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新婚3か月にして旦那さんと離れ離れになるまでの12日間

新婚3か月で、つい一か月前に結婚式で一生一緒にいると愛を誓い合ったばかりだったのに、コロナの影響で旦那さんとは離れ離れになってしまい、無期限遠距離生活が始まった。

21世紀にして、愛する2人が一緒にいられないなんてことはそうそうないと思っていたけど、そんなことがいとも簡単に起こった。

ニュースとかでは注目されない国際結婚というエリアで、コロナの影響を受けた一夫婦として、一緒にいられなくなったオーストラリア人の旦那さんと私の夫婦の話をどうしても残しておきたくて、

今日はノートを書くよ。

この12日間で私たちの身に起きたこと

私とオーストラリア人の旦那さんは日本に住んでいて、4月初旬にいっしょにオーストラリアに移住する予定だったのだけど、

コロナのパンデミックが起こって、それが叶わなくなった。

この12日間は望みが生まれては消え、生まれては消えの連続で、

「絶望」とはこういうことを言うんだな、望みがなくなるってこういうことか、私は今まで絶望を感じてきたことがなかったんだな、

ということをひしひしと感じながら、混乱の中を過ごしたよ。

私たちの運命を変えた嘘みたいな二週間の出来事はこんな感じだった。

3月15日 
オーストラリア政府が、すべての入国者に14日間の自主隔離を求めると発表。守らなければ厳しい罰金の対象に。
一気に先行きが見えなくなり、この日不安に押しつぶされて号泣する。

3月17日 

カンタス航空が3月以降のフライトを5月末までストップすると発表。
これを受けて、フライトを2週間早める。「3月いっぱいですべて済ませれば入国できる」という仮説のもと準備を進め、VISA申請が少しでもスムーズにいくようにと、名字を変更することを決める。
出発が早まったことにより、急遽20日~22日まで実家に帰ることを決める。
出発までに、VISAの申請のためにそろえる予定だった「犯罪経歴証明書」の発行手続きをあきらめる。

3月19日

オーストラリア政府が3月20日で国境を封鎖することを発表。
「3月末までに」という賭けの中で動いていた私たちは運悪く、名字変更によってパスポート変更申請中だったため、VISAを申請することもできず、まったく何もできないお手上げ状態に。私の20日までの入国が絶望的になる。

3月20日

国境封鎖以降でも、配偶者であれば入国できると知る。そのために私と旦那さんが婚姻関係であることを証明する大量の書類とVISA申請が必要になる。
私も旦那さんも詳細確認のため、大使館、移民局、VISAエージェントに問い合わせるものの、情報が少なく、オーストラリア政府のウェブサイトからしか分からないと言われ、またもお手上げ状態に。肝心のウェブサイトはアクセスが集中して開けず。
この日、実家に帰る予定だったのだけど、感染拡大防止と、私の入国が見送られそうなことから、実家に行くことを取りやめる。

3月21日

市役所に出していた私の転出届を取りやめに。婚姻証明書、住民票、名字変更届を発行してもらう。VISA申請に書類を使うには英訳が必要なため、プロのエージェントに翻訳を依頼する。

3月22日

オーストラリア政府が州封鎖を開始。これにより、州間での移動が困難に。VISAについて調べまくる。とれそうなVISAも取得までに3週間はかかりそうで、遠距離生活がほぼ確定的に。旦那さんが日本に残ることや、ありとあらゆる選択肢を考えつくす。

3月23日

予約していた旦那さんのカンタス航空のフライトがいきなりキャンセルに。問い合わせると、便を減らすためだとのこと。旦那さんとのお別れが急に早まり、カウントダウンが始まる。

3月24日 

オーストラリア政府が封じ込め政策を発表。スーパーや薬局など必要不可欠なサービス以外が停止する。
オーストラリアが経済難に落ち込むと旦那さんの職探しが困難になり、私たち夫婦がパートナービザ、永住権を取得することも困難になることから、一気に不安が高まる。
名字変更をしたパスポートをやっと手に入れる。50/50の賭けでVISA申請の準備を始める。大量の書類を用意し、大量のフォームを書く。

3月25日

オーストラリア人はオーストラリアからの出国を禁止に。旦那さんが日本に戻ってくることも当面不可能に。
プロの翻訳エージェントから翻訳が届く。移民局に問い合わせフォームを送る。
友人からVISAエージェントの弁護士を紹介してもらい、コンタクトをとる。

3月26日

移民局からの返事あり。結局VISAを申請しろとのことでVISAを申請する。
旦那さん、オーストラリアへ出国。

私たちの場合、名字変更=旦那のVISA切れ=出国日=私の仕事退職=コロナが完全に重なってしまっていたため、選択肢がかなり狭まったし、

かなり「なすすべなし」な状況になって、

精神的に打ちひしがれた12日間だったよ。

この他にもこの12日間の間には、旦那さんの会社で、旦那さんを含めてスタッフの半数が解雇になったり、

市役所への往復、各種問い合わせ等の情報集めに疲弊したり、

証明書発行、バス飛行機等のキャンセル、プロの翻訳家への依頼等、膨大なお金がかかったり、

長期スパンで永住権取得のこともふまえていろんなことを考えなきゃいけなかったり、

混乱とストレスに飲み込まれるのに十分すぎる要素が詰まっていて、

気持ちで言うと、

どんどん崩れていく崖のてっぺんにいるような感じだったよ。

オーストラリアは、外出制限がかかっていて、スーパーとか薬局以外には行けないし、

いけても1.5M以上感覚をあけることが義務図けられていて、

結婚式とかのイベントもひとつの部屋に何人まで、とか決められていて、

2週間の自己隔離も行われていて、

今は入国も出国もできなくなっているし、

かなり厳しくとりしめられている。

海外から見た日本はかなり「お気楽な危ない国」になっていて、

「日本はウイルスをばらまいている」「日本の政府は信用してはいけない。公表していないだけで感染者数は爆発的に増加していていずれアウトブレイクを起こす」

という風に見られていて、かなり恥として見られているよ。

旦那さんも、”Japan is so weird. The world is panicking at the moment, but everyone in Japan forgotten about it”

という感じで、世界は日本にあきれている感じもある。

私はの2週間ずっとオーストラリアを中心に海外メディアをひたすら追いかけていたのだけど、

日本とはまったく対応が違うし、国民の意識も全然違っていて、

かなり恐怖だよ。

日本でアウトブレイクが起こると、私と旦那さんが会える日も遠ざかって、影響ありまくりだから、

本当に政府にはふさわしい措置をとってほしいし、

コロナについてあまり何も考えてない人はせめて海外で起こっている状況を知って、

自分たちもそうなる可能性があるということを知ってほしいと心から思うよ。

限界宣言を出した日のこと

そんな12日間を過ごしたのだけど、ストレスがたまりにたまった3月24日、

もう何をしても涙が止まらなくなった私は

旦那さんに限界宣言を出した。

「私もうダメ。限界なの。ストレス値がマックスで、キャパを超えていて、糸が張っている状態で、何をしてもダメ。うまく考えられないし、何をしても泣けてくるし、大問題。」

ということを旦那さんに訴えた。

それは旦那さんも限界値を超えていて、

普段全く泣かない旦那さんも涙を流していたし、

よっぽどだと感じ取ったことをふまえて

「あ、いま限界宣言を出さなきゃ。この状態をとめなきゃ!」

っていう思いで伝えたよ。

それからは、「ストレスを開放してリラックスする」ことを最優先事項にして過ごしたよ。

ストレスをちょっとでも察知したら、いっしょにベッドに横になってお話ししたし、

好きなものを食べたり飲んだりしたし、

この3年間半の思い出話をひたすらにお話ししたりしたよ。

この12日間はストレスを感じまくっていてけど、

旦那さんととっても密な時間を過ごせた時間でもあって、

コロナの一件で旦那さんへの愛は増したし、

極限の中でも旦那さんのことを嫌いになることはなかったし、

毎日好きで好きで愛おしかったよ。

インタビュータイム

ストレスをなくしてリラックスするために、私たち夫婦は、

インタビュータイムを設けたのだけど(私が勝手に始めた)

「はい、インタビュータイムですー!!!」という感じで、

ペンをマイクに見立てて、旦那さんにいろんな質問をした。

■日本で一番好きな食べ物は?
■日本で一番好きな場所は?
■お父さんの好きなところは?
■お父さんとの一番の思い出は?
■お母さんの好きなところは?
■お母さんとの一番の思い出は?
■お兄さんの好きなところは?
■お兄さんとの一番の思い出は?
■明日世界が終わるとしたら何を食べたい?
■明日世界が終わるとしたら何をしたい?
■今どこにでもいけるとしたらどこに行きたい?
■今どこにでも住めるとしたらどこに住みたい?
■将来住みたい理想の家は?
■結婚を意識したのはいつ?
■遠距離恋愛で大変だったことは?
■日本に来る決断ができたのはどうして?
■日本でのベストメモリーは?
■私のどこが一番好き?
■私との一番の思い出は?
■今までで一番嬉しかったことは?
■今までで一番大変だったことは?
■日本に来た時、オーストラリアの何が恋しかった?
■オーストラリアに帰った時、日本の何が一番恋しくなると思う?
■日本とオーストラリアの違いは?
■日本に来てびっくりしたことは?
■オーストラリアに帰って一番会いたい人は?
■オーストラリアに帰って一番食べたいものは?
■オーストラリアに帰って一番したいことは?
■オーストラリアに帰って一番行きたいところは?
■今一番欲しい物は?
■お母さんの料理で何が一番好き?

という感じで、これ以外にもたくさんの質問をしたよ。

旦那さんの答えには愛があふれていたし、一問質問するごとに旦那さんへの愛レベルが1UPしていく感じで、

リラックス効果が絶大だったので、この12日間でたくさんインタビュータイムをしたよ。

コロナの一件がなかったら、このインタビュータムは生まれなかったかもしれないから、

その点ではとてもよかったよ!

無期限遠距離生活が始まり、今思うこと

12日間で感じたのは、日常は簡単になくなってしまう、ということ。

それもいとも簡単に!短期間で!なすすべもなく!理不尽に!

日常は奪われるよ。

これは誰にとっても等しくその可能性があると思う。

「遠距離っていっても数か月なんじゃない?」というのはかなり愚問で、

見通しのったった数か月と、いつどうなるか分からない数か月とではわけが違っていて、

もう一生会えなくなる可能性も0から100の中にあるわけで、

ただただ理不尽を突き付けられることになる。

「理不尽」っていうのを初めて知った気がしたし、私は今まで恵まれて育ってきて本当の「理不尽」なんて味わったことがなかったんだなと思ったよ。

理不尽な状況な中におかれると、こんな気持ちになって、こんな絶望を感じるんだな、と今回学んだよ。

仕事で嫌なことをさせられたり、恋人に降られたり、

そのなことはただただ選択肢を誤っていたり、負け戦をしただけのことだけど、

理不尽っていうのは、

いわばリングにも上がれない、勝負すらさせてもらえない感じで、

自分の力ではどうにもこうにも何もできなくなって、絶望感が強い。

今回のコロナのパンデミックもそうだし、病気とか、事故とか、殺人とか、自然災害とか、子どもが受ける虐待とか、

そういう類のものはきっと「理不尽」の中に入っていて、

世の中にはどうしようもできないことが確かにあって、

それを経験している人や、その渦中にいる人たちもたくさんいて、

私もこれからまだまだ経験していく可能性があって、

そうそう簡単には平和に生きていけないんだなと感じだよ。

大切な人を守るためにできることがあれば全力でしていきたいし、

世界の絶望を感じている人に少しだけ思いを馳せる視野を手に入れられたよ。

人生第1.5章

前に、「人生第2章」という記事を書いたように、私は4月から新スタートをきるはずだったのに、

思わぬところで、「人生1.5章」をたどることになってしまった。

もうどうしようもないので、

私はかなりポジティブに、コロナを徹底的に利用してやる!!という気持ちであふれていて、

思考を切り替えつつあるよ。

この人生第1.5章にあげたいチャプターはこんな感じ。

◇家族友達と存分に過ごす
◇ライター等WEBスキルを身につける
◇note書く
◇HPつくる
◇SNS運用をする
◇バリスタの練習をする
◇オンラインレッスンを極める
◇本を読みまくる
◇英語の勉強をする
◇VISAの準備をする
◇旦那さんとたくさんSkypeする

という感じだよ。

思えば旦那さんといると、旦那さんといる時間が幸せで楽しすぎて、

他のことがどうでもよくなってしまう現象が起きて、

だらだらしてしまうし、自己研鑽の意欲が下がってしまうから、

これを機会に自己を磨く活動を再開しようと思うよ!

こうやってポジティブに考えられる自分が好き!


そんな感じでがんばるよ!

それからこの一件で励ましてくれた友達とか、いろいろ調べて情報提供してくれた人もたくさんいて、

みんな優しいな、好きだな!と思ったよ!

ありがとうがすぎるよ!

旦那さんの家族もかなり支えてくれたよ!

絶望感が強くなると、感じられる愛も強まって、

それにはとても感謝しているよ!


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