いま「広報」って、何を知らせることなんだろう。
2月。緊急事態宣言、たぶん延長。来てください、と公には言えないままに「器と絵筆」展は閉幕だろう。ま、宣言が解除されようがされまいが、来れる方と同じくらい、来れない方はたくさんいる。
という状況の中、今回書いておきたいのは、広報の実働部隊として着々と良い仕事をしている、Zさんのことである。
2年前に着任したばかり。広報畑を歩んできたわけではないが、考え方にブレない芯がある。コロナとは関係なく、でもコロナゆえに今後ますますリアルに美術館が大事にすべきことを、私は彼女のおかげで鮮やかにイメージできるようになった。
安心して過ごせる、いい居場所だと伝えたい。
まず、世田谷美術館は「(お金があまりなくても)安心して過ごせる居場所」だとはっきり伝えていきたい。その辺りのことは去年の秋に書いた。↓
安心できる、いい居場所。自分が担当する「器と絵筆」展では、展示の空間構成、そして広報もそれを意識してやってみようと決めていた。でも空間はともかく、広報はどういうことになるんだろう。
SNS広告をどう使うか、自分で考える。
Zさんが提案してきたのは、初めてのSNS広告。外出規制でポスターの認知度が明らかに落ちている昨今、多くの美術館がSNSに展覧会広告を出し始めている。が、彼女が推してきた理由は、ポスターに載るような「作品」の宣伝ではなく、まさに「良い居場所」がらみのことだった。
去年の「作品のない展示室」。チラシもポスターも何もなかったのに、SNSでの盛り上がりで、セタビはなんか居心地のいい場所らしいって、イメージが広がりましたよね。そう感じてくれた方々に、「あ、あの窓のあるあそこ!」と再び思い出してほしい。そういう方々に届けるには、ポスターやチラシじゃなくてSNSだと思うんですよね。
他館の広告は作品画像が中心だけど、うちの場合は、展示室の空間そのものに語らせたいじゃないですか。素敵な空間を見せて、あ、夏に盛り上がってたところだ、また窓があいてる、今度は作品も見れるんだね、って興味を持ってもらう。一度でもつながったみなさんに、その時の体感を思い出してほしい。
・・・めちゃくちゃいいと思う!!と叫んだ私。
もともと、会場の記録写真は開幕前に撮ってもらい、すぐ使えるように計画していあった。ただの会場風景ではない、美しい空間の体感を伝え得るような写真。現代美術だとそんなの当たり前に重要、でも作品が昭和とか19世紀であっても同じだと思う。
それを、公式ブログやTwitterだけじゃなく、広告にも載せていくわけか。そうだよね、美術館で最も魅力的なものは何よりもまず作品である、とは限らない。
ちなみに美術展のSNS広告は黎明期ゆえ、請負業者のほうもまだまだ手探りであるらしかった。こうすれば見てもらえる、というセオリーがない。ますます良い話だ。自分たちで考える楽しみがある。
検討を重ね、「器と絵筆」の会期中、何回かに分けてSNS広告を出すことになった。TwitterとInstagramは「カルーセル方式」という、何枚かの画像が自動でスライドしていく広告だ。開幕前は、作品画像4点。開幕後は、作品画像3点とミュージアムグッズ1点。そして中盤にあたる2月初旬から、会場写真2点と作品画像2点になる。が。
それにしても、と思ったこと。
実際に来れない方が山ほどいる状況で、わざわざ経費を使って広告を打つって、これ、なんなんだろう。
来てくれ、と言えないなら、なんのために広告を出すのか。
最低限、緊急事態宣言が解除されない限り、公式サイトでの広報はもちろん、広告ではなおのこと、「好評開催中!」とか来場を促すような言葉は入れられない。というのが館としての判断である。
そこでZさんが考えたのは、広告に「動画公開中!」という一言を入れること。見にくい写真で申し訳ないが、えんじ色のマルがそのメッセージ。
動画というのは、「器と絵筆」展を紹介する2本。美術館に来れない圧倒的多数の方々のこと、場合によっては再休館という状況、それを想像しつつ、どう組み立てたら…とだいぶ悩み、なんとかかたちにしたやつである。後日、ヨーロッパ在住の同業者から「オンライン開館中」という清々しいメッセージの発し方があると学び、ああ、それだった!と思った。↓
そうやって作った動画を、Zさんは広告にうまく紐づけようと考えたのだった。
広告からリンク張って、たくさんの来れない方々に動画を見てもらえたらいいんじゃないかと。あと、あの動画はもともと、「いま来てね」というような一時的な宣伝じゃなく、うちの空間の心地よさと、独自な歩みとか面白さを伝えるツールとして長く使えるようにって、塚田さんも考えたわけじゃないですか。足を運べなくても、へえ、いい場所なんだなって広告から飛んで知ってもらえたら、意味がある。
Zさんの話を聞きながら、そうか、それってまさに「オンライン開館中」という信念を伝える一つの方法だ、とあらためて思った。展覧会をやってる、やってない、というのと関係なく、ミュージアムは来れる人にも来れない人にも、同じように開かれている。そういう姿勢そのものを、知らせる。広報って、そういうことなんだろうと、あらためて思う。
さらにいうと、そこに多少のお金を使うことも、決して悪いことじゃない。お金の使い方の再考、というのは大きな問題だが、こういう小さなところでしっかり考えることからしか、始まらないかも。
動画自体は、こんな感じ↓。 魯山人篇と、素朴派篇。 よかったら、ちらっと見てってください。SNS広告は、近日中に始まります。模索は続く。
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