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身投げの塔

 西地区の英雄トロスの活躍は、瞬く間に街中に広がった。勝利した西地区の広場では、ささやかな祝宴が開かれていた。
「トロス万歳! 西地区万歳!」
「今年の報酬はなんだろう。去年は食べ物と衣類だったな」
「なんだっていい、生活が楽になることは違いないんだ」
「俺の活躍見たか? 今回の勝利は俺のおかげと言っても過言じゃないね」
 滅多に飲むことのない酒もふるまわれ、思い思いに騒ぐ人々。その中にはトロスの姿もあった。
 騒ぐわけでも無く、一人離れたところで酒を煽るトロス。その胸中には、ドゥアンの亡骸と共に森へと消えていった、ノイ達の姿が焼き付いていた。
「ようトロス、今日の主役だろ? もっとこっち来いよ。皆お前の話を聞きたがってるぜ」
「パーシル……」
 パーシルに手を引かれ、酔いの深い席へと近づいてゆく。トロスの名を叫び騒ぐものたちが、彼の登場にさらに湧いた。
「おお、トロス。活躍ぶりは皆に聞いたぞ、さすがは西地区の英雄だな」
 豊満な腹を揺らしながら、トレンコが彼に歩み寄る。
「地区長……」
 どこか沈んだ様子のトロス、その気持ちを汲むものは浮かれた広場には一人もいない。
 数日は続くかと思われた戦争が一日で終わり、直に日が沈み始める。
 街には、東と西で大きく異なる夜が更けていった。

「それで⁉ ひと月も続いた戦いをどうやって終わらせたの?」
 一夜間続いた宴を終え、家族の待つ家へと帰ったトロスは、眠る隙も無くレガからの質問攻めにあっていた。十五歳だった頃の初陣から事細かに話し続け、二十年分を話し終えようかと言う頃には、太陽は既に真上を通過していた。今日はいつにも増して塵が濃い。
「レガ、ここらで一度お昼にしよう。母さんを呼んできておくれ」
「わかった! ご飯食べたらまた話してね!」
 激しく目を輝かせるレガ。トロスはそんな息子の表情を見たことが無かった。けれどもトロスには行くべきところがあった。
「レガ、父さんはこれから行くところがあるんだ。また今度話してやるから、今日は母さんの手伝いをしていなさい。きっと忙しくなるはずだ」
「絶対だよ、約束してね!」
「ああ、約束だ」
 トロスはそのまま家を出ると、厩舎から一頭のタカダガを連れてくる。茶色の毛をしたそのタカダガは、ビーク家が飼っているものの中でいちばん年老いていた。
 荷台を牽かせると、地区長の館がある街の方へタカダガを走らせる。レガはというと、さっき父から聞いた話を、昼食を食べながら母親のジェラに話してやっていた。
 その日のビーク家の昼食は、豆を煮たスープに小麦で作ったパン。夕食時にはこれに肉や魚が付くこともあった。
 朝はスープのみで済ませることも多いが、一日三食を食べることが出来るだけ、ビーク家は周囲と比べて裕福であった。
「ほら、早く食べな」
 ジェラが木でできた器に、よく煮込んだスープを注ぐ。レガは自分と母親の食器を台所に持ってくると、それをテーブルに並べ、鉄の食器がこすれ合い、食卓がにわかに騒がしくなった。
「今日は忙しくなるよ。街のあちこちからタカダガを借りに来るからね。食べ終えたら、一頭残らず荷台を括りつけてやっておくれ」
 タカダガを所有している家は多くなかった。そのため、地区長の家へ報酬を受け取りに行く際には、ほとんどの者がタカダガを借りるため、ビーク家を訪れる。
「任せといて! 早く終わらせたら、またお父さんの話をしてあげるよ! 僕、もうすっかり覚えちゃった」
 豆のスープを一心不乱にかき込んだレガは、パンをちぎって口に放り込むと、厩舎へ向かって飛び出していった。
「レガ……。お父さんにたくさん話を聞きな」
 呟くような声は当然レガには届いていない。ジェラはスープを一口すすった。

 トロスは既に地区長から報酬を受け取っていた。その足で向かう先は街の東、東地区の地区長であったドゥアンの家。
 タカダガを放牧するために、草原近くに家を構えるトロスとは違い、街に住む人々の住居は基本的に庭なんて無かった。
 物々交換で流通が成り立っているこの街では、住居と店舗を兼ねている家が多い。唯一の例外が、市街地において大きな庭を構えている地区長の家のみ。トロスはその庭先でドゥアンの妻、コットが出てくるのを待っていた。
「あら、ビークさんじゃないの。どうしたんだい?」
 使用人に手を引かれ、綺麗な身なりをしたコットが庭に出てくる。彼女のひらりとしたスカートを掴むのは、息子のレイヴ・グラ。
 二人の姿を見るや否や、トロスは深々と頭を下げた。
「すまなかった。地区長だったとはいえ、命を絶ったことに申し開きはできない」
 頭を下げるトロス。コットは何も言わぬまま、黙って彼を眺める。
「せめてもの詫びとして、これを置いていかせてはくれないだろうか」
 頭を下げたままのトロスが手で指し示すのは、タカダガの牽く荷台。先ほど受け取ったばかりの報酬が、その上で山を築いていた。
「なぜ?」
「なぜって、それは……」
 どれだけ頭を捻ってみても、トロスの中で納得のいく言葉は出てこなかった。稼ぎ手を亡き者にしたことへの補填、そのために自分は今ここにいるのか。自問するトロスにコットが声をかける。
「ビークさん。いいんです、頭を上げてください。あなたはご自身の役割を果たしただけ、そうでしょう?」
 あくまで穏やかな態度のコットだったが、トロスは頭を垂らしたまま。
「それに、トロスさんが来る前に。既にたくさんの食べ物を頂いたのです、ですから……」
「なんと、いったい誰が……」
 思わず顔を上げたトロスの目に映ったのは、複雑そうな表情をしたコットの顔だった。
「それがね。あの人ったらどこで引っかけて来たのか、若い女性だったのよ。短いけれど、綺麗な髪色をしていたわ」
「そうでしたか……、あの彼の亡骸は」
 コットは首を横に振った。
 トロスはその女性がノイだと確信していた。彼女のことは知っているが、何もわからなかった。
「ですから、いいんですよ。ビークさんの奥さまやお子さんを、ぜひ喜ばせてあげてください。ドゥアン・グラも、きっと壁の向こうでそう言っています」
 コットは街を囲う壁を見上げる。母親の裾を握りしめるレイヴは、どこか呆けた顔をしていた。
「それに、主人はあと数年で身投げを迎えていました」
 トロスの表情がにわかに強張る。ドゥアンはトロスよりも若かった。
「お互い、息子には強く生きて欲しいものですね」
 最後にもう一度頭を下げ、トロスはその場を去った。その姿が見えなくなるまで、コット・グラとレイヴ・グラの二人は庭先に立ち続けた。

 数多の食物と装飾品を積んだ荷台を、草原に佇むわが家へと運ぶ。その道中、ぼうっとしていたトロスは森に迷い込んだ。
 鬱蒼と生い茂る木々の切れ間に、激しく風化した煉瓦でできた小屋があった。カチャカチャとした物音も聞こえてくる。
「誰」
 聞こえてくる声に、トロスは自分の目を疑った。トロスの倍近くは生きているであろう老人が、皴の深く刻まれた瞳で真っすぐに彼を見つめていた。手には銀や鉄でできた鋭利な食器。動く気配はない。
「行け!」
 トロスはタカダガにそう命じた。一目散に帰路を突き進むと、レガがせがむのを振り切って、深く眠りについた。
 泥のように眠ったトロスは、翌日から時を惜しむようにレガと語らった。時に自分の過去の出来事を、時にレガの未来について。

 七日の時が経過した頃。小鳥の囀りに目を覚ましたレガは、垂れた涎を袖口で拭う。布団から這い出ると、悲しみに暮れる母の姿を見た。
 テーブルに座し、顔を伏せる母。押し殺しながらも漏れ出ているのは、すすり泣く声。
「お母さん……?」
 普段見ることの無い母の姿に、寄り添う方法もわからず立ち尽くすレガ。イーブスの劈きが遥か遠くで聞こえる。
 ギッと鳴った床板が息子の起床を知らせる。
振り返ったジェラはレガを固く抱擁した。
「レガ」
「えっ、なに⁉」
「ああレガ。私たちを許しておくれ」
 ジェラはしきりに許しを乞うていた。そんな母の肩を抱いてはみたものの、どうすることもできず、助けを求め父の姿を探す。
 先日の戦争により、ビーク家には数多くの装飾品が届いていた。
 中には非常に価値のあるものもあり、しばらくは食べ物に困ることは無いだろう。そう両親が話していたことが脳裏によぎる。
 泣きつかれた母が声をあげなくなると、レガの頭を優しく撫でた。
「レガ、塔があるのは知っているでしょう?」
 首を縦に振って頷く、ビーク家から真っすぐ東へ行くと、塔と呼ばれるものがあることをレガは知っていた。けれども、近づいてはいけないと言われてきていた。
「そこに行きなさい。お父さんも向かってるわ」
「行っていいの? いつもは駄目って」
「何言ってるの! すぐにでも行きなさい!」
 レガにはわからなかった。何故、母は餌を奪われたタカダガのような目つきをしているのか。それでも、頷いた。

 ジェラがあまりに急かせるものなので、ほとんど何も持たないままレガは駆けていた。
「壁の近くは、森が広がってるから危険だって。近づいちゃだめだって、いつも行ってたのに」
 母の様子がどうもおかしいと、そう父に話そうと思っていた。
 駆けども駆けども、父の姿は見つからない。父を見つけるよりも先にそびえ立つ塔がレガの視界に入る。
「大きい」
 塔の辺りはいつも濃い塵に覆われていて、日によってレガの家からぼんやりと見える程度。まさか塔が街を囲む壁よりも高く、ピタリと貼りつくように立っているとは、レガの想像にはなかった。
 森は確かに広がっていたが、先に進むにつれて色彩を失っていった。塔の足元に辿り着いた頃には、レガ自身も灰色の背景にほとんど溶け込んでいる。
 内部に螺旋状の階段が連続するだけの塔。その表面には傷一つ無い。視認できるギリギリに位置する頂上は、壁に向かって突出している。
 一人分の影がそこに立っていた。一歩、また一歩と前方に影が揺らめいている。
「お父さんだ! おーいお父さん!」
 父の姿を見つけたレガは、麓から大声で呼びかける。影が歩みを止めた。
「レガ! お前は私の……!」
 木枯らしのような風に声はかき消された。トロスの足が再び前へと進む。
「何て言ったの⁉ ねえ、危ない、落ちちゃうよ」
 レガの声はもう届いていなかった。ゆらゆらと進むトロスは、一度も歩みを止めることがない。
 突出した際の際まで進むと、もう一歩踏み出した。
「あっ」
 何も無い空中に足を踏み入れたトロスの体は、当然のように落下し、やがて壁の向こう側に姿を消した。
 ゴッパン。
 壁の外側から乾いた音が鳴る。レガは何が地面に激突した音なのか、きっとわからなかった。

 どれほどの時間、彼はそこに立っていたのだろう。レガの体は、頭の先から足の先まで塵に覆われていた。
 いくら待とうとも父が階段から姿を現すことが無い。
「まだかなあ、お腹が空いてきたよ。まだかなあ」
 ついにその場に座り込んだレガ、その小さな背中から、二つの嚙み合わない足音が聞こえてきた。
「レガ、帰ろう」
 小さな背中はピクリとも動かない。言葉だけがそっと返ってくる。
「帰らないよ、パーシルおじさん。ここでお父さんを待たないと」
「レガ……」
 タカダガに乗ったパーシルは、レガを抱きかかえた。抵抗は全くと言っていいほど無かった。
 森が徐々に色彩を取り戻す。手綱を握るパーシルの背中に、顔を押し付けるレガ。
「ねえ、パーシルおじさん」
「ああ」
「お母さんは家にいるよね?」
「……ああ」
「そっか」
 ビーク家に辿り着くまでの間、二人の会話はそれっきりだった。自らの足音に合わせるように鳴くタカダガの声が、沈みゆく太陽を送り出す。

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