまりしたことがない。

生まれつき霊感がまったくなく、そのわりに中学校まではひどく怖がりだったのだが、高校のときにふと「これまで一度も幽霊の気配すら感じたことがないということは、いるいないは別にして俺には霊感がない。それなのに、『いそうな感じ』を怖がる意味とは……?」と考えてすっかり恐怖心というものと疎遠になってし

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タイトル公募断篇小説「夕立そうめん」

タイトル公募断篇小説「夕立そうめん」

先日、断篇小説のタイトルとして使える「夏の終わりに食べたくなる存在しない食べ物」をTwitter上で公募しました。
その結果、たくさんの素敵なタイトルが寄せられました。そのなかで、とくにシンプルでピンときた「夕立そうめん」を使わせていただき、小説を書いてみようと思います。では以下が本編となります。どうぞ。
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 夕立そうめん  2003年の夏の終わりのことを久志は強烈に

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小説に向かなそうなタイトルで小説を書いてみよう

小説に向かなそうなタイトルで小説を書いてみよう

こんばんは。じつは今日、ふと思い立って、夕方にツイッターで以下のような募集をしたのでした。

急募】即興企画で「小説に向かなそうなタイトル」を募集します。採用タイトルは1つ。#小説に向かなそうなタイトル、で呟いてください。採用ツイートのみRTします。夜の九時くらいまでで締め切り、そこから決めて12時までにnoteにアップします。

本当は2,3件集まればいいかなと思っていたのだけれど、思いのほかた

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短篇小説「抱擁」④

短篇小説「抱擁」④

 「私は反対だね。死者のことをどう思うかは生きている者が勝手に決めればいいじゃない? なにもお父さんの半生を今さら探ることないと思うね」

 私がナオミの自宅で雨村治夫という男の人となりや、彼からの依頼について話すと、ナオミは煙草をすぱすぱと吐き出しながら言った。

「第一に、その雨男にはもう会わないほうがいいよ。今日も雨だし。そいつのせいかも」

 ナオミはまんざらジョークでもなさそうな様子で眉

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短篇小説「抱擁」③

短篇小説「抱擁」③

 雨村治夫は私の知る男のなかでも最低の部類だった。喜怒哀楽の怒りばかりがたんこぶみたいに突出しており、不出来な阿修羅を思わせた。かつて娼館にいた頃に私をやたらぶった男がいたが、雨村なら私を殺す寸前まで痛めつけたにちがいない。この男はそういうタイプにみえた。

 彼は警官に「俺の娘を……ハルカを道連れにした男に家族はいるのかよ?」と尋ねた。警官は一瞬私の顔を見たが、沈黙を保った。私はすでにその時には

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短篇小説「抱擁」②

短篇小説「抱擁」②

 話を父が船に乗って消えた日に戻そう。
 あれから私がどんなふうに過ごしたか。一人の人間の不在を補うことは罅割れた容器を修復するみたいに簡単にはいかない。私以上に大きく取り乱したのは母だった。母は一人で帰ってきた私を責めた。なぜ父を止めなかったのか、と。それから店長も私を責めた。明日から自分の代わりに馬車馬のように働く人間がいなくなったからだ。

 私の口からは甘いキャンディーの匂いがしていた。母

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短篇小説「抱擁」①

短篇小説「抱擁」①

 雨の日に生まれた。誰に聞いたわけでもない。私がそう決めたのだ。名前のない街で、雑貨店の地下にあるソファでへその緒を切られ、そのままそこが私の寝床となった。
 
 雑貨店は父の職場で、そこは店長の好意で父母に与えられた部屋だった。私は何も知らぬ間に店長の恩恵にあずかった永遠のエトランジェだった。 

 台風の夜になると、ソファは水浸しになるので、母は一晩中私を抱きかかえていなければならなかった。そ

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