見出し画像

有象無象の世界。

私たちnoterは
noteを読む時間が多いかと思います。
(書くけど読まない…
なんて人もいなくはないか…)

顔を見知らなくても
近い距離感のnoterさんの温度を感じながら
紡がれた記事を読む時間は
私にはとても愛おしい時間です。

稀に、何度記事を読み返しても
〝スキ〟を押せないことがあります。
そんな時は
お互いの肌が合わないのだと思うことで
そっとその場を離れます。

いつだったか、皮肉な言葉で
『noteという場は
有象無象で埋め尽くされている』

などと書かれていて
それを目にした時のことを思い出しました。

有象無象って
「たくさん集まった取るに足らない連中」
というような意味があり
相手を貶している印象があります。

でも、それとは別に
仏教用語でいう有相無相うそうむそう
同じ意味で捉える場合があります。

というよりも
有相無相から転じて有象無象という言葉が
生まれているのですが。

有相無相だと
有相…姿形を持っている存在
無相…その存在の本性

と、捉えるので
その言葉から受ける印象はガラリと変わります。

さて…もう一度戻って
『noteという場は
有象無象で埋め尽くされている』
と書いた人は
どちらの意味で書いたのでしょうね(*´꒳`*)✩.*˚

その時の私が受けた印象では
〝たくさん集まった取るに足らない連中〟
の方だった気がします。

なぜならば
その時の「有象無象」の前後には
相手を尊重するような言葉は見つからず
とても失礼な表現に感じられたからです。

読んだ人が感じる
話のどこかにある共通した空気感は
目に見える言葉の節々に
たしかにあるものです。


その言葉を世に放つ時に
何も考えないで大丈夫ですか?

その言葉を誰かが目にした時に
傷つく恐れはないでしょうか。


もちろん
解釈や心のキャパシティーは人によって違うから
傷つく人がいるともいないとも
言い切れないですが
誰かを慮るための推敲は
自分なりに重ねたいと私は思います。

相手を想う気持ちは
きっと伝わります。
相手を大切にしない気持ちも
きっと伝わります。

有象無象といわれるnoteという場で
有相(私)は無相(形のない気持ち)を書いて
たくさんのことを思い知りました。

それが
くだらないことではないといえるのは
こうして今も真摯に読んでくださる皆さんが
いるからなのでしょうね。

有象無象といわれる世界で
私とあなたが出会って
お互いを大切にしあえることを
とても嬉しく思いますし
有り難いことだと感じています。


やっと春らしくなってきましたね。

noteにも
たくさんのいろんな花が
咲いているかのようです。

noteは花畑のような世界💛✨️

最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

今こんな気分

そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚