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旅のすえ また大川に めぐりあう

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彷徨を続けた人生でしたが、いまは大川の畔にもどっています。
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#佃島

ポリマーとファイバーグラスで作られた「懐かしさ」はいらない

日本昨今50年の激変は世界の500年に準ずる。 500年は言い過ぎだろうか・・しかしそういいたく…

勝鬨美樹
2年前
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ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#03

浅草紙という。江戸時代に浅草山谷付近で生産された再生紙のことだ。原料は、吉原や浅草あたり…

勝鬨美樹
2年前
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ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#02

【いわゆる僕らが知ってい薄い乾燥海苔は「板海苔」という。基本形は縦7寸横6寸が本寸法、全形…

勝鬨美樹
2年前
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ようなもの

「お魚、何にしますか」 「何ができるんだ」 「できますものはつゆはしらたらこぶあんこうの…

勝鬨美樹
4年前
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旅のすえ また大川に めぐり逢う

▼On our journey, we meet the OhKawa River again #oldginza #oldtokyo #oldjapan #showa I…

勝鬨美樹
4年前
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母が見つめた忘却という川

When I turned 80 years old, my mother said she was going to close down the store. It's b…

勝鬨美樹
4年前
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傷痍軍人がいた風景

仲町の八幡様。お縁日に出かけると、境内に入る数段ある階段の脇にいつも白衣の傷痍軍人さんがいた。軍隊帽を被り、手にボロボロのアコーディオンやバイオリン、ギターを手にして、なんとも子供心にも哀しい軍歌を弾いていた。そして必ず手か足か四肢が欠けていた。 母はそんな彼らを見ると、必ず喜捨した。あるとき言った。 「何だろうと日本の国を守るためにご奉仕したンだからね。無念だろうね」 その母の言う「無念だろう」という言葉の意味が判るようになったのは大人になってからだった。その頃にはもう

日本男子という言い訳のこと

三十台になって初めて恋をした。そして二人の娘を授かった。しかしその稀有な幸運と幸せを、ま…

勝鬨美樹
4年前
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接待酒の話

It's been a long time since I stopped drinking alcohol for entertainment. I didn't like …

勝鬨美樹
4年前
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和らかで かたく持ちたし 人ごころ

和らかで かたく持ちたし 人ごころ 水谷緑亭 佳い川柳だね。佃島に生きた水谷緑亭のものだ。…

勝鬨美樹
4年前
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