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書かせるプロが編集者のポジション/作家の僕がやっている文章術080

仕事としての文章の位置を考えました。

書く側、そして読む側。

文章という表現法を介して、文化なのか、価値なのか、世界観なのかを成立させているのは、書く、読むという2者の構図にあるように見えます。

しかし書かせる側という仕事が存在します。

出版の世界では、編集者がこの書かせる側というポジションにあります。

マスコミ、出版と呼ばれるレガシーメディアで長く仕事をしてきました。

Webライターについては、世間一般並みの知見しかありません。

果たしてWebライティングの世界で、書かせる側である人たちがどんな仕事の仕方をしているのかは、それほど詳しくありません。

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名編集者と呼ばれる人たちに共通するのは、筆者のことを熟知している点に尽きるかなと思います。

もうひとつ、社会のことを熟知している。

どのように発信すれば、多くの読者を引きつけられるか熟知している。

社会と、筆者の接合点がどこにあるのか、それをどう表現すれば、多くの読者を引きつけられるかを、徹底的に日頃から考えている。

筆者以上に、社会を観察し、分析し、方向性を探り続けている。

書かせる仕事の醍醐味というか、面白さというか、読みがピタリと当たって、書かせた原稿が大いに売れたときに、充実感のある仕事なのだろうなと思います。

「先生、先生、こんなテーマでぜひ書いてください」なんて、手もみ、ごますりで、私を持ち上げる編集者とタッグを組んだ作品は、それほどヒットしませんでした。

「恋愛ではない愛情、しかし家族愛でもない、自己犠牲でもない。純粋な愛って、どんなものだと思いますか」なんて議論をふっかけるのです。

それも編集部でではなく、紳士服のバーゲンで一緒に買い物をした帰りに休憩するために入った喫茶店で、唐突に私に尋ねるのです。

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Mデスクは、書かせる側の仕事の達人だったと思います。

「日本の情でもない愛です。ヨーロッパのアガペーばかりがラブとは異軸の愛とは限らないでしょう。憐憫的なボランティアが日本では崩壊しつつあります。日テレの24時間テレビの視聴率が下がったんです」

バーゲンの戦利品のシャツを整理しながら、たまにアイスコーヒーのグラスに口をつけて、

「日本人は、これからの時代の愛のかたちを、探し始めるでしょう。ターニングはたぶん、東京パラリンピックあたりでしょうね。かたちあるものとして障害者スポーツを観る日本人は、もう同情とか憐憫とかが愛だとは考えなくなりますよ」

私が答えるのを、興味のなさそうにフンフンと聞いて、

「切り開く愛じゃなくて、生活の隣にある愛を描くとして……」

と、さらに議論を深めていくのです。

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私は、ものの30分で、仮決めストーリーを語ります。

Mデスクは、いつの間にかメモ帳に、私の語るストーリーを万年筆で書き込んでいて、

「じゃ、この線で来週末までに原稿をください」

まんまと書かせる仕事をスタートさせるのでした。

編集者という書かせる仕事のプロが、最近は減ってしまったなぁと、季節外れのアイスコーヒーを飲みながら私はいまnoteの記事を書いているのです。


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