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傷痍軍人がいた風景

仲町の八幡様。お縁日に出かけると、境内に入る数段ある階段の脇にいつも白衣の傷痍軍人さんがいた。軍隊帽を被り、手にボロボロのアコーディオンやバイオリン、ギターを手にして、なんとも子供心にも哀しい軍歌を弾いていた。そして必ず手か足か四肢が欠けていた。
母はそんな彼らを見ると、必ず喜捨した。あるとき言った。
「何だろうと日本の国を守るためにご奉仕したンだからね。無念だろうね」 その母の言う「無念だろう」という言葉の意味が判るようになったのは大人になってからだった。その頃にはもうそんな白衣の人々は消えていた。
先の大戦の時、朝鮮民族は日本国民だった。だから戦争へ日本人として従軍した。戦い、ある者は亡くなり、ある者は傷ついた。

敗戦後、朝鮮は日本から独立した。日本政府は、日本人として戦ってくれた彼らに慰労金を出した。朝鮮政府はそれを一括して受け取った。しかしその金は、彼らには届かなかった。日本人として戦った男たちは、朝鮮政府から徹底的な排撃され憎まれたのだ。
彼らは日本政府に訴えた。しかし日本政府は既に支払い済みとして一蹴した。人の出した血と苦痛の判らない奴等の間に挟まれ、貧困と苦悩に塗れた人々なのだ。
母がもらした「何だろうと日本の国を守るために」という言葉の重さ。それは今でも思う。 人の痛みが判らない輩は、鬼畜だ。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました