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人工的な食べ物や環境が人造人間を造り出してしまったのかもしれない

人になかなか理解してもらえないことを書いたけど、

そんな自分になった原因としては、昔より感覚が鋭くなっているということがあるのかもしれない。

昔は感じなかったことが、最近になって感じられるようになったからだ。

きっかけは1人暮らしをして1人の時間が増えたこと。
単独作業の仕事を経験したことでさらに1人の時間が長くなったこと。
しかも仕事はパソコンを使ったりするオフィスワークではなく、体を動かすことがほとんどだったこと。
外で作業することもあり、太陽や風、植物や鳥なんかを日常的に感じる機会が多かったこと。

ある意味、仕事中に自然を感じながらデジタルデトックスできていたおかげで、感覚が研ぎ澄まされ、より人間らしくというか動物らしくなったのかもしれない。そして1人で自分に集中できることで気がつくことがたくさんあった。

この経験によって、なんだか色んなことが悟れるようになったような気がするのだ。

そしてできるかぎり、自然にあるものをありがたくいただく。自分を作る食べ物をちゃんと選んでいるということ。人工的なものはなるべく避けることで本来の身体の能力を発揮できると思っている。

人間とはなかなか複雑な生き物である。
最近はもはやかつて動物であったことがわからないくらいに、進化しすぎた「人造人間」とも言えるのではないか。

私たち人間が創り上げたデジタル化が動物的な能力を奪い、生き物というよりは機械的になってしまっている。そして自然界に存在するそのままの恵みである野菜や果物、魚や肉などだけでなく、人工的に作られた食品が必要以上に販売され、それによって私たちの体が作られているからだ。

何にしても人工的に作られた化学調味料や栄養が添加されていたりする。 
そして、いよいよ完全メシたるものも販売されるようになった。栄養をサプリなどで取る時代。

そうなってくると、やはり自然界に存在する動物であったことは遠い過去の話で、まったく違う世界の生命体かのようである。

最近の人間が起こす事件や出来事そのものが、今まででは考えられなかったことばかりだ。
そこにもはや心など存在せず、今まで人としてタブーとされていたようなことが平気でできるのだ。そしてあらゆることに頭脳を駆使してズル賢く醜い欲望を現実にする。

知らなかっただけで、きっと今までもあったのだろう。でも今はそれが広く一般化している気がする。

最近のニュースを聞くと、人はこんなことさえもできてしまうのかと怖くなる。

おそらく化学的な食べ物やデジタルによって支配されているのだろう感じている。

田舎で自給自足をしながらいまだに自然と共存して助け合って生活している人たちもいる中で、あまりにも世界が違いすぎる。

自然に触れたり、自然の恵みをいただくことで、私たちは本来の健やかな姿を取り戻せるような気がしているし、まだまだ地球や自然と共存できるし得られることはたくさんあって、それが心を豊かにするのではないかと思いたい今日この頃。

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