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知ることを愛する。

今日は哲学を身近に捉えてもらいたく思い
書いていきます。

明治時代初期、「哲学」という言葉は
西洋哲学者の西周にしあまね によって
英語の「フィロソフィー philosophy」の
訳語として創られました。

フィロソフィーは
ギリシア語「フィロソフィア philosophia」に由来し
〝知恵(ソフィアsophia)〟
〝愛する(フィレインphilein)〟という
意味の言葉なのだそうです。

なんだか詩的な感じがしませんか?(⑉• •⑉)⸝⸝⸝♡︎

「哲学」とは
〝人生・世界、事物の根源のあり方・原理を
理性によって求めようとする学問のことで
経験からつくりあげた人生観〟
という意味合いがあります。
(↑う〜ん、ちょっとカタイですね…)

きっと身構えられてしまうので
私は『哲学が好き』と
なかなか外では言えないのですが
ここでは書いてしまいます(笑)

ひとつの答えがある世界ではないので
表現が難しいのですけれど
だからこそ、考えるということは
喜びに浸ることができるように感じます。

もしかして、noterの皆さんは
哲学的思考の方が多いかもしれません。
だからこそ、想いを言葉にできるのかなと。

当たり前なようですが
知らないことは知らない、のです。

自分が知っていることの積み重ねで
自分の現実は作られています。

〝言語の限界は,思考の限界を意味する〟
という言葉があります。

たとえば…
お金持ちの苦労や、貧しい苦労を
両思いの幸せや、片思いの切なさを
子どもの時に理解できなかった親の想いも
学んだ知識や経験で得たものを言葉にして
自分の中に積もらせることで
それらを知らなかった時より
色々な可能性を考えられる自分に
成長していくんです。

生きているうちに経験できることなんて
数える程しかないわけで、たとえ経験できなくても
知ろうとして得たものを言葉にしていくことで
ほんの少しだけ視野が広がっていきます。

私の目に映る、私の世界🌎✨

ですが
そんな風に思考を巡らせることが好きな私でも
理由を考えなくていいと思うこともあります。

わけもなく涙があふれるとか
わけもなく好きだとか
それらに「何故」を問い詰めることなく
そのまま感じる作業も私は好きです。

相反するものを持ち合わせているのが人間なのかな
なーんて、思ったりします。
神経質な部分があっても
ズボラな部分も持っているみたいな(笑)

せっかく人間として生きているのだから
矛盾を感じつつも
知ることを愛せたら素敵ではないかしら。

正しいかどうかではなく、自分なりの意見を持ち
皆それぞれの考え方があることを認めて
必要であれば議論したり
そんな必要がなければ
自分の思考の一部として保存しておく。

自分という素材にコクや旨味を出す為にも
哲学的な思考、オススメです(∩´∀`∩)♡

〝言語の限界は,思考の限界を意味する〟
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまたね。

そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚