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相談の場を活用した結果

私ね、今まで相談って

「もうこれ以上どうしたらいいかわからない!」

っていう感じでね、自分ではどうにもならなくて、どうしたらいいかもわからないときに相談してたの。

「自分でわからないから人に聞く」というスタンスだったみたい。

コレって自分に自信がないのを、さらに強める要素でしかないってやっと気づけた私。

それは長男のこの言葉がキッカケだった。



相談の仕方が変わったら、相談することでスッキリできるようになったという体験の言語化。


いきなり結論

長い文章を書くときに大切なこと。

まず、結論を伝えること。

今回も長くなったから、最初に結論を伝えようと思う。


私は相談の仕方が変わったら、相談後の罪悪感やモヤモヤが減って、次に進む活力をもらえるようになったと自覚したんだけど、そのコツは2つあった。


ひとつは、わからないなりに自分の中で結論を持つこと。

もしくは今の気持ちをしっかりと言葉に変えておくこと。

相談するためには、ただわからないモヤモヤとした気持ちのままでは相手に伝わらない。

だから言葉には変えておく必要がある。

相談する準備というか、心得ね。


もうひとつは、自分の出した言葉に対して相手がかけてくれた言葉が、自分にどんな影響を与えたかを冷静に感じておくこと。

この言葉で私は楽になった、ホッとした、新しい考えが湧いた、世界が広がった、などなど。

落ち込んだ自分に響く言葉がどんな言葉かをちゃんと理解するってすごく大事だと思う。

それは感情コントロールを自分でできるようになっていく上で、とっても必要なことだから。

自分に必要な言葉を自分にかけてあげられたら、自分の機嫌を自分で取れるようになる。

それが精神的な自立につながるよね。


相談するのが苦手だった経緯

私ね、昔から相談って苦手だったの。

相談しても思うようにならないというか、相談してよかったと思える体験があまりできなかったのよね。

もっと言うと相談相手にかなり依存してた感じ。

そのときの自分にとっていい言葉を言われたら良かったと思うし、かえって傷ついてしまうこともあって、そんなときは相談前よりも落ち込んでた。

今思うと、相談のための準備ができてなかったのよね。

自分の気持ちや考えを自分の中で言葉に変えられてなかった。

だから誤解されたり、伝えきれなかったり、相手の価値観で押し倒されちゃったりしたと思う。

だけど、そうなってるって自覚が全然なくて。

ただただそのときの感覚や感情に振り回されるだけだったな。


一方で、私は人の役に立ちたい気持ちが強かったから、誰かの役に立つような「相談される」ことへの憧れは人一倍あってね。

人から相談されたときはできるだけその人のためになるような言葉を選びたかったし、自分の経験や価値観を総動員して本気で一緒に考えてきたの。

でもあんまりいい感覚にはなれなかった。

相手の欲しい言葉を言ってあげられなかったっていう罪悪感ばっかりが残っちゃったなぁ。


だからきっと、今まで相談するのもされるのも苦手だったんだ。

でもさ、生きていく上ではどうしても自分ひとりの考えでは限界があるしね。

そう思ってたから、困ったら積極的に人を頼るようにして、自分の世界を広げようと努力してきたのよね。

それ自体が良くない訳ではなかったと思うけど、やっぱり上手く相談を生かせてない感じは常にあって、人との対話の苦手感につながってる気がする。

頑張ってるのに、自信につながらないっていうね。


それってなんだろうなぁって、ずっとモヤモヤしてて。

子育ての相談を支援機関とするようになって、さらにそれを実感するように。


子どもの心配や不安を相談できるのは心強いんだけど、同時に起こるモヤモヤにいつも悩んじゃう。

なんだかスッキリできない。

だから予めレジュメを用意して、考えの整理をしてから臨むようにしたんだけど、それでもやっぱりモヤモヤする。

上手く気持ちや考えを言葉にできてなかったのよね。

でもそういう分析もできてなかったから、「レジュメを作る」までは対策したものの、もう少し先まで行けなかったのね。


モヤモヤするのは「わからない」から

「自分の考えがないうちに、人に聞いたら自分がなくなる」

長男の鋭い指摘に、長年の悩みが晴れた気がしてビックリした。

さすが私をよく見てるよね。


長年、私の相談の姿勢は、「わからないから教えてほしい」だったのだと気付かされた。

わからないから聞くって当たり前だと思ってて。

考えてもわからないから教えてもらうんだと。


もちろんね、学校では自分の意見がないうちに質問するのはダメって言われてたからね、こう考えているんですがって意識して言ってたよ?

でもいつの間にか、人に聞いた方が早かったり、そもそも仕事する上ではそこでのやり方が決まってることが多かったから聞くしかないこともあったりで、自分の考えなんて無い方が上手く回るなー、会社のそうあるべきを知る方が大事だなって思うようになっちゃってたかも。


「答え合わせをするつもりで」

このスタンスに変えたら、相談の時間が短縮して、自分が知りたいことが明確になった。

あれ、この部分の問題だったんだってわかった。

いやーー、なんでだろうね。


ううん、答えはわかってる。

「自信を失くし過ぎてたから」自分の意見なんて言えなくなっちゃってたのよ、無意識に。

私はわかってないに違いない、理解できてないのかもしれない、そんな不安から自分で考えることは間違っている可能性が高いって思ってた。

私なりに考えがあってやってることなのに、いいのか悪いのか右往左往。

うまくいかないとどうしたらいいかわからなくてテンパっちゃう。

そんなに自信無くさなくていいのにね。

だから正解が知りたかったのよね。

私の考えていることは「間違い」と思い込んでるから、上手くいく「正解」を教えてもらおうと思っちゃったんだ。


今日の相談

今日は三男の就学における不安を解消することを目的に、市の子育て相談と療育センターの担任と2か所で相談。

市の子育て相談では、市のサービスで良さそうなものがあれば提案してくれそうだし、療育センターでは三男の特性を加味した相談ができると思って。

どちらも

「私はこういう状況と理由があって、こう考えているのだけど、そうするともう仕事を辞める選択肢しかないように感じる。」

という相談をしてみたの。


市の方は子どもの支援サービスの部分や職場との相談の仕方にフォーカスが当たり、療育センターでは三男の特性での見立てから考えられることにフォーカスが当たった。

どちらも私の思考の外にある視点やもう少し調べた方がいい部分が明確になったよね。


夫の帰宅後、夫と最終的な話し合いをしたのだけど、結論が出るのが早かった。

というか、いろいろ吟味した上でこうするしかないと思っていた内容だったのに、新たな視点がまた生まれたのよ。

新しい解決法に少し希望が持てたような気持ちになった。

あとは私の不安な気持ちを言葉にして伝えられたのも大きくて。

2回も話した後でしょう?

わかりにくいところは相談先から質問してくれたから、それに答えているうちに自然と言葉が増えてたんだよね。

夫にめちゃくちゃ伝わりやすかったんだと思う。

夫も夫で、私の気持ちが理解できたからちゃんと意見を出してくれて。

すごくいい話し合いになった。


以前はね、私の困り感がどうしても夫には伝えきれなくて。

わからないとか、どうすればいいわけ?みたいな感じで、解決策に至らないことが多くて、私が結局は背負うしかなくなっちゃって。

つらかったの、それが。

まずは自分が困ってることが言語化できないと話にならなくて、次に状況を整理したり必要な情報を集めたりして、最終的に判断するみたいな流れがうまく作れなかった。

でもやっと自分が何に悩んでいて、どこが不安に思っていて、どう考えているのかっていうことをちゃんと言葉にして伝えられるようになってきて、そこに的確なアドバイスをもらえるようになって、相談することで自信につながることも増えたのよね。


今回の相談のキッカケは、三男の療育の個別面談が先日あったこと。


そこで三男の特性と小学校入学時に必要なことを細かく向き合ったことで、夫婦ともに入学時の見立てが明確になったのね。

だけどその見立てからの見解が夫婦では真逆で。

夫は「オレも協力するから何とか乗り切っていこう!」と前向き。

私は細かい部分が把握できたことで逆にどうなるかわからない不安な気持ちが増えてしまい、「私が仕事を続けていくのは無理でしょ。」となってしまって。

夫と相談していく上で、自分の考えがどうなのかの客観視も難しいくらい不安が強まってしまったから、立て直す必要が出てきた。

こういう大事な局面ほど、ひとりでは考えない方がいい!という私なりの経験則で、人に相談することにしたのがキッカケね。

実は職場の面談も来週に控えているから、感情に流されていてはいけないもの。


だけどさ、自分なりの考えをしっかりと持つことがこんなにも難しいとは。

不安の塊になっちゃって、自分の考えが飲み込まれちゃうんだよね。

そんなふうに初めてこの状態の自分を客観視できたかもしれない。


気持ちを立て直すことが先決

不安な気持ちに飲み込まれてしまうと、正常な判断はできない。

まずは気持ちを立て直すしかないのよね。


最初に自分の気持ちに向き合った。

仕事やめたい。

上手くやっていけなさそうなのが見えてるから、とにかくいちばん優先すべき三男の就学だけに集中したい。

三男の就学だけに集中したいと言ったって、次男は小6で修学旅行とか卒業とかいろいろあるし、高校は行かないって言ってる長男は中2になるし、必要なサポートってまだまだいっぱいある。

仕事してたら絶対に無理!!!

子どものことをたくさん考えて、必要な関わりをしたいし、それ以外の時間はゆっくりのんびり自分のことをしていたいよ。


なんていうか40代に入って、より自分の馬力が減ったことを如実に感じてるの。

今までだったら頑張れたことが頑張れない。

頑張ろうとすればやれなくはないけれど、そのあとにドッと疲れて家のことができなくなる。

例えば夕飯を作るとか。

細かな部分の掃除とか。

シーツを洗濯するとか。


夕飯は何とか重い腰を上げてでも作らなきゃと思うし、最近では長男がいい力になってくれるから、汁物と主菜、副菜の3つは作ることができてる。

だけど細かな部分の掃除やシーツの洗濯はぶっちゃけやらなくても死にはしないでしょってなって、先延ばしになる。

これがすごくイヤで。

やれなかったことがどんどん積もっていくの。

でも誰の目にも見えなくて、気づかれなくて、私の心にだけ積もって重たくなるのよ。


なんでもキチンとできないのは仕方ないんだから、やれることやって何とか前向いていくしかないじゃない?って言われたらそれまでなんだけど、でも気になるのよ。

感覚だからね、勝手に湧いてきちゃうの。

それにね、気にしなかったら衛生面どうなるのよ?と思うでしょ。

うちの家族、それを気にする人が私以外にはいないように思うし、気がついたらくっさい!!ってなりそう…コワ!!


現実、次男がね、気づいたら臭いのね。

何かと思ったら帽子。

多分雨の日もかぶって、濡れてそのままにしていて、菌繁殖!

マスクも気づくと洗濯してない。

なんなら気にかけてないとお風呂にも入ってない(個人用の浴用タオルが洗濯に出てなくて判明)。


余裕がないと「ダメだよ、洗濯しないと!お風呂入らないと!」って言うだけになる。

でも多分、言って気づかせることが最適じゃないと思う。

自分のことを丁寧に考えることができてないとか、目の前のことでいっぱいになってるとか、ストレスの処理が上手くいってないとか、そういう見えない部分を考えてあげる必要があるんだよね。

自覚はある。

不登校の長男と、知的に遅れのある三男。

次男だって特性があってしんどい思いをしてるのに、目をかけられにくい状況に置かれてしまってるからね。


そういう部分にも配慮をしていくには、私自身が仕事で自分が振り回されてしまったり、気持ちの揺さぶりがあると難しいのよ。

そういう部分なの。

もっと子どもの心に丁寧に関わりたいのよ。


うんうん。

自分の気持ちがわかるだけでも、ちょっと落ち着く。

私の心の声なんだものね。

それって感覚でさ、言葉にしないと誰かには伝わらなくて、伝えることは悪じゃないよ。


ただね、伝えるときに感情が整理できてないと、言葉にならない部分が全て感情になって言葉に乗っちゃうのよね。

だから人に伝える前にすることがある。

自分の気持ちを言葉にして理解することで、心をニュートラルに戻すこと。

そして意識をフラットに戻すこと。

そのためにひとりで簡単にできるのは、「カラダを動かすこと」じゃないかな。

しっかりと気持ちを受けとめられたら、次はカラダを動かすのよ。

意識をカラダに向けて、しっかりとコアを感じて、深く呼吸をしながら取り組む。

自分のためにもと思って、不安解消プログラムを作って、音声配信してみたよ。

私も自分の声を聞きながら取り組んでみる。



音声にした理由は、カラダに意識を向けやすいから。

動画だと「見て真似る」ことに意識が向くから、どうしても自分のカラダへの意識が減っちゃうのよね。

ただただ目をつぶって、カラダの動きや筋肉の収縮に意識を向けるの。

深く呼吸をして動くとカラダが温かくなってきて、血流が良くなったのを感じる。

冷えは万病の元だものね。


フラットになった、と感じたところで相談先に電話。

驚くほど自分の中から整理された言葉が出てきて、伝えたいことが相手に伝わっていく感覚が得られてビックリしたよ。

伝わったと思うから、安心する。

そして、伝えることで改めて自分の気持ちの輪郭がハッキリする。

「自分を感じきる」ってこういうことか!


自分の心の扱い方って、人それぞれあると思うの。

私はこうやって、自分の気持ちをしっかりと感じてあげて、それを誰かにも受けとめてもらえることが大切みたい。


これって…私の母は下手だったのよね。

私の気持ちを理解するよりも、こうした方がいいって言う人だった。

理解する前に勝手に思い込んで話し始めちゃう。

特性で仕方ないんだけどさ、そういうのが下手だったのよね。

悪い人じゃないし、本人は一生懸命相手と向き合ってるつもりなんだけど、話し方のクセよね。

私にもすっかり移ったから、母も祖母からそうされてきたのかもしれないね。

母の両親は不仲で、いろいろと気を遣ってたみたいだから。


まずは自分の気持ちをわかってあげて、受けとめる。

それができないと、他の人にもできないのよ。

私は子どもの気持ちをわかってあげて、受けとめてあげたいって気持ちはいっぱいあったんだけど、そのやり方みたいなのがわかってなかった。

だって、自分に対してもできてなかったんだものね。


私が不安な気持ちを溜め込んで爆発させやすいのは、不安が小さなうちにこうして対処してあげられてないからなんだろうな。

三男の就学に向けて、三男に親としてできることは、着替えの練習だったりオムツ外しのステップを踏むことだったりを考えてたんだけど、もっと大切なこと見つけた。

私の気持ちの不安解消。

あ、まずいぞ、不安が襲ってきたぞ、と思ったときに自分で不安解消プログラムにスイッチを入れられること。

頭が他のことにとらわれてても、最低限のことはできるように、最低限のタスクを箇条書きにしておいて、これさえやれていればオッケーを作っておくこと。

朝もそうね。

間に合うための最低限のタイムスケジュールを可視化しておくといいよね。

わかってはいたんだけど、何とかなるからってちゃんと取り組んでこなかった。

ホント、子どもよりもまずは自分のことよ。

自分のことが安定してなかったら、子どもがどうのじゃないって、ね。


私が今日、取り組むこと

今日は、仕事はお休み。

やることが明確になったから、朝の細かいタイムスケジュールや自分向け不安解消プログラムを考えておこうかな。

心をフラットにできるって大事。

でもどうしても難しいときは、これだけやればオッケーのタスクを頭を使わずにただこなして休む、それでいい。


まずはその辺を大切に考えて、就学まで試行錯誤してみよう。

数ヶ月実際にやってみても難しいと思ったら、そこでまた仕事を辞めることを考えてもいい。

今は夫が少し前のめりで協力してくれようとしてて(療育の面談の効果、高い!)、私の出勤日は遅出で対応してくれるってことだしね。

私は私でできることを考えて、私自身のステップを踏もう。


自分に対しても丁寧な関わりを

私ってさ、丁寧な関わり方を療育で教わって、子どもたちに実践してきてるのに、実は自分には全然やれてなかったよね。

子どものことは親の責任の部分も大きいし、やらなきゃ!って思ってたけどさ、自分のことってホントにそっちのけで、できないと「ダメじゃん、私」って思っちゃって。

自分にも丁寧に関わろうよ。


ホント、子育てって自分の育て直しでもあるよなぁとつくづく思う。

例えば、自分が子ども時代にいろいろあって、その都度しっかりステップを踏めてきていて、受験や就活、仕事の新人時代と課題にぶつかっても自分なりに対処してこられた人って、後輩育成でも子育てでもその経験値を活かせるんだと思うのよね(この力、夫は持ってる)。

でも私って多分、勢いで全て通過しただけ(ADHDならでは?)で、何にも解決できてなくて、解決したくても手立てが自分の中になくて、不完全燃焼なのに燃焼し続けて燃え尽きた感がある。

体育会系で鍛えられた底力というか、雑草根性というか、そういうパワーみたいなものはあふれていたからさ、人より長くそのままでやり切れちゃったところもあるのかもしれない。

で、とうとうここ数年で、それも限界だよなってジワジワと感じてきたよね。


でもなかなか認められなかったなぁ。

どんなときでも頑張れてきたじゃんって。

私もっとやれるはずって。


先しか見てなかったんだと思う。

目標に向かってひたすら突き進む、みたいな。

今の自分をホントに疎かにしてたよなぁ。

自分が本当にわかってほしかったこと、自分でわかってなかったなぁ。


何を頑張るって、まずは自分の気持ちをわかってあげることだったんだよね。

で、それが上手くできないときは、上手く人の話を聞ける相談のプロに話を聞いてもらうのがいちばんだった。

どんな言葉をかけられると自分は喜ぶのか、ホッとするのか、安心するのか、それを知ることがまずは必要で。

それを知らないと自分に声をかけるってできなくて。

わかるとさ、その言葉を自分にもかけてあげることができるの。

つまり相手の出す言葉に意識を向けて話してみて、その言葉をもらった自分の心に問いかけてみるってこと。

それで世界って広がるのよね。


ふぅ。

長かった。

こういうことをね、ここまで言葉にしなくても生きていけるのがADHDじゃない人なんだろうなぁ、と思う。

もちろんADHDでもいろんなタイプの人がいると思うから一概には言えないけど、私みたいに思考の多動タイプはそうじゃないかな。

不安とかの感情をキャッチしちゃうと、それで頭が埋め尽くされるのよ。

例えば、同じ感覚を受けても夫は一言や二言で終わりにできることを、私は何行にも渡って言葉にしないと自覚できなかったり処理できなかったりする。

でもメリットだってあるのよ。

ここまで自覚するからね、言葉は増えるよ。

なんとなくわかってる、とかいうレベルじゃなくて、とことん深くまで向き合うからさ、目の前に同じようなことで困ってそうな人がいたら、どのレベルで困ってるか、欲しい言葉って何かはわかるよね。

それを仕事での患者さんとの信頼関係構築にはかなり生かせているから、ダメとは思わないのよ。

人とのコミュニケーションの不安も、言葉をたくさん持ってるとだいぶ減るんだって自覚してるし。

そう思うとさ、特性もホント「生かし方を知ってるか」だよね。

仕事がなかったら、この性格はめんどくさい以外の何者でもなくなっちゃうからね。

ああ、だから仕事は続けたかったのか。

そんなふうに自分の深掘り、楽しんでいこう。






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