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「外国人は鈍いから」がコミュニケーションのコツと教わった、初めての外資系

(まるで私が働いていた職場のようで、懐かしく感じ、お写真をお借りしました。ありがとうございます。)

はじめての外資系

私が初めて働いた外資系企業は、ハローワークで紹介された会社でした。
オフィスは下町の雑居ビルにありました。

外資系企業なのに、雰囲気は日本のオーナー中小企業でした。
日本人社長が株の49%を持って支配していました。毎日みんなの机を回っておしゃべりしてから帰るような、世話好きなおじさんでした。
社長は私の机に来ると、いつも「へい、フィンランド、元気か?」と話しかけてきました。なぜフィンランドか、理由はいまも分かりません。
いわゆる外資系にありがちな、キラキラだけどピリピリしたような雰囲気とは無縁でした。仲良くゆるく働いていました。

私の上司は、ひとまわり年上のマダムでした。仮にマスダさんと呼ぶことにします。
マスダさんが入社した頃は、まだ就職時の男女格差が強かった時代でした。その当時でも、外資系企業は門戸を広く開けていました。男女の違いを気にしない、外資系ならではの鷹揚な能力主義のようなものは昔からあり、マスダさんも重要な業務を任される立場まで登り詰めていました。

マスダさんには、とてもお世話になりました。
マスダさんからは、仕事のことが何も分からなかった私に、私がいま専門としている業務すべての基礎を叩き込んでもらいました。
いまの私は、マスダさんから教わったことで食べています。いくら感謝しても感謝しきれません。人生の恩人の一人です。

ひとつだけ大事なポイント

専門分野の知識のほか、すぐ返事がもらえる英文メールの上手な書き方から、海外からの電話のスマートな対応法まで、すべてマスダさんから教わりました。

外国人とのコミュニケーション術も、マスダさんから教わりました。
外資系が初めての私には、外国人とのコミュニケーションのコツが、あまり分かっていませんでした。電話やメールで伝えたいことがうまく伝わらず、もどかしい思いをしたことも何度もありました。理解の食い違いが感情的な応酬になってしまったこともありました。

マスダさんも、外国人とのコミュニケーションでいろいろな経験やご苦労をされたのだろうと思います。
もっとも重要な心得として、私にこう教えてくれました。

「外国人は鈍いから。」

外国人とのコミュニケーションで大事なポイントがこの一言に詰まっています。
振り返ってみて、マスダさんはとても鋭い方だったのだなと改めて思わされます。

「外国人は鈍い」

「空気を読む」という言葉が示すように、言葉にならない相手の思いや考えを察することが当然という社会に、私たちは暮らしています。

いっぽう、海外では思いや考えは口にしないと伝わりません。言葉の裏を察するとか、まして言葉にならない思いや考えを探るなど、そういうことを日常的にする習慣がありません。

そのため、私たち日本人の側からすると、外国人は「空気を読めない鈍いヤツ」に見えてしまうのです。
気を遣って遠回しな表現などをあえて使っているのに、なかなか分かってくれません。察してくれません。
「そんなの言わなくても分かるじゃん」という常識も通じません。
私たちから見ると、なんとも鈍いのです。

ハイコンテクストとローコンテクスト

私たちが住む日本の社会は、比較的均質化された社会です。
格差があるとはいえ、ほかの国からすれば、その差はわずかです。多くの知識や文化(常識とも言えます)が社会全体で共有されています。
私たちは、日本に住んでいれば誰でも知っている常識をうまく使って、日々コミュケーションを行っています。
共有する常識のおかげで、相手に自分の考えや思いを伝えるのに、あれこれ細かく説明する必要がありません。省エネです。
言葉の裏を読んだり相手を察するのも得意です。常識を使って相手の考えが読めるからです。
このような社会では、少ない言葉でコミュニケーションを行うことができます。ハイコンテクスト文化と呼ばれています。

いっぽう、海外ではそうはいきません。
同じ国で同じ言語を話していても、階層や地域や歴史的背景の違いがあり、共有する常識の範囲がとても狭いことがよくあります。さまざま国から人々が集まるような都市では、なおさらです。
そこに住んでいれば誰でも分かるような常識が、ほとんど存在しないのです。
そのため、話をする時にも、そもそもの所からこと細かく説明しなければなりません。
察する習慣もありません。相手の常識が違うのですから、察することに意味がないからです。
なんでも言葉にして伝えなければなりませんし、むしろ話したほうが早いです。このような社会は、ローコンテクスト文化と呼ばれます。

違う常識を持っている

日本人である私たちが海外の人とコミュケーションをはかる場合、このローコンテクスト文化に基づいたコミュニケーションをするよりありません。
おたがいの常識が異なるからです。

このとき、相手の文化がハイコンテクストかローコンテクストのどちらなのかは、あまり関係がありません。
いずれにせよ、相手には私たちの常識は通じません。

逆もまた然りです。
海外の人からすると、私たちは、常識の通じない得体のしれない外国人なのです。鈍いヤツなのです。

ローコンテクスト文化に生きる

「外国人は鈍い」と知ってから、コミュニケーションが楽になりました。

メールや電話では、まず結論から話すようになりました。話の終わりに結論をまた繰り返して、ダメ押しすることも覚えました。
「こんなの常識じゃん」と相手を責める代わりに、ちゃんとこちらの考えを言葉にして伝えるようになりました。
相手は鈍いヤツだからです。

また、相手が妙な主張をしてくる時には、怒る代わりに、その背景などを聞いて真意を探るようになりました。
相手は自分の常識の中で話しているため、こちらの違和感に気づくことができません。こちらから相手に、私は鈍いヤツだと気づかせてあげなければなりません。

こういう、ローコンテクスト文化のコミュニケーションは、日本人の我々からすると、かなりエネルギーを要します。けっこう疲れますし、面倒です。
それに、何でも言葉に出しすぎると、くどいというか、相手に失礼なことをしているかのような気分にさえなります。
相手に伝えたいことをなんでも口に出して伝える、というのは、いってみれば私たちの文化に反した行為です。抵抗があります。

それでも、海外の人とコミュニケーションを取っていくためには、そういう風にして、言葉で相手に伝える努力を続けいくよりありません。

おたがいが相手にとっては鈍いヤツなんですから。


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