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ネガティブをネガティブにしないで、想いにつなげる

こんなの私じゃない。

こんなふうになりたいわけじゃない。

そう思って自分なりに封印し、上手くコントロールして生きてきたのに、それを簡単に子どもたちが崩していく。

感情ダダ漏れの私に戻される。


子どもたちがスイッチを押さなければ、私はフルで仕事をやって、疲れたら休んで、たまには好きなところに遊びに行って…そんな生活でバランスを取れてるはずなのに。

そう思ってハッとする。

ああ、私、封印してたんだって。

封印して頑張っていたからの平和で、封印の上でバランスを保っていたんだって。

だから、今の私は「こんなはずじゃない」ってつい思ってしまうけど、そうじゃなくて「ありのまま」なんだなって。

ちっちゃなことなのにいっぱい考え過ぎて、感情があふれて、誰かに話しかけられると泣いちゃう。

それが私かぁ。

そうだよね、夫にはそれがバレていて、だけどそこも愛おしいところだって言ってもらったことあったっけ。

まだまだ自分では受けとめられてないみたいね。


「罪悪感」と「マジメ」と「そうなって当たり前」

今日は三男(知的な遅れと自閉症スペクトラムあり)の療育の個人面談の日で。

幼稚園で卒園アルバムの写真を撮る日になってしまって、急遽、面談後に幼稚園に寄ることに。

イレギュラーのダブルブッキング。

何とかしたかったけど、何とかならなくて、そんな自分に落ち込んじゃったんだ。

言葉にしたらそれだけの話。


最初はね写真だけだから、と軽い気持ちだったの。

予備日もあるけど、1回でできないことも考えると、できるならチャンスはもう1回ほしいところだし。

イレギュラーな対応に三男がどんな反応するかも知りたかった、というのもあってね。

やれることはやって、どうなるか見届けて、就学の手立てにしたい気持ちで、面談後に写真も撮りに行こうって決めたの。


事前に幼稚園の先生と療育の先生に相談をして、いろいろと手筈は整えたつもりだった。

でも結果、完全拒否で惨敗だった。

まぁ、想定内ではあったんだけどね。

だから、朝出発前の三男の様子から、幼稚園に難しそうですって電話も入れる冷静さもあった。

もし行けたとしても、たくさんのハードルがあったから、ホッとした気持ちもあったかもしれないね。

制服が着られるか、写真のあとそのままいるのか帰るのか。

三男目線で考えると、ひとつひとつ確認したり、前準備したりしなきゃいけないことがたくさんあったんだ。

それをしたからといって、本人がやるかどうかはまた別問題だったし。


ただその現実をそのまま受けとめたら良かったのに、写真をただ撮るのに寄るだけって、簡単に考え過ぎた私のせいだと無意識に感じてたのかも。

私目線で考えたらなんてことないことなんだけどね、三男目線になると急にめちゃくちゃハードルが上がるんだもの…もう少し考えて決めたら良かった。


上2人のときもそうだったけど、まだ想定内のうちだったの。

でも知的な遅れがあって、周りとは1〜2年遅れで考えるとなると、言葉で言えばそれだけのことだけど、実際の生活の感覚的には大きく違う。

さらに発達の凸凹の難しさが重なるから、その特性も加味しておく必要がある。


もう3人目だしね、対応も考え方もわかってる。

想定外がたくさんあることも、難しいことが多いことも、思うようにならないこともたくさんあることもわかってる。

思ってる以上にハードルを下げなきゃならないことも、周りに合わせるのではなくて子どもの発達に焦点を当てて考えていくことも理解してる。

わかってる上でやってみて、その反応から次の作戦を立てていくことだってある。

ひとつひとつの積み重ね。

それがお互いのためになるってこと、よく知ってる。

それでも、やっぱり心がついていかなくなることがあってね。

それが今日だったのよ。


そんなとき、良き理解者の言葉は沁みるよね。

私のあふれる言葉を聞いて、先生が出したキーワードは「罪悪感」「マジメ」「そうなって当たり前」。

子どものためにいろいろ考えて行動してることに、上手くいかなかったからって罪悪感を持たなくていい。

ここまでマジメに頑張れるお母さんだからこそ、どこかで気を抜けたり、バランスが取れてるかが大事。

子どもに一生懸命になっていろんなことをやってみて、結果上手くいかなくて悩んでっていう姿はある意味当たり前のことだから、ダメだって思わないで欲しい。

そう、先生は受けとめてくれたよね。

ついもらしても、受けとめてもらえるから、涙が出ちゃうんだけどさ。

そういう人が近くにいるって心強いよね。

うん、心強い。

この経験があるから、私は仕事で寄り添えるんだと思う。


自分の感情をそのまま受けとめること

いろいろ考えて試してみるうちに、三男の難しいことがわかってくると、いろんな想像ができるようになってきて、アレもコレも難しいだろうなぁって思えて、動けなくなってしまう。

今日もそうだったのよ。

やってみようって思ったけど、ダメだった。

私はね、小さい頃やってみようと思って上手くいったから、チャレンジの連鎖が起きて頑張れたんだなって実感したよ。

何やっても上手くいかないって、すごくしんどいことなんだね。

いろいろ工夫すれば、とも思ったんだけど、甘かったなぁ。

できないときはできないんだろうなぁ。

そこはネガティブに受けとめず、1〜2年遅れてるんだもの、と前向きに捉えて、今できることをやっていこう。

それにできなくても、その経過が次に生かせるじゃない。

今は就学に向けてどうしていったらいいかの模索期間でもあるんだから、私、よくやってるよ!


そこまで自分でわかってるのによ?

ダメだったという現実が気持ちを落としていくのよ。

三男が悪いのでも私が悪いのでもないのに、私の気持ちが落ち込んでしまう。

こりゃいかん!

気をしっかり持て!!


いろいろ自分でわかってたんだけどね、あふれちゃったんだなぁ、個人面談で。

泣いちゃったなぁ。

気持ちがあふれるの止められなかった。

その現実がまた、自分を落としていく。


悔しい、できない、どうして。

このままだと仕事はできなそう、でもお金はかかる、この八方塞がりに出口はあるのか。


でもね、私の思考だと、どうにか仕事を続けないと!と思うし、私が頑張らないとってなっちゃう。

だけど、子どもには無理させられない、今できることを積み重ねていってほしいと思う。

ただそのスタンスだと私が行き詰まる。


自分だけで考えないようにするには?

夫と支援機関に相談していく?

でも最終的にどうしたいのかは、自分で決めておかなくちゃ。

でも選べないのよ。

子どもの幸せは私の幸せでもあるし、私の幸せは子どもに影響するわけで。


そんなとき思い出すのは、花まる学習会の高濱先生の言葉。

子どもへの想いが自分を動かす。

私も子どもたちがスイッチを入れてくれなかったら、ここまで自分のバランスを考えることはなかったと思う。

だって自分で何とかしてこられたから。

だけど、自分以外の人のことはそうはいかない。

あふれる想いは居場所を失ってしまい、暴走してる。


そんな葛藤の中で、私は自分の本当の願いを見いだそうとしてるのがわかるのよね。

それは今まで社会適応するために封印してきたことなんだと思う。

世の中に適応するために、上手くやっていくために、見て見ぬふりを決めた何かがまた輝き出すために、私は葛藤してるんじゃないかしら。


私が今、カタチにしたいこと

子どものことで心に葛藤が起こるたびに、私は自分の中で

「うまく自分と付き合い、バランスをとりながら、人生を楽しめるような工夫をしたい」

という気持ちを強くしてる。

みかんのバランスライフという名前には、そういう想いがあるってこと、実は最近気づいた。

それで、どうしたらいい?と自分に問いかけ、ときにはなぐさめながら、ときにはひらめきをカタチにしながら、進んでる。


人は何か困難にぶつかったとき、どうしたら上手くいくのか、乗り越えられるのか、正解を知りたいって思う。

今は情報がいっぱいあるから、ネットで検索もするかと思う。

ノウハウは今や無料でもたくさんあふれてる。

今度は自分に何が合うのかで迷う。

悩んでるいろんな人にも出会う。

だけど、全てが同じ人はいなくて。


難しいよね。

自分に近いロールモデルがいたら、心強いのにって何度思ったか。


最初は仲間が欲しいと思った。

だけど自分がしっかり立ててないと、結局は振り回されたり、影響を与え合い過ぎてしまう。

まずは自分なんだなって思った。

私は自己認識がハッキリしてて社会と距離を置ける夫や長男と違い、環境にいくらでも溶け込んでいってしまう性質があるから、1人の時間や空間、世界をちゃんと持つ必要があったの。

子どもたちのそれらを大切に育てているのに、自分がいちばん持っていないっていうね。


人によって、課題はさまざま。

社会適応のスキルだったり、対人スキルだったり、自己の確立だったり。

夫は対人スキルが弱いかなぁ…特に自己表現のところに怖さがあるみたいな気がする。

長男は社会適応の部分。

今、上手くバランスをとりながら学んでる。

学校に行かない選択をしたことで、必要なときに必要な学びに取り組めているのを感じてる。

私は自己の確立ね。

次男はそれぞれが課題だけど、それは当たり前の年齢で。

次男の場合は年齢相応なんだけど、振れ幅が大きくて、コントロールが難しい部分があるかな。


そうやって、今の自分を理解して上手く付き合っていくって大事よね。

ときには周りのサポートを受けながら。


昨日、セルフメディケーションってワードを出したんだけど。

老いや障害は上手く付き合っていくものだと思っているのね。

だから、自分の健康を自分で管理したり、セルフケアをしながら、必要なときに医療に頼るというセルフメディケーションの「予防」の考え方と、

老いや障害といった「できない」ことと上手く付き合っていく心のあり方や具体的な人生計画の練り直しも必要かなって思ってる。

そういうことを総合的に考えられる人になりたいし、そのモデルとして世の中に発信できたらいいなって。


それが私のバランスライフ。

上手くいかない現実はそのまま受けとめて、必要な行動を計画してひとつひとつこなしていって、それとは別に頑張る自分の心を癒す時間を作っていく。

そうなの、それを実践したいの。

マイノリティのひとつのカタチを示したいよね。


どんな人にも程よいバランスって存在してると思うから、それをどうやってコントロールしていくのか、もっともっと言葉にしていって、もっともっとカタチにしていこう。










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