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正しいことが必ずしも最善とは限らない

こんにちは。今回は「正しいことが必ずしも最善とは限らない」ということについて語っていこうと思います。

みなさんは、日々、「正しいこととは何か?」ということについて考えているでしょうか。
私は常日頃、「正しいこと」について考えています。

そもそも「正しいことを考える」とは何かですが、それは物事を判断するということです。
例えば、人は毎日行動をしています。その行動をする上で自分がしようとしているその行動が正しいのかどうか、それを判断することや、誰かの意見を聞いて、それが正しいかどうかを判断することもそうです。

判断基準として私がいつも考えていることの中で一番大きいことは、それに矛盾がないかどうかです。一つの話において、目的を明確にしてそれに則した行動になっているか、目的を見失っていないか、というのはとても重要で、一つの目的に対して何か行動をするとき、その時々で新しくやることが増えてくると、人はもともとの目的を見失いがちです。
この、「目的とは」についてはまた別の記事で詳しく書こうと思っていますが、この目的を見失うと、なぜその行動をしているのか、そもそも何のためにその行動をしているのかがわからなくなり、話に矛盾が生じやすくなります。こういった矛盾に気づくこと、というのはとても大切なことです。

少し話がそれましたが、このように日々正しいことは何か、ということを考えることはとても大切なことです。
しかし、この正しいことの判断基準について話す前に(※こちらは別記事で詳しく書きます。)みなさんに何より意識しておいてほしいことは、本記事のタイトルでもある、「正しいことが必ずしも最善とは限らない」ということです。

これはつまりどういうことか、詳しく説明していこうと思います。
「何故正しいのに最善ではないのか?」そう思う方もいるかもしれません。
まず、人は感情を持っています。そこに注目してみてほしいのです。
その感情は、正しさと伴っているわけではありません。
わかりやすく具体例でいうと、何かをした後に片づける、それは間違っていることではなく正しいことだと思いますが、片づけることに対して面倒くさいなど、マイナスの感情が働くことはあります。
何かを壊してしまい、それを高いお金を支払って弁償をする。これも正しいことだとは思いますが、その行動をすることは本人にとって気持ちの良い感情になるものではないかもしれません。
このように、正しいことをしているからといってプラスの感情ではないことはたくさんあります。ただ、この具体例のような話でいうと、やらなければいけないことはやらなければいけないので、感情はあまり関係ないかもしれません。
では、これが人間関係だったらどうでしょうか?
例えば身近な具体例として恋愛における人間関係でご説明しますが、正しいことを言っているのに相手の気持ちが冷めてしまうということはよくあることです。つまり、これは正しいことが最善ではなかったという例の一つになります。恋人に対し、正しいことを言っていたけれど、相手は理解してくれず、自分に対する気持ちも冷めてしまった。きっと、言った本人からすればたまったもんじゃない、と思うかもしれませんが、実際にこういうことは珍しくはありません。
ほかにも、仕事で同僚などに対し、正しいことを言っているだけなのに人間関係がうまくいかない、疎まれる、伝わらないということもあるのではないでしょうか。

では、正しいことが最善ではないのであれば、どうすればいいのか?間違ったことをするべきなのか? いえ、そうではありません。
時にはその正しい選択をあきらめることです。あきらめたり、伝え方を変えたり、その時々でアプローチを変えていく必要があります。

先ほどの恋人との関係の話で言えば、どう考えても彼(もしくは彼女)がするのが正しいけれども、それを代わりに彼女(もしくは彼)がやってあげる。例えばこのようなことをしたときに、確かに正しさを主張するのであれば彼(もしくは彼女)がやるのが正しいかもしれません。でもそれを代わりに彼女(もしくは彼)がやってあげることが間違いというわけではありません。こういう場合にどういう選択をすることが最善なのか、それは何を優先したいかによります。2人の関係よりも正しさを主張したいだけなのか、それとも2人の関係を優先したいのか。
2人の関係を優先したい場合、正しさを主張して2人の関係が崩れてしまったら元も子もありません(※1)。ここで代わりにやってあげることで、相手は、「ありがたい、本来自分がやるべきことをやってくれた、優しい、今度は自分が代わりに何かをやってあげよう」そう思うかもしれません。
そうすれば正しいことを主張するよりも、2人の関係はより良いものになるかもしれません。
さきほどの仕事の例でいえば、例えば伝え方を相手を労わる言い方に変える、正しいかどうかではなく、その同僚がやりやすいやり方にこちらが譲歩するといったこともあるかと思います(※2)。そうすれば、相手は自分を労わってくれている、と思ってあなたに対する見方が変わるかもしれません。

このように、長々とご説明しましたが、人間関係を重視する場合、優先する場合、必ずしも正しいことだけが最善というわけではないのです。本当のことだからといって何でも言っていいわけではないように、正しいからといって何でも言っていいわけではありません。
人とかかわる以上、人の気持ちを意識した発言や行動をとることが人間関係においてはとても大切なことです。
正しいことは何かを判断できるようになることは日々の生活をしていく中で、社会生活を送る中でとても大切なことにはなります。ただ、それを判断できるようになることと、人間関係を円滑に進めていく、ということは別だということをいま一度意識したうえで、正しいこととは何かという判断をこれからもしていっていただけたらと思います。

正しいことの判断基準、正しいことを判断することについてはまた別記事で記載しますのでそちらも是非お読みください。本記事に関する私の実体験も近々記載予定です。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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(※1)誤解を招かないために補足しますが、間違っていることを受け入れろ、すべて相手にあわせろ、といった話ではありません。
(※2)やらなければいけない仕事はやらなければいけないので人の仕事を代わりにやるべきという話ではありません。

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