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「許す」ということ

今日は「許し」について、ディスカッションとワークをする機会がありました。様々な意見を聞いているうちに、本当に「許す」ということは、どういう状態になることなんだろうと深く考えさせられました。

ワークを通して、自身でどうしても許すことが出来ていない相手のことを強く思い出すこととなってしまい、脳も心もどっと疲れて、どうしたらその出来事を100%忘れることが出来るのだろうか、とモヤッとしたままだけど、ほんの少しだけ受け入れることが出来たので少し進歩できたのかな…

「許す」の定義

まず「許す」とはどういうこと?その問いかけに私自身は、その起きてしまったことを、変えられない事柄として受け入れて、起きてしまったこととして呑み込んでしまう、そんなイメージを描いていました。でも、実はそれだと、まだ心のどこかで許せていないのですよね。

そうですね、、受け入れている状態は受け入れられた、というだけで、許せたという事ではないのかもしれません。

では、「許す」ってどうなること? その出来事を自分の中で、切り離して手放すことができること、ひいては気にならなくなり、全く思い出すことも無くなること。すっかり忘れてしまうことができて初めて、許せている自分がいるのではないでしょうか、という話になりました。

自然と忘れることができている状態が、理想的です。ただ、なかなか本当に嫌だった事柄を、すっかり忘れることは無いですよね。自分の中で見て見ぬふりをして過ごしたり、相手がいることならその人はそういう人だから仕方がない、他人は変えられないからと、そのことを受け入れて認めることがやはりいっぱいいっぱいであるかもしれないです。

起きたことは許せないままでも、相手を許してあげてほしい、とも言われました。戦争や闘争などで大事な人を殺されてしまったとして、戦争は許せないし2度と起きて欲しくないと強く思ったままでも、その殺してしまった相手のことはいつか許すことが出来ると良いって。正直、そんなふうに考えれる人は一握りなのでは、と思う私がいます。

許せない事柄とは?

どういう事柄や、相手だと許せなくなりがちなのかについても、時間をかけて考えました。人によって色々違うかと思いますが、特に近しかった人、信じていた人との間のトラブルや、自分がそれまで大切だと思っていたことに関係していると深い怒りが生まれて許せなくなっている人が多いような気がしました。

自分自身のことが特に許せないことが多い、という意見もありました。私は自分に相当甘いのか、そこはあまり共感できずにいたのですが、世の中的にはそういう方がとっても多いそうで、きっとそれは他人を許せないでいることより、とても苦しくて辛いのだろうな、と思いました。

私自身が許せない人、思い出すと怒りが込み上げるくらいの人は、後にも先にも一人しかいなかったのですが、その事柄がリアルタイムで起きていた時、許せない相手がなぜ許せないままなのか、と思い返すと、時期が重なったこと以外何の証拠も無いのに、その出来事が原因で私は自分がスキルス胃がんになったのだと、どこかで強く思い込んでいるからだとわかりました。その当時のストレスは半端なくて、自分でも気づかないうちに身体が正直に反応したのだと思っているのです。

強い恨みや怒り、強いストレスによって、コルチゾール(ストレスホルモン)が異常に分泌され、免疫力を下げ、がん罹患に何らかの影響があったと思えて仕方がなくて、それは自分が大病を患ったことを何かのせいにしたかったのかもしれないと思う時と、いやどう考えてもあの出来事によるストレスが原因だったと考えてしまう自分がいて、このことだけは5年たった今でも乗り越えられていない私がいます。

「許しのワーク」をやってみて

実際にオブザーバーになったり、当人や自分に入ってみたりして、長い時間をかけて相手に何が足りなかったから、何が必要だったから、そういうことが起きてしまったのかを考え、そのリソースを相手が持っていたら?自分も持っていたら?状況が変わるかどうかを試すという作業をしてみたんですね。

あまり思い出さなくもなっていた相手を強く鮮明に思い出して、その人になってみて物事を考えるという時間は、久しぶりにとても重たくてキツくてしんどい思いをしましたが、我慢しながらも一生懸命やってみて、一つだけ分かったことがありました。

その人に足りなかったリソースは、人を信じること。

何を言っても信じてもえない人のことは、こちらも信じられないので、仕事上関わった方でしたが、信頼関係をなかなか築けないという負のループを作ってしまわれていました。その人にもう少し人の話を聞く姿勢があって人を信じることが出来ていたなら、きっと多くの他人にあんなにストレスを与える人にならずに済んでいたかもしれないのに…。少しだけ可哀想な人だったな、って思えるようになりました。

それは、私がその人との間に起きたことを100%許せたわけでは全くないけど、少なくともその人が私にあのような態度だったのは、人が信じられない人だったから。そして、そんな人にこちらも心許すことが出来ず、人として信頼することも尊敬することも出来ない相手になってしまっていたという事実。心理的安全性のレベルでいうと最悪の状態が続いていました。でも、彼がそのような大人になってしまったのは育った環境も強く影響しているし、仕方がないのだな、とまでは思えるようになりました。

まとめ

今でも思い出したくもないくらい嫌な思いばかりをさせられた相手のことではありましたが、その時のその人を少しだけでもファクトとして「受け入れる」ことができて怒りも和らいだし、自分の中でも、その出来事に関して、心がちょっとは穏やかになったと実感することが出来ました。「しなやかな心」を少しでも育てていきたいと思います。

今日は無理矢理「許し」について取り組んだので、過去から思い出したくない出来事を引っ張り出してきてワークをすることになりましたが、最近の私は「いま・ココ・自分」にだけ集中して過ごすように心がけているので、ハッピーは確実に増しています。色々と考えさせられた1日でしたが、結論としては、過去の嫌な出来事はなるべく今後も引っ張り出さなくていいかなと、思った次第でした。

PS.
1日経って、やはりあの時の自分自身を許すことから始まるのかな、という気がしています。


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