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美術館広報の統括、に(も)なりました

前回「卒論」noteを書いてから3ヶ月。仕事環境、激変しました。

通う職場は同じ。デスク位置も同じ。「マネージャー」という職層名も同じ。「企画調整担当マネージャー」という若干意味不明な名称だが、要は企画展全般のお世話係である。長年手がけてきたパフォーマンス事業は後輩に譲った。

そこに。「美術館広報」の統括、という業務が、上乗せされた。

理由は単純で、これまで担当だった学芸員が上級管理職になったので、たまたま私に降ってきた。それだけのことである。

友人知人に話すと、「え・・・過労死するんじゃないですか?」と、「すごく向いてると思う!」に分かれた。どちらもこちらのことをよく理解しているコメント。後者を励みにしつつ、前者を胸に刻みつけて、この4月から恐る恐る、新しい仕事に(も)着手した。

幸いにも、当館の場合は3年前の2019年秋から、広報実務を担う非常勤職員が1名雇用されている。時代の変化により、学芸員が一人でやるのはさすがに無理、と上層部が動いた。このnoteでも何度か触れているその同僚は、学芸部配属だが事務職という身分、しかも広報未経験ということも含めて何かと難しい状況下、すばらしいマインドで荒地を開拓してくれている↓

その頼もしい同僚(Zさん)と二人三脚で対応している、私にとって初の企画展広報は、「ピーターラビット(TM)」展というメディア共催の大型展。広報事務局は別建てで動いている、にもかかわらず、異様に大変である。それでも「広報」統括になったからこそ、長年密かに興味を抱いてきた案件に、さっそく関わることができた。そのことを書く前に。

みなさん、「美術館」の「広報」を「学芸員」が担っている、と聞いてどう思いますか?

美術館の広報は誰がやっているのか?

学芸員が広報業務を兼任する。自分がそうなることになって、よそさまはどうなのだろうと改めて気になった。実ははっきりした全国データはないようだが、直感的に「兼任は多そう」だと思う。なぜか。

一言でいえば人手不足。でも、そもそも、ひと昔前までは兼任でも大丈夫だったのだ。日本で公立美術館が増え始めた1980年代以降、2000年代くらいまでは、たぶん、そうだった。でもその後、急激に「大丈夫」ではなくなってきた。

日本の美術館における「プロの広報の不在」については、5年ほど前に公開された以下の対談でも指摘されている。アート業界の広報を切り開く存在として注目されつつ、2020年に惜しくも亡くなられた平昌子さんと、現在も横浜美術館の広報を担当される藤井聡子さんの対談だ。

数少ないプロであるおふたりの対談は、今読んでも、ものすごく面白い。別の言い方をすると、5年後の現在でも、問題はあまり変わっていない。引用しておこう。

平: [前略]そもそも美術業界では、美術館も含めて、広報の専門家という存在は20年ほど前までいなかった。以前は、学芸員が広報業も兼務していたんですね。

藤井: その背景には、日本の美術館における展覧会の特徴も関わっていますよね。私が広報として勤める横浜美術館も含め、日本の美術館では、大型の展覧会は新聞社やテレビ局との共催という形式が主流です。この場合、メディアの事業部と学芸員が展覧会を一緒につくるのですが、主催のメディアが自社媒体を使って告知ができるというメリットがある。また大型展では、通常PR会社に広報事務局を委託します。なので、美術館に広報部署がきちんと設置されてこなかったのかもしれません。

「平昌子 + 藤井聡子 インタビュー:美術のPR・広報に、観客数だけでない評価軸を」、 Tokyo Art Beat
2017年7月1日

全くそのとおり。当館でも「大型の展覧会」は、今も昔も「PR会社に広報事務局を委託」してきた。企画展のために館内の広報兼任学芸員がやる作業は、地味な自主企画の告知にほぼ限られていた。

ウェブサイトなんてまだなかった90年代までだと、どこの美術館でも、情報発信といえば印刷物(プレスリリース、チラシ、ポスター)をあちこちに発送する程度だったろう。2000年代に公式サイトを持ち始めた頃にしても、状況は大きくは変わらなかったと思う。

転機は2010年代、スマホの爆発的普及と同時にやってきた。当館の場合、公式サイトを大規模改修し、pcよりもスマホでの情報閲覧を重視した仕様に変えたのは、2017年。上記の対談が行われた年だ。

そこから、公式サイトに情報を載せるだけでは誰も見てくれず、公式SNSを使ってユーザーにリーチしていくのが当たり前になるまでは、あっという間だった。さらには、紙媒体に加えてwebメディアの数が圧倒的に増えたことで、地味な自主企画であっても、画像貸し出しだの原稿確認だの、対応件数も倍増に。

では「大型の展覧会」はどうか。例えば今やっている「ピーターラビット(TM)」展では、当然ながら「PR会社に広報事務局を委託」している。立派な特設サイトも特設アカウントももちろんある。なので事務局に全部お任せ、かと思いきや。

それでは済まなくなっているのだ。大きな理由のひとつは、もちろんSNSである。

TwitterやFacebook、Instagramの特設アカウントに日々載せている情報、その全ての原稿を、美術館を含む共催各社の複数の担当者全員が、確認し赤字を入れ協議し修正し再協議し再修正し、という作業をやっているのだ。「中の人」がひとりいて、華麗に個性的にスピーディに呟いているわけではない。ツイートを読めばそのあたりはお分かりになるとは思う。ともかく、企画展がらみの仕事量は増えるばかりなのだ。


ところで。美術館のSNS発信といえば、なんといっても森美術館の担当者、著書『シェアする美術』で知られる洞田貫晋一朗さんがトップランナーだろう。webですぐ読める記事としては、以下の美術手帖のものが良いだろうか。2019年の記事だが、これも今でも面白い↓

いろいろと勉強になるが、ここでは特設アカウントをめぐる部分を引用しておこう。

着実に美術館そのもののフォロワーを増やしてきた森美術館。同館のアカウントについて特筆すべき点はまだある。それは、「展覧会ごとのアカウントはつくらない」ということだ。[後略]
「みんながせっかくフォローしてくれても、展覧会が終わればそれは『死にアカウント』になっていく。やり方としてはあんまりポジティブには感じないですね。最初の頃は(特設アカウントをつくることで)Twitterの検索上位に表示されたことが理由だったんだと思います。しかしそれはプロフィール欄にきちんと展覧会名とハッシュタグを入れることで対応できる。そうした工夫をすれば、すでにある美術館のアカウントでも十分に運用できます」。

「SNS時代の美術館マーケティングはどうあるべきか? 森美術館広報・洞田貫晋一朗に聞く」 web版美術手帖、2019年7月21日


特設アカウントが「Twitterの検索上位に表示」されても、それが美術館自体のフォロワー増に繋がるかどうかは別問題、という視点は重要だ。美術手帖サイドはさらに、美術館の「特設アカウント依存」の問題を「広報専任が不在」という問題とも絡めている。

[中略]ブロックバスターの特設アカウントは、展覧会の主催にメディアが入る(いわゆる「共催展」)という独特の運営体制が背景にある。しかし、それで美術館にファンは付くだろうか?
「大型の美術展は、広報・プロモーションを主催メディアに頼っている部分が大きいのだと思います。企画展のアカウントがあってもいいとは思いますが、そのファンも自分の館のファンになってくれるような仕組みづくりをして、ちゃんと運用していくのがあるべき姿だと思いますね」。
 日本では、美術館に専属の広報担当者がいない(兼務)、あるいは常勤ではないという館も多い。このような構造的問題も、特設アカウントという特殊な仕組みと紐付けて考えられる。

「SNS時代の美術館マーケティングはどうあるべきか? 森美術館広報・洞田貫晋一朗に聞く」 web版美術手帖、2019年7月21日

当館の場合は、特設アカウントとは良い関係を結べている。それは館の公式アカウント自体が、Zさん登場後のここ数年で、いい感じに育ってきたからに他ならない。

ピーター展のTwitter特設アカウントのフォロワーは約4000人、その記事を公式でリツイートすれば、当館フォロワーにも届く。その数は、現在約7000人。うすら寒かったウチの公式Twitter(フォロワーは3ケタだった)を、着任以来手探りで育てようと日々気にかけてきた、Zさんの功績だ。

洞田貫さんの著書や上記記事が出た2019年、非常勤の事務職扱いとはいえ、さらには広報業務未経験であっても、実務担当者が学芸部にやってきたのはやはり幸運だった。そしてギリギリのタイミングだったと、記事を読んで改めて思う。

美術館の広報って何を目指すのだろう?

ここで先の平さん&藤井さんの対談に戻る。いったい美術館の広報って、なんだろう。何を目指すのか。

洞田貫さんの話にも通じることだが、それは派手に宣伝して大量に観客を動員してなんぼ、という打ち上げ花火の連発ではなく、「ブランディング」としての営みなのだと平さんは言う。大きく頷けるポイントだ。

平: 広報は宣伝だと思われがちですが、一種のブランディングだと思うんです。だからこそ本当は、その美術館のことをつねに考えている人がいないといけない。海外では以前から、広報の専門家が広報を担当し、アート専門のPR会社と手を組むなどされているそうです。最近では日本でも、多くの美術館が独自の特色を打ち出そうとしていますよね。

「平昌子 + 藤井聡子 インタビュー:美術のPR・広報に、観客数だけでない評価軸を」、 Tokyo Art Beat 2017年7月1日

そして「ブランディング」とも関連すると思うのだが、「数値だけではない指標を持つ」ことの重要さも、真っ当に力説されている。それは学芸員として最も痛切に感じ、どうすればそれを行政側が納得するように示せるのか、展覧会をつくるたびに常々考えてきた点でもある。今後ますます、そこが広報のキモ、ミッションになるのであれば、幸いこの仕事に違和感を感じることはないかもしれない。

対談終盤では、行政に限らず、美術の世界は「マーケティング的な観念を持っている人が少なかったから」こそ数にこだわるのかも、という藤井さんの視点が逆説的で面白かった。「数値だけではない指標」づくりのために、例えばTwitterのコメントをアーカイヴする、という平さんの提言にもなるほどと思う。

藤井: 数にこだわるというのは、これまで美術の世界に、マーケティング的な観念を持っている人が少なかったことの裏返しなのかもしれませんね。美術の持つ社会的なインパクトや教育的価値は、数値化しにくいですものね。

平: そうですね。なので、とにかく触れる人の数を増やすということと、それとは別の価値基準を持つという、そのふたつをバランスよく持つことが求められている。
[中略]
平: Twitterなどに上がる感想も、よりきちんとアーカイブ化できたら面白いと思います。そのときは良い評価だけではなく、悪い評価も入れるべき。なかなか難しいとは思いますが、新しい評価軸を築いていく上では、そうした動きを作ることも課題です。美術のPRの世界は、まだまだ発展途上だと思うのですが、発展途上だからこその可能性もあるはず。若い人には、どんどんこの分野に関わってほしいと思います。

「平昌子 + 藤井聡子 インタビュー:美術のPR・広報に、観客数だけでない評価軸を」、 Tokyo Art Beat 2017年7月1日

さて、マーケティングの知識もなく学芸員として兼務せざるを得ず、しかも全く若くもない人間が、「発展途上」の「美術館広報」をとりあえず統括せざるを得ないこの現状。客観的に見てどうなのかとは思うが、それでも自分が何か役に立てるとすれば。

それは私が、「美術館に来るひとはここで何を体験しているのだろう」ということにものすごく興味がある学芸員だ、という点にあるだろうか。

本題に入る前に長く書きすぎたので、ここでいったんおしまい。本来書きたかったのは、「美術館に来る人はここで何を体験しているのだろう」を垣間見ることのできる、来館者アンケート、をめぐるエピソードだった。次回ということで!

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