美術館再開日記、ちょっとずつアップします
コロナ禍の美術館でー「作品のない展示室」
2020年は誰も想像していなかった年になった。コロナウィルスによって。これを書いている今も、世界中でまだ誰もが手探りを続けている。でも薄明かりは射している。未知の誰かときっと手を結べる気がする。
私は東京郊外にある公立美術館に勤務している。
世田谷美術館。略して「セタビ」とよばれる。緑豊かな公園の一角にある。
1986年開館、バブル期の華やぎをひとときまとい、2000年代以降はかなり「冬の時代」を生きている文化施設であるが、アンリ・ルソーらの”素朴派”絵画やアフリカ現代美術といった、ちょっと異色な領域の作品のコレクションを持つ館である。ちょうど今、そのコレクションの(良い意味での)カオスぶりが遺憾なく発揮された展覧会を開催中だ。教育活動にも昔から力を入れていて、地域密着度は高い。
私自身は「冬」の始まり、2000年から、学芸員として仕事をしてきた。その内容は一般にイメージされるよりも雑多、あるいは広くて豊か、かもしれない。経験を積んできた順に書くと、
多種多様な来館者にむけての、出張授業やワークショップなどの教育プログラム。独特な建築空間を活かした、ダンスや音楽などのパフォーマンス・プログラム。
そしてなるべくユニークな視点による展覧会企画。
そういういろいろなものを、あまりお金がないなかでも、同僚やアーティストたちとつくってきた。
さて、3月31日から6月1日までは、当館も臨時休館を余儀なくされた。
6月2日に再開したものの、来年度までの展覧会予定はほぼ破綻しており、やむなく「作品のない展示室」という企画を打ち出し、それが全く予想外にかなり話題になってしまった。私はその企画の副担当を務めていた。
私の関心―美術館という「場」の姿は変わるのだろうか?
美術館再開の6月2日から、Facebookに友人限定公開で日々の記録を書き始めた。
それまでも、旅に出るなど未知の世界に遭遇したら記録はつけていたが、いまやどこにも行かずとも未知だらけ(いや、もともとそうだったのだ)。そして特に自分が皮膚感覚レベルでひどく危惧していたのが、美術館と人との出会い方が決定的に変わってしまうのではないか、ということだった。
現在は展覧会づくりを担当するチームにいるものの、最初の10数年は教育プログラムを企画運営するチームで経験を積んだからか、そしてパフォーミングアーツにも関心が強いからなのか、私自身が最も気になり続けているのは「場」のありようである。あるいは人々の身の置き方。
館内スタッフも一般来館者も、ボランティアもアーティストも、
ここで、新たに、改めて、どのような佇まいを見せるのか。
そうした人々の身の置き方から立ち現れる「場」の姿は、変わるのか。
というような関心から気づいたことを書き始めたら、思いがけず3ヶ月以上も続く「美術館再開日記」ができていた。7月4日に開幕した「作品のない展示室」は、8月27日の閉幕の日まで、まさに「場」の姿を再考するのに恰好の実験室になった。
というより、なってしまった。
ところで、「作品のない展示室」は学芸スタッフの総意から生まれたものだが、私が提案しつくった部分に「特集 建築と自然とパフォーマンス」がある。美術館として30数年、展覧会だけでなく、あれこれのパフォーマンス・プログラムをやってきたことが知られてなさすぎるので企画した。
その準備作業から派生したものもある。「明日の美術館をひらくために」と題したパフォーマンスで、最終日の閉館後に行った。クロージング・イベントのつもりだったのだが、残念ながら非公開にせざるを得なかった。ダンサー・振付家の鈴木ユキオによる振付の一部は、せめてということで本番前に公開している。
しかし、おかげで本番=おしまいとなる「イベント」ではなく、本番の後にその記録写真や映像をまとめていく息の長いプロセスを含めた「プロジェクト」として、この企画を構想することができたともいえる。
プロジェクトはとりあえず10月17日まで、Instagramで続く(ユーザー名:setabi.performance)。
※2020年11月追記:その後、記録冊子も刊行・販売することが決定。年内に販売開始予定なので、プロジェクト完了日は12月31日まで延ばしておいた。
企画の構想の背景や、ともに案を練ったアーティストの鈴木に興味がある方は、YouTubeにあげてあるインタビュー映像を見ていただきたい。どちらも10分程度である。
「中の人」の、あくまで私的な日々の記録として
日々書き連ねていたら、ある日、「この日記、まとめておいたほうがいいんじゃないですか。これからの美術館を考えるのに、毎日何かしら発見させてもらえるから」、と言ってくれる同業の若い友人が出てきた。
そんなものだろうかと思いつつ、もしも「コロナと美術館の今後」、「美術館で人は何を経験しているのか」というような話題に多少なりとも興味のある方が今後も出てくるのであればと、少しずつまとめて、ぼちぼちnoteに公開していくことにした。
もちろん、あくまで私個人の視点から見えたことを書いているにすぎず、それらが世田谷美術館の公式見解ではないことは明記しておく。noteでの公開にあたっては当初の表現を改めたり、補足説明を加えたり、削ったりする部分もある。1回の文字数は、noteユーザーの平均(があるとして)より多い気がする。2000字前後。読む側にとっては多め? でも自分がものを考えるのに必要な量だから、しかたない。
美術館再開は6月2日なのだが、その前のことも少し残そうかと思い、2020年3月~4月に書いたものを「序」としてアップする。日本の旧植民地だった台湾への旅、メキシコで出会ったアーティストとの再会、ジンバブウェ育ちの若いアーティストとのトーク、そしてナイジェリア出身・ロンドン拠点のベテランアーティストとの再会など。ふだん何に関心があるか、自己紹介の続きのようなものでもある。
なお、「再開日記」はすべて「美術館再開●日目」という書き出しだが、これは正確には「美術館の開館日が●日目になった」という意味である。休館日はカウントに入れていない。なぜか最初からそうだった。
ひとが訪れてこそ、美術館という「場」がかたちづくられると思っているからなのだ、ということには、あとで気づいた。
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