「来場者アンケート」の時間が教えてくれたこと。
勤務先の美術館の企画展&広報統括兼務になって4ヶ月。「ピーターラビット」展という、メディアが複数社入る共催・海外ものの大型展(←当館比)が6月で終わり、ようやく手に負えるサイズの企画展が戻ってきた。今やっている「こぐまちゃんとしろくまちゃん 絵本作家・わかやまけんの世界」も共催展だが規模はぐんと小さく、展覧会のつくり方はもちろん、広報業務の回り方も全く違う。
この4ヶ月のいわば「新米」期間の広報メモとして残しておきたいのが、「来場者アンケート」にまつわる、ささやかな発見についてだ。
アンケート、出口調査の場所がない?
勤務先の館では、企画展ごとに来場者への質問紙調査を行っている。会期中ずっと回答を集める方式ではなく、どこか1日、調査会社に入ってもらって、集中的に出口調査する。こちらで準備する質問項目は、A3サイズの紙にギリギリ収まるという、けっこう詳しいもの。大型展であろうが地味な自主企画展であろうが、等しく調査する。かれこれ15年ほど、やっている。
広報統括の仕事のうち、私はこのアンケートに関われるのをとても楽しみにしていた。来場者の皆さんが紙の上に生々しい痕跡を残していくのを、年に5回も目撃できるからだ。自由記述式の回答箇所も多いので、「情報」というより「痕跡」。回答済みの用紙はその日のうちに調査会社が持ち帰るので、現場をウロウロしていないと「痕跡」には触れられない。
前任者は「終日立ち会う必要はない、あちらはプロだし任せて大丈夫」と言ってくれたが、いやいや、こんな宝物のようなチャンス、逃す手はない。
ところで、着任してすぐの「ピーターラビット」展と、それに続く「わかやまけん」展の調査には、事前にクリアすべき問題があった。出口調査をするわけなのだが、その出口付近にあるはずのスペースが、ない。
現場で人の動きを見続ける
場所がないのは、一時的な特殊事情である。メディア絡みの企画展ではグッズ専門業者が入り、大量の関連グッズを開発して売る。それらをストックする仮設倉庫が、どーんと建って場所を食っているのだ。その脇にはソファも鎮座。
まあなんとかなるんじゃない、その日だけソファどかすとかして、という上からの声を受け止めつつ、ここで「新米」の特権を行使。現場で愚直に事実を押さえよう。「なんとかなる」かどうかは、その事実から判断しよう。何せ経験がないのでね。
というわけで、誰にも頼まれていないが、ある週末の2日間、「定点観測」をすることにした。広報実務担当のZさんと1時間ごとに写真を撮りつつ、出口付近の人の動きを見る。
学芸員の仕事として、展示室で来場者の様子を見ることなら慣れていた。でも展示室「外」を集中的に観察したのは初めて。おもしろかった。そしてZさんと二人して、こりゃダメだとよくわかった。
まず、ソファは常に使用中。観察メモはキャプションをご覧ください。
その先の廊下のソファをどければできるんじゃ? という意見もあったが、実は廊下もすごい状態だった。ソファ利用率もさることながら、なんというか、カオス。
当館のマジョリティ利用層であるシニアに加え、ベビーカーのファミリーや20代の若者たちなど、いつもより多様な来場者が、いつもの何倍もの人数で、お手洗いと休憩場所を求めてさまよう狭苦しい場になっていたのだ。写真はスッキリ見えるのだが、現場に立った肌感覚は「うわ、ごっちゃごちゃ」。詳しくはキャプションを↓
ソファを撤去してアンケート机を置く案は、あり得なかった。
美術館は本当に疲れます
当たり前すぎることだが、展覧会を見に美術館に来るのは人間という「生き物」、なのだった。
おなかもすくしお手洗いにも行きたくなるし、頭痛がしてきたり足が棒になったり、連れや周りの人間にも気を使ったりと、展示を見る以外にも、「生き物」としてたくさんエネルギーを消耗する。その苛立ち混じりの消耗ぶりを、2日間、ひたすら見せつけられた感じ。休む場を奪ってアンケートなんかやって動線を混乱させたら、無言の暴動でも起きそうだった。
そこで考えた。調査は出口じゃなくてもいい。イライラしない、どこかゆっくりできる広いところ、そうだ、講堂だ。140席のホール。ここでやったらどうだろう。
ただ、展示室出口から講堂までは、結構ある。カオスな廊下の、さらに先だ。疲れ切っている来場者にとっては、「そんなとこまで歩きたくない」というハードルになる。
では調査員の人数を増やして、「休憩もできます」と誘導係をやってもらおう。ぼーっと休めるとわかれば、むしろ喜んで協力するお客様もいるかもしれないではないか。そしてこちらも邪魔にならないかたちで、終日みなさんの様子を見させていただける。
経験を味わい直す時間が生まれた
ということで、調査員増員と会場変更を提案した。「たかがアンケート、そこまでしなくても」という声は幸いにも出ず、増員のための支出にもOKが出た。誘導の大変さは予想以上だったが、ともかく当館の講堂は、「ピーターラビット」展でも「わかやまけん」展でも、こんな感じで皆さんがアンケートに答えてくださる場になった。
さて、現場をうろうろしつつ、驚きとともに知ったこと。
項目も多いアンケートだし、事務的にささっと〇をつけて、「展覧会についての感想」などのめんどうな自由記述式の回答箇所は空欄、というのが大半になるんだろうと実は思っていた。結果は真逆。
予想をはるかに超えて、びっしりていねいにコメントを書いてくださる方の、なんと多かったことか。そしてどのコメントにも熱い血が通っている。
質問に答えることをとおして、自分の経験をいまいちど味わい直す、そんな静かで充実した時間が、講堂には流れたのだった。
さまざまな筆跡の手書き文字を追いながら、こんなところでこんなに大切な思いを教えてもらっていいのだろうかと、こちらはひたすらびっくりである。「たかがアンケート」では全くなかった。調査会社の方も驚いていた。記述式の欄にここまでたくさん書いてもらえたのは、15年で初めてかもしれない。
「ピーターラビット」展も「わかやまけん」展も、絵本原画の展覧会だ。通常の美術展よりも、来場者と作品の距離がうんと近い、作品にまつわる思い出が多い、という特性がある。感想を書きやすい展覧会かとは思う。
でも、廊下のカオスを抜け、静かな空間で、座り心地のよい椅子に腰かけて一息つかなければ、その思い出も含めて書くなどということは起こらなかったかもしれない、とも思う。
展覧会後のふりかえり、ということに関して、同業の友人がFacebookにおもしろい記事を書いていたのでシェアしておく。「展覧会を見た後にサウナに入ってキュレーターと語り合う」という衝撃のイベントに参加した友人の話に爆笑したことから始まり、展覧会を見せるだけでなく、来場者がそれを反芻したり、他の来場者と緩やかにシェアできる場をもミュージアム側が提供できると良いよね、と「アフター展覧会」の経験デザインを提案する記事。サウナの衝撃に対抗すべく(?)、爆笑系の具体的なアイディアも満載だ↓
アンケートはワークショップのようなプログラムではない。もちろんイベントでもない。でも、講堂でのアンケート実施は、期せずして「アフター展覧会」の機会にもなったのかもしれない。
美術館の人が読むんだなと漠然と思いながら、自分のためのふりかえりを書き残す。個々の来場者にとって、そういうひっそりしたコミュニケーションの場が生まれてしまったらしいのを目の当たりにして思った。美術館のルーティーン業務をもっと創造的に使う余地は、他にもあるのかもしれない。
アンケートをワークショップやイベントっぽくすればいい、というのとはちょっと違う。アンケートに答えることが来場者にとってどういう経験になりうるのか、という目で現場を見ようということ。結果的に、何かが変わる。
アンケートをめぐっては、このほかにも面白い発見や出会いがたくさんあったのだが、今回はとりあえずここでおしまいにします。続く(たぶん)。ちなみに今回の記事は、5月に書いたこちらの記事の続きでした↓
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