女性を描く【隠しきれないもの】
今朝通りすがりの人の作品から
女性に対する優しさと恐れを感じた。
その作者である男性はたぶん
本物の肉体を持った女性と
野性的な本能むき出しで
交わったことがない。
だから表現方法が柔らかく表層的。
肉体を描いているのに肉質感がない。
歴代の女たらしの芸術家達は
女性の肉体が恍惚状態になった
その変容ぶりを知っているし
变化を促した自覚があるので
作品にそういう全てが現れる。
善し悪しではない。
好みと選択で表現方法は自由。
だけど俳優が名演技をするために
様々な人生経験を積むように
表現の幅や奥行きを拡張するには
やはり普段の暮らしのあれこれが
スパイスになるのだと
今朝の作品を見て改めて感じた。
人間はたいてい
普段の言動の奥底に
その時の「エネルギー値」を
ダダ漏れさせている。
作者が自分のかけらのように
作り上げた絵画や彫刻
そして文章などには
裸体をさらしているかの精度で
エネルギー状態が現れる。
誰かの作品や発信を
ぼんやりながめると
核と周りに漂う膜や波紋が視える。
それを言葉に落とし込むことが
得意ではあるのだけれど
たいていの人間は
あまり聴きたがらない。
なぜなら聞きたくない言葉があるから。
そこには触れて欲しくなかった
という敏感で繊細な部分に
触れられると魂が蠢く。
せっかく大人顔の仮面をつけて
クールに演じてきたのに。
それをたやすく指摘されて
図星だとキツイのだ。
長いこと信じてきた
信念や基盤を覆す言葉は苦い。
ずっと被っていたマスクを
引っ剥がされるのは
心の痛みを伴うから。
だけどそれを
ブレイクスルーに使うこともできる。
とてもきれいな作品だとしても
男として女としての
心身の深い満足感を
得たことのある人間と
そうでない人との間には
どうしても隔たりがある。
性的な恍惚感は宇宙とまっすぐに
つながる体感覚だから
それを肉体で感じた人と
そうでない人の壁はわかりやすい。
女性を描くと
それはむき出しになる。
自分が描いた女性をながめる。
やっぱりダダ漏れしている。
素敵な日曜日をお過ごしください。
(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2023.4.2 転載)
Grazie 🎶