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おしゃべりは、学級崩壊か

多くの大人が理想とする学校は、子どもが落ち着いており静かに授業を受けている。発言は適切に、必要なときだけ。
だからこそ、授業中のおしゃべりは悪とする。
結局は、能動的な子どもではなく、受動的な子ども像を求めている。

何を良しとするのかは、人によって違う。
だからこそ、色んな視点を持っておくと良いし、これが絶対だというものは、実はない。

おしゃべりの中には、実は授業に関係ある疑問や言葉が潜んでいる。
そういう視点があったのかと、しみじみすることも多々。

誰かが見て学級崩壊だと言うのは簡単だけれども、立て直しと言うのも立派に見えるのだけれども。

そもそも、学級は崩壊するものではないのか。
破壊と再生。
失敗と成功。

全て上手くは積み上がるはずもなく、そこを責めて解決するものではなく。

何もかも出来すぎているのは、嘘くさい。

そこから、立ち上がった人というものは強くしなやかで。
何もかも満たされている子どもよりもよほど、何かを得る貴重な経験をしている。

子どもは、しゃべる生き物だ。
しゃべらなくさせているのは、賢く見せようとしているのは、結局は大人の枠組みや見栄や、意地なのだと思う。

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いまここわたしを哲学する現代の魔女目下、『私の村』構想に向けて始動中
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