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旅路の根源

 一度門をくぐったガデアが再び坂を下りてきたのは、十数分後。ノイのことを知るものはいなかったそうだが、客人としてもてなすことを伝えられる。
 ガデアと共に坂を登り門にたどり着く頃には、周囲の鬱蒼と茂る木々にも負けないほど密集していた人々は、いつの間にか姿を消していた。
 木製の巨大な門が、ギシギシと苦しそうな音を立てながらゆっくりと開く。その先に広がる光景に、レガは感嘆の声を漏らした。
「凄い。ヤマにはこんなに人がいたんだ」
 木材を器用に組み合わせてつくられた家屋が、山の頂に向けてジクザクに繋がる斜路の両側に立ち並び、そのほとんどは商いを営んでいるらしかった。果実をはじめとした食べ物や、レガにはどうやって使うのかもわからない様々な道具類が並べられた店頭では、店主と客が会話を交わしている場面も見受けられる。その家々は見渡す限り途切れることがない。
「ここも、街なんだね」
 以前のレガであれば、この道には終わりが無いと考えていたかもしれない。しかしレガは知識として世界の広がりを学んだ。そして今、レガは五感の用いて真に理解した。世界は広い。
「見ろよあれ、見たことない生き物がいるぞ! タカダガに似てるけど髭が生えてねえ!」
 レガの興奮に同調したピーシャルが、二人分の声を張り上げる。大きく開かれた瞳は、夜の帳を打ち払う太陽にも匹敵するほどに輝いている。
「見えてるよP・P。あれはウマじゃ無かったっけ? ノイさんが教えてくれたろ?」
 数歩進むごとに何かしらに目を奪われるピーシャルを、レガが咎めることは無い。彼の気持ちが痛いほどわかるレガもまた、遊覧する視覚を、誘われる嗅覚を、迷走する聴覚を、歩行に支障がない範囲で自由にさせていた。
「ブリンゴ、二人が迷子にならないように見ててやるんだよ」
「はいよ。……でもお頭、ああしてるとレガのやつ、まるでお頭の弟さんみたいですね」
 ノイは言葉を返すことは無かったが、口元に微かな笑みを携えた。一行を案内するのだと共に歩くガデア越しに見る景色に、少しずつ近づく故郷を重ねて。
 奔放に歩き回るレガとピーシャル、そんな彼らを見守るように付き従うブリンゴら三人から離れ、ノイとガデアは更に高みへと進んだ。所々現れる起伏が左右に揺れる道を天地にも波打たせ、少し行っただけでその姿は見えなくなる。
「つきました」
 そう言ってガデアが立ち止まった先には、周囲の建物と比べていくらか古ぼけた様子の小屋が、好々爺のように建っていた。
「昔は来賓を迎える際に使われていました。多少手狭かと思われますが、ご容赦いただければと思います」
「いや、助かるよ」
 頭を軽く垂らしながら、ノイは瞳を目一杯動かして周囲の様子を見やる。視界の端に映る者らは、一見すると普段通りに振舞っているようだったが、あまりにも自然に見える人々の動きが、むしろどこか不自然なものに感じられていた。
「ささやかではありますが宴席もご用意いたします。準備が整うまでどうかお寛ぎください」
 ガデアの視線が自分へと向かったことを感じ、視線を素早く正面へ集め、顔を上げる。ガデアは特に気にしてもいないようだった。
「よしてくれよ。あたしらの方こそ、やっと野宿から抜け出せてありがたい限りなんだ。そこまでしてくれなくていいよ」
「いえ、そういう訳には……」
 問答は数度の交わされ、結局ノイが折れた。行程が決まると、その居心地の悪さだけがノイを包み込む。その問答の垣間にガデアの積み重ねて年月が見えた気がしたノイは、そこに自分の数倍もの重みを見た。
「あんたさ……」
 口を開きながら瞬きを数度。その眼前に当然のように立っていたのは、自分の胸のあたりまでしか背丈の無い少女の姿。言葉を続けようとして、言葉を終わらせる。
「いや、なんでもない。ありがたくもてなしていただくよ」
「ええ、そうしてください」
 軽く頭を下げながらガデアが作り出した微笑は、絵画か人形のようだった。

 いつの間にか、辺りに人が増えてきている。それも、ノイの周囲を固めるように。ノイが敏感にその空気に気が付き、ガデアもまた、ノイの意識が拡散したことを感じ取った。
「それでは、私は宴の準備をして参りますね」
 そう言い残したガデアは来た道を引き返す、その姿がほどなくして道の起伏に飲み込まれると、遠巻きにノイを囲んでいた気配もまばらに散ってゆく。後に残ったのはノイと、古びた木組みの小屋が一つ。
「邪魔するよ」
 まるで昔馴染みの家を訪れた時のような穏やかさを携えて、ノイがその敷居を跨ぐ。抱えた荷物を適当に隅へ放ると、小屋の中心で頑強に塞がれた天を仰いだ。
「さて、気合を入れないとね」
 それは驚くほど自然にノイの口から出てきて、そのことにノイは驚愕した。自らを鼓舞するなんてどれくらいぶりだろう。
 叶うはずがないと諦めたこともあった希望が、少しずつ輪郭を型取り始めている。手中に収めるまでは息を抜くことはできないと、緩みかけた糸を再びピンと張った。

 レガたち三人が小屋へ着いたのは、太陽が足元の荒野を照らすことに飽き、しばしの暇を味わいだした頃。
 疑うことを知らぬ赤ん坊のような瞳を輝かせて、ノイに向かって自らが今しがた見てきたものを語るレガとピーシャル。その騒々しさの陰に、傍について回っていたブリンゴの疲れ切った様子を見つけ、その姿に彼の苦労を感じ取ったノイは、二人の騒がしい声にかき消されない声量で労った。
「ご苦労だったね、疲れたろう」
 ブリンゴは乾いた汗が結晶となっている額を指先でこすりながら、弱々しい言葉を漏らした。
「疲れたどころじゃないですよお頭、あいつら、ほとんど休まず走りっぱなしで、ついていくのに精一杯。俺のことなんて最後まで気づかずに散々ここらを駆け回った挙句、そろそろ行くぞと声をかけたら「来てたんだブリンゴ」ですよ」
 ブリンゴが必死に訴えている間も、レガたちの興奮は留まるところを知らなかった。「表面に蜜を纏った樹木」や、その蜜を吸いに集まる「横方向に伸びた嘴を持った鳥類」「岩のように固い殻をした握り拳状の種子を無数に内包し、外敵が近づくとそれを四方に弾き出す植物」など、いくら語っても語り尽くせないといった様子で、放っておけば一日中帰ってこなかっただろうとノイは考えた。
 同時に、彼らが街の外にそれほどの魅力を感じてくれたかと思うと、つい嬉しくなったノイは、ついブリンゴに向かって微笑み声をかけた。
「それは疲れたろう。私の腰巻をそこに敷いてあるから、少し横になっておきな」
 まさかノイからそんな言葉を聞くとは思っていなかったブリンゴは、驚きのあまり口をパクパクさせ、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「お頭がそんなこと言うなんて……。お頭こそゆっくり休んでくださいよ」
 ブリンゴが手ぶりでノイに転ぶよう勧める。
「いいから寝てな」
 ノイが振るった照れ隠しのような拳、その甲の部分が見事ブリンゴの眉間を捉える。
 ブリンゴは声をたてぬままその場に倒れ込むと、そのまま眠った。
 その体の上にノイがそっと腰巻をかけてやると、粗い布切れの感触に包まれたブリンゴは、夢と呼ぶにはあまりにも過去に忠実な、記憶の海の中央にすらりと伸びる、光の屈折によって生まれたような道を一人辿るように夢を見た。
 
「ブリンゴ! なあブリンゴ、早く来いよ!」
 石を積み上げてつくられた建造物が、その存在感を示すように街に影を落としている。日が昇ったことを伝える鐘の鈍く広がる音の波間を縫って、飽きるほど耳にしてきた無邪気な声が耳に届く。はじめは遠くからぼんやりと聞こえていたその声は、二度ほど息を吸って吐いている間に耳元を襲った。
「ブリンゴって! 起きろよ!」
 声の主が体をゆするのを感じ、ブリンゴは休息の終わりに諦めをつける。唸るように返事をしながら体を起こすと、いつも通り腰元に銅剣がぶら下がっているのを確認する。
「ビーノ。お姉さんは?」
 目の前に佇む少年の髪を軽く撫でてやりながら、ブリンゴが静かな声で尋ねる。
「お姉ちゃんはまたどこか行っちゃった、最近全然遊んでくれないんだ。だからブリンゴが遊んでよ」
 はちきれんばかりのエネルギーをどこかへ放出したくてたまらないといった様子の少年は、自らの要望が通るものだと信じてやまないようだった。その透き通るような瞳を正面から見返して、断りを入れる。
「悪い、俺も行かなくちゃならないんだ。また遊んでやるから」
 そう言って髪の上で転がした手のひらが、不信さを内包した、遠慮がちでありながらも力強い指に捕らえられる。
「ほんとに?」
 自らを見つめる無垢な瞳から逃れるように言葉を返そうとしたところで、少年の姿は闇に溶けていく。いつの間にか、思い思いに成長を比べ合う草木たちが、辺り一面に広がっていた。
 視界にはビーノと親しげに話す女性の姿が映る。優しそうな微笑みと金色の長髪を携えるのは、今よりも随分と若いノイの姿。
「ねえ、お姉ちゃん。こうすると心の奥の方から綺麗になる気がするんだよ、知ってる?」
 ビーノはそう言って天を仰ぐと、深く、ゆっくりとした呼吸を何度か繰り返す。年端もいかない少年の滑稽なその姿を、ブリンゴは親愛の心で見守っていた。
「いいこと知ってるじゃないの。どこで知ったの?」
 両の手のひらでビーノの頬を包み込み、膝をついて目線を合わせる。ノイのビーノに対する愛しさは、辺りの小鳥が思わずさえずりで彩るほどで、そんな姉弟の成長を傍で感じられることに、幸福を感じていた。
「遥か彼方の空には、この世界のなんでも知ってる人がいるんだって。そう信じてる人たちの物語を、書庫で読んだんだ」
 ビーノは「もちろん、おとぎ話だってわかってるよ」と得意気に語ると、早く褒めてくれと言わんばかりに目を輝かせる。計ったように強くなった陽の光が、二人を優しく包んでいた。

 自らが仕える一家の、心優しい姉と弟。その二人が笑いあう光景を眺めていたはずのブリンゴは、四肢を放り投げるようにぐったりとしたビーノを腕に抱きながら、息を切らして走っていた。
「ビーノ! 聞こえるか! もう少しだからな、俺が絶対に姉ちゃんと会わせてやるからな!」
 ほとんど目の開いていない少年の体を貫くように、ブリンゴは声をかけ続ける。背後から迫る大勢の男たちの怒声と、獣の駆ける足音が限界に近いはずのブリンゴの足を、止めることを許さない。
「ビーノ俺はなあ。お前のところに拾ってもらうまで、獣の糞のような生活をしてたんだ。生きていようがいまいが何の影響もない。わかるか?」
 聞こえていないことを承知の上でか、荒い呼吸の切れ間に言葉を懸命に放り込む。
「お前の父さんは立派な人だよ、間違いねえ」
 声をかけるブリンゴの引きちぎれんばかりに動く四肢とは対照的に、ビーノの手足はピクリとも動かない。それでもブリンゴは構うことなく言葉を続ける。
「俺に任せとけ、大丈夫だ」
 足音が近くなってくる。弾幕にも似た蹄の音がブリンゴの聴覚を覆った頃、景色はまたもぷつりと途切れ、飛翔した先には生気を失った顔をしたノイがいた。

「……ノイ」
 絞り出すようなブリンゴの声は、恐らくノイの耳に届いている。しかし、ノイは何の反応も示さないどころか、呆けた様子でただ一点を見つめていた。誰が見てももう動かないことがわかる、最愛の弟が横たわる地面を。
 遠くの方では、相も変わらずけたたましい怒声と、それに伴って拡大していく火の手。追手がいつ迫ってくるかもわからない状況であるにも関わらず、ノイはその場を離れようともせず、ブリンゴもまた、そんなノイをどうすることも無かった。
 辺り一帯を治めていたノイの父親サム・フック。人々に対して圧政を強いることのなかった彼は、権力者に敵を作りすぎていた。
 フック家に次ぐ地域の名家であったランス家は、自らの近衛兵から盗賊に至るまで、密かに蓄えていた武力を一挙に振りかざすと、瞬く間にフック家の屋敷を奪取し、中にいた者をすべて殺害。外に遊びに出ていたノイとビーノ、目付け役のブリンゴを除いては、屋敷の外から逃げ出すことも叶わなかった。
 森の異変を感じ取り、辺りに住む鳥たちが慌ただしく空を飛ぶ。フック家の血を根絶やしにしようと迫る乱暴な音が、すぐそばまで近づいていた。
「いたぞ! 生き残りだ!」
 木々の陰から一人が現れると、それに続くようにして数が増大する。愉悦、快楽、恍惚。その表情には、一つとして崇高な意志などない。
「ノイ! 行くぞ、走れ!」
 ブリンゴはノイの手を強く引くが、ノイの体はビーノの下へ向かおうと抵抗する。その重みを無に帰すほどの強さで、ブリンゴは重ねて腕を引いた。
「ブリンゴ! ビーノがまだっ」
 叫んだノイの頬をブリンゴの平手が捉える。その唐突な一撃がノイの様々な感情を一斉に作動させたかと思うと、とめどなく涙を両の目から流したまま、ブリンゴに従って足を動かした。

「ノイ。いきなり打ったりしてすまなかったな」
 行く当てもなく彷徨う最中、ブリンゴが振り返り声をかける。言葉を返すノイは、震えの止まらない唇を引き絞っていた。
「いえ、ありがとう、助かったわ」
 誰の目に見ても明らかに無理をしながら、ノイは笑顔を形作った。きつく結んだ口元には血が滲み、目の奥は復讐心に染まりながらも、表情全体では「喜」を表すように。
「あなたも痛かったでしょう。ごめんなさいね」
「いや、私は……」
「でもおかげさまで、自分は今ここにいるのだと信じられた。あなたが傍にいるということを感じられた。この痛みは、私がまだ生きることを肯定してくれる」
 二人はいつの間にか足を止めていた。黙ったままのブリンゴの下へ、ノイが一歩ずつ近づいていく。
「ねえブリンゴ」
「どうした?」
「あなたもこの痛みを忘れないでね」
 そう言うとノイは右手を大きく振りかぶり、ブリンゴ目掛けて勢いよく振るった。
 
 ブリンゴは自らが直に目覚めることを感じ取っていた。少しずつ明確になる意識の端々で、過去への後悔に唇を噛む。深く沈んだ暗闇に差した光を辿った先には、短くなった朱色混じりの金の髪を振り乱す、盗賊団頭領としてのノイがいた。
 気が遠くなるほどの距離を、二人はひたすらに塵が集まる方へと走った。目指したのは、死への恐れを知らない「塵の街」
 ランス家のすべてに対する復讐の人手を集めること。いつか想いが成し遂げられるなら、それまでに何人の命を犠牲にしても構わない。そう決めた二人にとって、その街は最適だった。
 盗賊団を名乗り街のはぐれ者を集めながら、団員の壁の外に対する思いを徐々に募らせる。戦闘訓練を兼ねて戦争に参加した時には、得た報酬を懐に蓄えるなど、悲願達成の道を歩む歩幅は、少しずつ、確実に大きくなっていた。
 唯一の誤算は、レガ・ビークが、彼女の前に姿を現したこと。復讐心の根源ともいうべき弟、ビーノの死。そんなビーノにそっくりな姿をしたレガに出会ったことが、閉じ込めていた感情の蓋を取り払うのに、そう時間はかからなかった。

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