心の緊張状態のコントロール
自分に何かを課さないと、心はとても静か。
思えば、子どもの時は勉強や片付け、お手伝いなどを自分に課していて、←親の影響だと思うけど
学生時代は将来のための勉強、
就職してからはその仕事でのスキルアップ、
結婚してからは妻業、
子どもを産んでからはさらに親業も。
どんどん増える自分への課題。
誰も求めていないのに、自分でこうすべき!と気を張って生きてきたんだなぁ。
心のニュートラル
私はなんとなく「ちゃんとした人間になりたい」と思っていて、常に向上心を持って取り組めばそういう人になれるって、思い込んでいたように思う。
でもね、自分の能力以上のことを自分に課していると、余裕ないんだよね。
余裕ないと周りが見えなくて、どんどん空回りしていくんだ。
夫婦や子どもとのコミュニケーションも、自分の理想を押し付けるような一方的なものが多かったように思ってる。
うまくいかないと感情的になって、話を聞いて欲しいって気持ちがあふれてしまってたかもしれない。
それはもちろん私の一部であり、全部が全部ではないのだけれど、どこかでそんな自分を冷静に見てて、イヤでたまらなくて。
さらにね、うまくいかない現実は私の努力不足と思い込んでたから、いろんな勉強会に出席したなぁ。
でも、必要だったのは自分を見つめ直すことと、目の前の相手を良く見ることだった。
自分のできない部分ばかり見てると、相手のできてない部分ばかりが見えてきちゃうのよね。
うまくいかないよね、そりゃあ。
そういうフィルターを外して、誰もがそのままで十分だというフィルターをつけたら、何の問題もなかったもの。
やっと叶ったニュートラルな状態で、改めて私がどう生きていきたいかを、最近ではすごく考えてる。
そんな投稿ばっかりでしょ。
まずは穏やかな毎日を送りたくて、それから好きなものに囲まれていたい。
穏やかに暮らす
なんとなくそんなイメージができたから、穏やかに暮らす意識をして生活してみたの。
そしたらね、時々は自分の感情があふれることもあるんだけど、すぐにハッとして落ち着けるようになったと思う。
私がこの家で必要なのはその部分だけで、私がそこさえ気をつけていれば平和な毎日が送れる気がする。
だけど、私が感情的になってしまう理由って、私がやらないとこの家は何にも回らない!というイライラからだったわけで。
そこをどうするか、なんだけど、仕事をペースダウンしたから、私ものんびりやることにする。
ゴロゴロ休む時間もできるし、好きなことをする時間も増える。
その中で、合間合間に家事をする。
子育ては自分に余裕が持てると、「見てるだけ」が難しくないって思ったのね。
今は「見てるだけ」ができる。
ソワソワして、先回りとかしちゃわないで済む。
やらかしても、もう!ってならずにすむ。
それでいて、必要だと思われるとき、ヘルプしてきたときはしっかりと関わる。
それ以外は見てるよーっていう声かけを意識する。
「そこのゴミを捨ててくれてありがと。」
「さっき、足がかゆそうだったね?」
「昨日、寒かったけど寝られた?何もかけてなかったから寒かったんじゃない?」
何気ない会話こそ、とても尊いこと。
バタバタとせわしない生活の中では、なかなかできないこと。
自分を切羽詰まらせないって大事。
人間、そんなに万能じゃないからね。
余裕ができると愛があふれる
余裕の中に、愛は満ちている。
私ってね、子どもを産んでも母性が感じられなくて、母親失格だと思ってた。
心からあふれる母性を自分で感じたかったのに。
でも余裕ができると自然と愛があふれたよね。
不安や多忙、焦燥感でいっぱいのときは、そんな余裕なくて当たり前だった。
まずは自分が自分らしくいられるスタンスに戻ること、これが大事だったんだね。
今、めちゃくちゃ子どもたちが愛おしい。
フツーとは違う、とか全く関係ない。
私にこんな日々がくるなんて。
今までは子どもと対峙するたびにダメ母親なんだ、と感じてしまい、正直つらくて仕方なかった部分があったんだと思ったよね。
バカだったなぁ。
すごい母親なんていないよね。
親は子どもに育てられるんだし、ダメだっていいじゃんね。
子どもは世の中一般的に言われるような、いい母親を望んでるわけじゃないしね。
お金がなくても、問題だらけなおうちでもいいよね。
健康で、笑っていられたらそれでいい。
穏やかな毎日が心地よい。
夫の変化
私が変わると、夫がどんどん変化してくるから不思議。
今までは、私の態度が夫の抑制につながっていたんだと、今になって気づく。
夫はそういう調整がめちゃくちゃうまいから。
夫の調整のおかげで今の私があるし、この家の平和もあったと思うよね。
そして、私は私のままで十分愛されていて、何かができなくても夫は笑ってみてくれてる。
私に余裕のある発言が出てくると、夫の顔が緩む。
私は刺激の強い親にギャンギャンかみつくしかできなかったから、夫の平和主義で静かにそこにただいる、という佇まいが本当に好きだ。
何をしなくても、そこにいるだけでいい人。
私もそんな人になりたい。
そう、新しい職場での人間関係は、夫に倣ってみようって心に決めてるんだ。
結婚した頃はほとんど自己表現をしなかった夫は、年々豊かになり、最近では愛おしいくらい表現が豊かになった。
この人と一緒にいられてよかった。
相手は自分の鏡って、本当によく言ったものだなぁって思う。
私の姿勢と夫の姿勢が、いい影響をし合えたんだなぁ。
心の緊張状態を見つめ直す
今までは結果を出さなきゃいけないと思ってて、
そのためには頑張らなきゃいけなくて、
頑張るためには気持ちを高めなきゃならなくて、
気持ちを高めるには目標と目的が必要で、
私は頑張るために、目標を定めて気持ちを高め、行動へつなげてた。
気持ちを高めるということは、興奮状態とか緊張状態へ持っていくということ。
私は頑張るために、気持ちを高めていて、それを緩めることを自分に許さず、心の過緊張が続いてたんだと思う。
そういう状態にあると、休むことを恐れちゃうの。
休んだらもうおしまいだ、みたいな強迫的な気持ちになるから。
私はそうだったの。
休んだら、もう二度と頑張れないような気がしていた。
でもね、過緊張状態だと、周りが見えないのよ。
視野が狭くて、常に動こうとして、落ち着かなくて、周りとの温度差にも気づかなかったり。
人のタイプによって、どっちに振り切りやすいかってあると思うのだけど、私は人を目の前にすると、つい頑張りスイッチが入りやすくて。
人を傷つけたくなかったり、自分が傷つきたくなかったり、人に嫌われたくなかったりしてね。
いい顔をしようとしちゃうの。
適度ならいいんだけど、振り切っちゃってしんどくなるパターンが多くて。
そこは、「ここにいるだけでいい」という感覚が、私を落ち着かせてくれたように思う。
何か結果を出さなくても、私が私らしくそこにいるだけでいい、という感覚が得られると、頑張りすぎて振り切る必要がなくなったのね。
以前は、仕事でしんどいときとかね、家に帰った途端にオフ状態。
子育ても家事もつらかったなぁ。
だけど、振り切らずに済むようになったら、オフも振り切らなくて済んでる。
興奮状態とか過緊張状態のコントロールが、私にとっては生活の質につながってるんだとわかったの。
そして、興奮状態や過緊張状態は周りにいる人や環境で左右されやすいんだけど、私の場合は母がスイッチ入れる役割を果たしてたように思うから、家でも微妙に抜けなかったというか。
オフとか静かに佇むことをオッケーしてくれる人が、今まではいなかったんだよね。
夫は、「ただそこにいるだけでいい」の見本で、私に何かを求めない人。
一緒にいて徐々に影響されてきた。
一緒に住んでいて、そばにいる人がそういう人っていうのは影響力があるよね。
落ち着いてる状態がベースの夫のおかげで、私はだいぶ過緊張状態を落としてこられたんだと思う。
それでも何か問題が起こると、スイッチ入っちゃって、そこに誰もついてこなくてイライラして。
でも何が起きても大丈夫だし、誰の責任でもないし、ちゃんとやらなくても、すぐにやらなくても問題ないってわかったから、スイッチもすぐに入れなくて良くなった。
これでいいんだね。
スイッチは必要最低限でいい。
それでも生きている限り、最低限は動く必要があるし、想定外のことも起こるんだから。
お金も必要以上にはいらない。
物の豊かさもいらない。
欲しいのはあたたかくて安心できる家庭。
穏やかな毎日。
心の安定。
あふれる笑顔と愛。
特別なことがなくても満ち足りた感覚。
生きてる実感。
やっとなんか深呼吸できる気がする。
ずっと走り続けてきたから。
もっともっと、今を大切に生きていこう。
今の感覚を大切に。
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