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リケジョと文学

きときとさんは残念ながらnoteをやめてしまわれました。でも、大好きな方でした。
その方が大好き過ぎたので、こんな記事を書いていました。
再掲です。

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世の中、理系と文系に分かれています。だいたい高校2年には遅くとも文科系と理科系に分かれて授業も行われます。

私の行っていた学校もそうでした。私はちょ~文系人間だと思われていたし、自分でも文系が向いているなと思っていたので、理系か文系かで悩むことはありませんでした。

とはいえ、なぜか知らないけど数学はよくできた。これは、のちに経済系の学部に行ったときに役に立ちました。微積分とか経済学ではバンバン使うのですが、楽に解けてました。

でも、物理なんかは全然だめでした。しかしこれも、とはいえなんです。

私はリケジョではないがブルジョであった

私はリケジョではありませんでしたが、ブルジョでした。

ブルジョアジーの女子じゃないし(マルクスの時代かよ)、ブルマーを履いた女子でもない(爆 ヘンタイさんかよ)。講談社ブルーバックス大好き高校生だったのです。

理系の友達は、意外と講談社ブルーバクス読まなかったです。それよりせっせと教科書読んでいました。実は私は、物理学自体はとても好きだったのです。

タイムマシンは作れるのかとか、物理学的にどう説明できるのかがとても興味ありましたし、「ガリレオよりケプラーのほうがすごかったんじゃねーの?」とかリケジョの友達に議論をふっかけてしかとされてました( U_U)。

ひどいときは、物理の力学の授業中にアインシュタインの読んでいたので、先生が気を悪くしました。でもいい先生でして、あとで職員室に呼び出されて、いちおう怒られたあと、アインシュタインの良い本を教えてもらいました。

岩波新書の『物理学はいかに創られたか』(上)(下)はとてもおもしろかったです。文学系の本を読むのと同じくらい面白かった。これは断舎離することはないでしょう。

おそらく、将来物理学を本格的に研究する人は、こういう教科書以外の本を読んでいると思います。そして、もちろん普通の学校の物理の授業の成績もいい。どちらが欠けても物理学の研究者にはれないと思います。

私はブルジョでした。とはいえ、きちんとした教科書物理は全然だめだったので、リケジョの人には淡いあこがれと、今でも、リケジョというとなんだか親しみやすさを勝手に感じてしまうのです。

「とはいえ文理」を超越した人もいる

私はそのようなわけで、文系であります。とはいえ数学はでき、とはいえブルジョでリケジョに論争を仕掛けることもできました。とはいえ理系に進む学力はありませんでした。

中途半端に文理を行ったり来たりしている、いわば「とはいえ文理」が私です。

脳科学者の茂木健一郎さんは、法学部と理学部両方出ています。しかもそれを血肉とした、クリエイティブな活動もなさっていてすごいです。

言っていることはたまに「は?ナニソレ」というところがありますけど(茂木健一郎さんがお好きな人はこの感覚わかると思います。ケラケラ)(^o^)

このツイートで茂木健一郎さんがおっしゃっているのは、理系と文系がそれぞれ専門として分かれてしまっていることの弊害だと思います。

茂木さんいうエリートというのはこの文脈では、大学の文科系、理科系それぞれで学士号以上の学位を持った人たちというくらいの意味でしょう。

漫画やアニメを含む、音楽、芸術というのは不思議なもので、文科系と理科系が混じり合っていると思います。バロック音楽の幾何学的な音楽理論もそうですし、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画も解剖学の裏付けがありました。

アインシュタインの有名な公式も、私にはなんだか文学的に見えてきます。理系の人には怒られそうですが、ここにはあきらかに文科系の人間の琴線に触れるゆるぎない「美」があると思います。


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noteにもリケジョがけっこういる

noteでやりとりが進むに連れ思ったのは、noteユーザーには、世の中的には少数派に属するであろう、わたしの憧れるリケジョの人がけっこう棲息しているということです。

これは茂木健一郎理論を使うとよく分かる現象です。noteはとてもクリエイティブなアウトプットを重んじます。専門家としての知見も大切ですが、それよりも文章表現には、一種の技芸、アート(英)、テクネー(希)といったセンスがいるからかもしれません。

そうした私のあこがれのリケジョnoterとして真っ先に浮かんでくるのがこの方です。

※退会されてしまったので、きときとさんの記事は現在閲覧できません(ToT)

ご夫婦仲がよく、パチンコデートもよくされていたそうですが、きときとさんはご主人がパチンコに熱中している中、こんなことを考えていたそうです。

この直後に引用になります。

a×S=N-N(α+β)
S:還元金額
α:利益率(10%と想定)
β:施設経費率(10%と想定)
a:補正係数(台の種類による)
N:掛け金
つまり、掛け金の80%が還元されるだろうと予想している式である。(ちょっと甘いかな?)
さらにN値(掛け金)をさらに発展させると、
n=θ×N
θ:小当り率(6%くらいを想定、1000円で60回分だ)
n:回転数
つまり
N=n/θ
これらの式に想定した値を代入すると
a×S=0.8×n/0.06
=13.3×n
n=a×S/13.3
例えば、10,000円当てたい!と思えば
n=10,000a/13.3
=751.88a
750回転以上回っている台が狙い目であることがわかる。後は、台によって、補正係数をどう想定するか、経験則で調整が必要である。当たりを溜め込んで大金を吐き出すような台は、補正係数の値が高くなる。

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@@私のあこがれのリケジョの鏡!完璧なリケジョ!

いそいで解説を加えましょう。きときとさんのこの記事を読まないと、私の引用だけではそれがどうして、完璧なリケジョなのかはわからないでしょう。数式を並べるだけならば、茂木健一郎さんのいう単なるエリートにもできるのです。

しかし、きときとさんの文章の中で使われる数式は、それ自体が生命力を持って踊っているのです。読んだ方としては、まるで活造りの踊り食いというか、そういう言い方でピンとこなければ、クーがコサックダンスを踊っているような躍動感を感じてしまうのです。

これぞまさしく、普通の理系エリートには書けないクリエイティブなリケジョ文学の頂点です。

私はアルバート・アインシュタインの公式に文学を感じましたが、それと同じように、きときとさんの理系的発想に文学を勝手に感じてしまうのです。

そしていつしか、お会いしたこともないきときとさんのイメージは、それこそ勝手にこのかわいい、クーになってしまいました。

きときとさんの最新作は、フランスの構造主義文学者ロラン・バルトに関する論考ですが、これまた、自分で哲学に詳しいと詐称している単なる文系オタクエリートには絶対に書けない文章なのです。

※退会されてしまったので、きときとさんの記事は現在閲覧できません(ToT)

ご友人の「皇居はゼロ記号である」というバルトの至言に啓発されたきときとさんは、ロラン・バルトの著作を手にします。そして最初に思ったのは「ロラン・バルト」と自分のお父さんは似ているということでした。

これを脱線と捉えてしまうのが、世の中の専門バカとしてのエリートさんなのです。断じてこれは脱線ではない。見よ!この理系的なアクロバットを。

ふと、また私の父を思い出しました。
無口な父は、私の繰り出すへんてこ妄想理論を黙って聞いていたものでした。あんまり喋らないので、「あ、お父さんいたの?」などとひどい事を言ってしまったし、いっぱいワガママも言っちゃったな。
ロラン・バルトへの思いは、
父への憧れにも似た気持ちになりました。

作者の死、エクリチュールの自由な解釈、そこで終わってしまうのが哲学バカ。その本質はロラン・バルトが喝破したように、空虚なる中心なのです。きときとさんは、へんてこ妄想理論を繰り出して、お父さんを困らせました。

わたしはここに、羨ましいほどのきときとさんの幸せなリケジョ女子高生時代があったように思えてなりません。あまり喋らない、空虚なる中心は思春期の女の子にとって、しかもリケジョという世間的には少数民族である種族にとって、とてもとても豊穣な時空間であったと想像できます。

「あ、お父さんいたの?」

なんとも数学的じゃないですかこの一言。ロラン・バルトの難解な文芸理論がすべてこれに集約されている。まるでアインシュタインのあの公式を、文学で表現したようです。

そこにいないことの豊穣さ、ロラン・バルトは表徴の帝国ニッポンにたいして、きときとさんがお父さまに抱いたようなあこがれを持ったはずです。

まるで居合道のような読解で、そこらの文学部哲学科出身の人間にこの文章は書けません。

そして、きときとさんは、今日もコサックダンスを踊る…。

世界のどこかで今日もギリシャ悲劇が上演されているにもかかわらず、きときとさんの紡ぎ出す文字は、コサックダンスを踊るのだ。

さあ、あなたもきときとワールドへ行ってみよう!

そして、きときとさんの自己紹介記事に乗っているこの名曲を流してみよう。

この跳ねるような楽曲…。まさにコサックダンスを踊る きときと さんその人ではないか。

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また帰ってきてくれるだろうな、きっと。
そんな風に思っています…。

いつまでもいつまでも…。
きときとおねえさまにまた会えると、お待ちしております。

*この記事は【共同マガジン】これが私のイチオシnoteだ!寄稿作品です。
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