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歩いたら時代が変わる。晴れやかに転職した人のこと。

「自分が変わる」と書くつもりが「時代が変わる」になっていた。10ヶ月ぶりのnoteなので、あちこち微妙におかしい投稿になるだろうか。

今回は、つい先日、晴れやかに転職した人のこと。を通して考えた、よりよく働き、生きることについてなど。

初めての部下、初めての仕事

勤務先の美術館で、企画展のマネージャー&プレーヤー業務に加え、広報の統括も兼務することになった自分。実はこれは、直属の部下、という人たちを、私が初めて得た機会でもあった。2022年4月のこと。

企画展チームには私と同僚の2名しかいない。2人ともマネージャーでありプレーヤーで、部下はいない。ここ数年の間に先輩方が定年で抜けたものの、補充がないためである。当館の企画展は年間5本、学芸員2人で回せるわけがない。なので大所帯のコレクションチーム、あるいは教育普及のチームの学芸員も、企画展を担当する。

私はたまたま広報統括も背負ったので、急に部下ができたというわけだ。以前からこのnoteでも度々ふれている非常勤職員のZさん、そして、ヴィジュアル面で優れたセンスとスキルのあるアルバイトのXさん。この3人で、新しい広報チームとしてスタートした。すごく新鮮。元々チームワークは好きだし得意なので無我夢中で走った。同僚からは「広報の仕事ばっかりやりすぎ」と苦言が飛んできたこともあるし、決して楽ではなかったが、楽しい経験の一部については去年少し書いた。


さて、前任者が担当していた四半世紀(!)のあいだに少しずつ肥大、かつ変化していた当館の広報業務。新任の私としては、日々目の前に出現するこまごまとした細部と奮闘しながら、薄ぼんやりとしか見えない全体像をくっきりと見えるようにするのが、最大のミッションだった。個々の業務の意義、何が優先されるべきか、何にどれくらい手間がかかるのか、どんなスケジュールで動いているのか。

それらをZさんの力を大いに借りつつ洗い出し、リスト化し、うまく進行管理するための手立てを整える。

という実にベーシックな作業に心血を注いだ。そう、誰かと共有・協働するための、「見える化」された資料や方法が不足していたのだ。組織が長年に渡ってひとりの人間に特定の仕事を抱えさせると、そうなるのは仕方がない。任された仕事を軌道に乗せる前に、軌道そのものを明らかにするこの作業は、1年がかりだった。

このままでは立ちゆかない

1年後の2023年4月。上司は「こんなに早く態勢が整うとはね」と感心してくれたが、いやいや、問題はこれから。この軌道での現状維持がベストではないことに、私は気づいていた。

4月の自分は、実は広報の仕事をまともにできていなかった。大事な後輩の、大事な展覧会のサポートに入っていたからである。

私の役割はカタログづくりの伴走。きっちり校閲者を入れ、200ページに及ぶ本をちゃんと編集する作業とはどういうものかを、体験してもらうこと。校閲者と仕事をする体験の有無は、学芸員としてのその後の仕事の解像度を左右する、と私は思っている。そしてその後輩を私がサポートできる機会は、自分の残り時間を考えて、たぶんこれが最初で最後だろうと思っていた。
展覧会についてはこちらの記事などがあります↓

展覧会づくりの数ある作業の中でも、カタログ制作のプロセスには細く長く、強い集中力が必須だ。が、これは、常時数本の全く異なる展覧会について気を配り、瞬発力の発揮がたびたび求められる広報の仕事とは想像以上に、決定的に、相容れなかった。広報を背負いつつカタログを作ってみて、思い知ってしまったのだ。

展覧会カタログづくりの裏側、というか片隅についてはこちら↓


今回はZさんが機転を効かせ、Xさんと上手に仕事を動かしてくれたので、幸いなんとかなった。けれども自分が企画展のサポートではなく、メインのプレーヤーになる時は事故が起こる、と確信した。このままでは広報の動きが鈍るか、企画展のレベルが下がるか、どっちかである。さあ困ったねえ。


部下の転職を、全力で後押しする

7月末。Zさんから転職の相談を受けた。

某企業からお声がかかり、承諾すれば9月末で退職ということになるという。当然といえば当然だが、かなり申し訳なさそうな表情で、大丈夫でしょうか…と。「塚田さんは来年、企画展のご担当がありますよね。その前にはメディア共催の大型展もあります。それを前に私が抜けるのは…」

話をじっくり聞いて、私は迷いなく全力でYES!!  と後押しした。

Zさんは、ここでやれることはやりきったのだ。コロナ禍を挟み、新しい広報を切り拓くための4年弱の全力疾走だった。もういいかな、と考え始めていることは私も知っていた。そんな矢先のお声がかりだった。

そもそも非常勤の年契職員で、先々の保証のない状態で雇用されていたZさんである。でも仮に正規雇用であったとしても、やりたいことをやれる場を新しく探して歩いていくのは真っ当なこと。ましてお声がかかるなんて。素晴らしすぎるではないですか!!!

8月にZさんの退職が正式に発表された時、多くのスタッフが驚きを隠せない様子だったが(まあ当然だ)、私とZさんは何かウキウキと引き継ぎの作業を進め(側からはちょっと異様に見えたかもしれない)、Xさんも含めて3人で楽しくお祝いランチもした。

その席で、私は年若いXさんに「自分がここでやれることをやりきったと思ったら、同じように心おきなく羽ばたいてね」と伝えた。Xさんはそもそも個人事業主として複数のクライアント相手に仕事をしているので、そんなことは言わずもがなだったのだけれど、キリッとした表情でハイ!と答えてくれた。うん、これでいい。

ちなみにZさんの転職基準は正規雇用かどうか、というわけでは必ずしもなかったようだ。やれる仕事の内容と待遇のバランスが、自分の人生の現段階に、見合うかどうか。つまりは、充実して生きている実感が持てるかどうか。

それを優先するのは今どき珍しいことではないと思うけれど、職場の正規雇用スタッフの中には、そこが不思議でならないという風情の人はいる。人それぞれである。

雇われること。雇うこと。について知る。

さて、Zさんの退職を受けて、早急に次の広報担当者の採用を、ということになった。2024年1月1日付での採用を目指し、空席期間となる10月1日から12月末までの間はピンチヒッターとして派遣職員に入ってもらうことにもなった。

私はヒラのマネージャーに過ぎないので、採用人事には直接関わらない。が、派遣業務の仕様書やら、募集要項の職務内容などの素案を提案するよう求められたことがきっかけで、人事がらみのあれこれに目が留まり、「?」と気になることが次々に出てくる。それこそ、職務内容と待遇のバランスなど。

結果、気づけば、転職サイトを定期的に覗いたり、自分でも試しに登録してみたり、転職関連本を読んだり、働き方改革とか副業解禁とかにまつわる雇用制度の再設計マニュアルだの、日本の賃金制度の成り立ちの研究だの、果ては厚生労働省が毎年発表している詳細な賃金統計データなんかも見てみる、という日々になっていた。

その上で、自分たちに被せられている就業規則やら何やらを改めて読んでみると、どういう経緯で、どういう目線からその規則や規定が生まれてきたのか、少し垣間見えるような気がした。と同時に、働き方も働くことをめぐる価値観も激変している近年、その規則=目線は外からどう見えるだろうか、などとも。

ともかく我ながら思いがけない展開だった。図書館の棚でいうならば、普段は「芸術」括りの700〜770番台、あとは「社会科学」のうち「教育」の370番台あたりはよくうろつく自分が、おそらく人生で初めて、330番台の「経済」、そのなかの「経営管理」なる棚の前に立って、ものを考えている。

「経営管理」の棚の本は、人を雇う立場の当事者に向けて書かれたものが多いと思う(講演録を起こしたらしきものなどは、読者に終始「社長さん」と呼びかけていて超新鮮)。でも雇われる側にしてみれば、それは自分たちがどのように「管理」されているのかを知ることができる重要資料だ。そして新しく来る部下も自分も、雇われ人であり、管理される側の人間という点では同じである。

知ることはおもしろい。というか切実に必要である。知らずにいたことで、無駄に疲弊したり傷つくこともある。知らずにいたことによって他人を傷つけてしまうこともたくさんある。

人の生死に直接関わる医療や介護関連の知識や知恵は、切実度からしてその最たるものだと思う。人の魂に関わる芸術の知もそうだ。そして雇用、労働に関する知識もそうなのだと、実に遅まきながら痛感した。よりよく生きるために必要な知。それらは個別の棚に分けられていても、全てゆるやかにつながってもいる。

美術館の新たな広報担当、雇用形態でいうならば契約職員は、10月15日現在もまだ募集中である。と不用意に書くと「美術館で働きたい人、応募してみてね!」的な誘導広告っぽくなるのでそれは避けたいが、興味のある人は募集要項をご覧いただくとして、興味のある人もない人も、厚労省がこんな統計を出していることは知っておいて損はないと思う↓


そんなわけで、1年がかりでなんとか軌道に乗った広報業務ながら、来たる2024年は、私が5年ぶりに(!)メインで担当を務める企画展があり、今のままでは早々に破綻が予想されるところに加え、広報チームに新しいメンバーを(運が良ければ)迎えることになり、それはありがたいのだが落ち着くには時間もかかるだろうし、大丈夫なのか?? な事態ではある。

全く不安はありません!!! 

というのはさすがにウソになるが、道筋は見えているので落ち着いている。おとなしく破綻への道は歩まない。これを機にあれこれ改革すればいい(するしかない)。今、派遣職員の方が入ってくれて非常に助かっているが、Zさんとは違う雇用のあり方での勤務なので、すでに変化は否応なく始まっている。そう、どうすればもっと変えられるのか考える、絶好のチャンスが到来したのだ。

『スマホ片手に、しんどい夜に』

9月末、Zさんは晴れやかに去っていった。その少し前に、塚田さんにぜひ読んでほしい、とZさんが貸してくれた本がある。山本隆博さんの『スマホ片手に、しんどい夜に』。

山本さんは通称「シャープさん」、シャープの公式ツイッター(X)の中の人で、つまりは大企業の広報担当者。そんな方による漫画時評、という体裁のエッセイ集なのだが、これが衝撃的におもしろく、胸を打つ。

選ばれている漫画はどれも、おそらくは個々の描き手自身の日常生活が舞台で、そこで起こる小さな出来事への悲喜こもごもがキラリと描かれている。まずはシャープさんの作品の選び方自体に、なんとも言えない人間愛が滲み出ている。

作品(シャープさんは「表現物」と注意深くオリジナル語で書く)に対する読みが、各エッセイの真ん中に挟まっている。不思議な構成だが、それが企業広報という(公的な顔の)お仕事と、SNSを通じて他人の喜びや痛みをじっと感受するという(個人的な)営みを、不思議に断絶なく、とても人間的なかたちで、つなげている。

読みながら、Zさんがこれを勧めてくれた理由がよくわかった。この1年半、いや、私が広報統括になる以前から、コロナ禍のなかでZさんと何度も何度も語り合ってきたこと、「これからこの美術館はどんなふうに来館者と向き合えばいいんだろう」と問い続け、文字通り手探りで実践してきた方向が、どうやら間違っていなかったかも、と随所で感じさせてくれる本だったからだ。

2年半前の投稿だけど、貼っておく↓


次に自分の部下になる人がもし現れてくれるのであれば、シャープさんの本を読んでもらって、感想を聞かせてもらうことから始めたい。

そして。私もまたZさんのように、ここでやれることはやりきったと自ら清々しく去る日を迎えるべく、限られている時間をいつくしみながら働きたい。Zさんありがとう。歩くと風景変わりますね。変わった先で、きっとまた一緒に何かできると思っています。





もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。