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壁を乗り越えるのに必要なのは自分と向き合う勇気と覚悟

困難にぶち当たったときは、自分と向き合うタイミング。

その中で大切にしたいことや手放すことを選択したり、自分の中の「ダメ」にオッケーを出したり、自分の感覚に素直になったりしていくと、いつの間にか世界の見え方が変わり、楽になる。

ここ数年、今まで上手くやってこられなかった「自分と向き合い、自分を大切にすること」を一気に進めてみて思うこと。


困難を悲観するのではなくて、新たな気づきと視点を広げるキッカケと認識すれば、いつか抜ける。

これが成長なのかな。

私はこじれ感が半端なかったから、めちゃくちゃ時間かかったけど、何をやっても自信が持てなくなってた日々から、ようやく「私は私でいい」と思える日々へと変化したよ。

その感覚の言語化。


めちゃくちゃ苦しんでた日々

人知れず苦しんでたと思う。

一応子育てをしながら仕事をこなし、夫に手伝ってもらいながらなんとか家庭を回してた。

だから、周りから見たらわからなかったかもしれないけど、苦しかった。


いや、人の悩みは他の人にはわからないものよね。

誰でもそれなりにはあるだろうし。

学生時代や新卒での就職のときくらいじゃないかな、悩みが共有できるのなんて。

だんだん人それぞれになっていって、旧友と話せる共通の話題もなくなっていって。


同じ温度感で話せる人が欲しかったけど、なかなか難しいことが増えた。

今までと同じように、ということがだんだんとできなくなってくる。

そういう変化を悲観的にしか捉えられなかったのだけど、自分の心と時間に余裕を持つようにしたら、少しずつ変化してきた。

自分のいちばんの良き理解者は自分だ。


意識の向け方を変える

子どもの発達障害がわかった、義母と上手くいかなくなった、実母との距離感が難しい、夫との関係性に悩む、仕事と育児の両立が大変…。

いろいろあったけど、私の悩みの根底は多分いつもおんなじだったんだと思う。

自分を大切にできなかったこと、人や物事と距離が置けず冷静に対処できなかったこと。


俯瞰する、ということが壊滅的にできなかった。

なんでもジブンゴトにしてしまいがちだったし、人の顔色や評価に依存して生きてた。

それでも雑草根性で強く生きてきたと思う。

でももうそんなふうに強く生きなくていいよ、もう少し力を抜いて、自分や人との関係性を大切に生きたらいいよ。

苦しみは、そういうメッセージだったんじゃないかな。


それがわかった今、不思議と自分や周りと距離が置けてる。

自分を大切にするってどういうことか、大切にするためにどこにメリハリを置くか、そんなことを考えながら生活できてる。

仕事が自分のカラダの一部のように錯覚してたけど、自分らしく生きるためのひとつのツールだ、と割り切れるようにもなった。

割り切れた上で、できる限りのことはやる。


そう捉えられるようになったら、やらなきゃ!とあくせくしてたときに比べて、気持ちの余裕が生まれた。

人の考えや見方を前よりも気にしなくなったし、だけど必要なときにはちゃんと耳を傾けられる、そんなメリハリというか自然な立ち振る舞いが可能となった。


決定打があるというよりは、日々自分と向き合い続けた積み重ねじゃないかな。

結局、起きた現実を悲観するのではなくて、自分がどう考えてどうしたいと思ったのか、意識を現実から自分に向けたという感じ。

現実が全てじゃない。

いや、現実なんて結局自分がどう捉えるかに過ぎなくて、大切なのは自分の意識をどこに置くかなんだって気づけたんだことが大きかったと思う。

コントロールできるのは、現実ではなくて、自分の意識や行動でしかないわけで。

コントロール出来ることに意識を向ける、向き合うことが大切。

つい、思うようにならない他人や状況を嘆きたくなるんだけど、そこはコントロールできないところだからね。


自分のレベルでしか世界を見ることができない

これは自分が成長した感覚と、それに伴って世界の見え方が変化した体験から言えることなんだけど。

自分の今のレベルでしか、世界を捉えられないんだってわかったのよね。

同じレベルにいる限り、世界の見え方、捉え方って変えられない。


自分と向き合うと、最初の「今の自分を知っていく」過程で自分の至らなさがどんどんと見えてくる。

そのときがいちばんツラいの。

そこでそのツラさと向き合うことを恐れると、今の自分にとどまるだけで。

ツラいよねー、しんどすぎるよね、と自分と現実を受けとめることを繰り返し、今の自分にできることを考える。

しんどい中にいると、ずっとこのトンネルから抜けないんじゃないかと不安になるけど、いつか何とかなると信じる。

ツラいのを誰かのせいにせず、ツラいときはツラさを素直に吐き出し、自分でそんな情けなさを受け入れ、それも人間くさくていいじゃないかと励ます。

その繰り返しの中で、調子がいいときには決して見えてこない、大切なことが浮き彫りになってくる。

これ、すごく不思議な感覚で。

だんだんと、しんどさの中に冷静さが生まれてくる。


私はここまで冷静に自分と向き合ったことってなかったのね、今まで。

上手くいかないとパニックになって、泣いて感情をリセットしつつ、自分を責めることで次に進もうと頑張ってた。

以前はそれで精いっぱいだったと思う。


だけどね、もっともっと自分を大切にしてよかった。

ツラいことを吐き出して、つらかったよねって自分に共感してあげて。

どうしようもない現実を、そのまま受けとめる。

そして、自分にできることを考えて、コツコツとできることを積み重ねる方に舵を切る。


そんな生活の中で、突然フワッと次のステップへの階段が用意されるんだ。

何の脈絡もなく、どこからともなく。

意外なところから降ってくる。

だからそれは自分でコントロールできるものじゃないんだ、と実感したの。


そのときが来るのを待つ。

今自分ができることを積み重ねながら、待つんだよね。


「待つ」という姿勢は、余裕ができる。

自分から向かっていくと見えないことも、待っていると見えることがたくさんある。

見えると選択肢が生まれる。

その度に自分らしさと向き合うチャンスだって、何度もピンと感じたっけ。


言語化は成長のスピードを速める

ものすごく抽象的な表現ばかりだけど、そんな感じなんだ。

そんなステップを踏んできて感じるのは、ここまで実感を持って成長できたのも、スムーズに進めてこられたのも、 noteでの言語化があったからだって思ってる。

言語化ってめちゃくちゃ大事。

言葉にすると客観視できて、頭の中で考えてたときにはできなかったひらめきが生まれるの。


 noteで言語化するまでも、気持ちの吐き出しブログはあったのよね。

でも上手く自分の成長へつなげられなかった。

そう思うと、 noteの世界観やクリエイティブな空間が、私を「自分を応援するクリエイター」へと進化させてくれたように思う。


言語化を味方につけると、自分の成長スピードは速まった。

見えない心の世界だけど、現実変化がすごかったから。


いちばんの変化は夫だった。

夫は元々人との接触をあまり求めず、スキンシップも苦手としていて、私は「一緒にいてもひとり」な感覚が強かった。

それが急に関係が縮まったのは、私の成長が夫に追いついたからじゃないかと思ってる。

夫はずっと待っててくれた、無意識だと思うけどね。


私も待つ姿勢を持てるようになったら、夫が自分から距離を縮めてきた。

関係性というのは、どちらかが一方的だと上手くいかないよね。

双方向の関係性をつくるには、お互いの温度感を感じて、自由に行き来できるような感覚が必要な気がする。

宇宙人のように感じていた夫には人間らしい喜怒哀楽が生まれ、スキンシップを楽しめるようになり、愛があふれるようになった。

人ってどんどん変化するんだね。

変わらないなんてことはない。


向き合うべきは自分の本当の願い

ずっとフルで仕事をしたいと思ってた。

サポートが必要な子どもがいて、今はフルでなんて働けないから我慢するしかないと思ってた。

フルで仕事ができる夫はずるいって思ってた。

私ばっかりが家事と育児をやり、仕事もこなさなきゃいけないって思ってた。

親のサポートがあって、子育てしながらフルに仕事ができる人がうらやましかった。

そう思いながら、子どもには自分が責任持って関わりたいとも思ってた。

アレもコレも自分でやりたくて、でも現実は上手くいかなくて、悔しかった。


でも、自分と向き合ううちにわかってきたのね。

今、私が望んでたのはフルで仕事をやり続けることじゃなかったんだ、と。

仕事だったら自分らしく上手くやれるって思い込んでて、その考えから抜け出せなかっただけ。

自分の時間を作り、自分と向き合ううちに感覚が変化してきたのを感じた。

私が本当に望んでいたのは、フルで働くこと?

ううん、違ってた。

人との関係性を深めたかったの。

特に家族と。

でも上手くいかなかったから、仕事に逃げてただけだった。


自分と向き合い、自分との距離感やコントロールの仕方を学んでいくと、子育てがしやすくなった。

夫婦関係は深まってきた。

無意識に子育てや夫婦関係を上手くやりたいって思っていたから、そこに向き合わせようと現実がやってきたのね。

仕事を続けることができなくなるっていう現実がね。


最初はね、仕事ができなくなった現実を受け入れられなかった。

ホントは家族と上手くやれてたら満たされた気持ちが満たされてないから、仕事に打ち込みたかっただけなのに。

仕事ができないのを家族のせいにしがちだった。

夫の協力がないから。

子どもにサポートが必要だから。

でも相手を変えようと、意識が相手に向くと関係性は悪化した。

私の本当の願いは家族と上手く関わりたいことなのに、そこに気づかなかったから、モヤモヤしっぱなしだった。


そんな自分と向き合うしかなかった。

でもそのおかげで自分と向き合う機会をもらえたし、自分と向き合えたら不思議と相手との向き合い方とか距離感がわかってきたんだよね。

上手くいかない現実を嘆くのではなくて、自分と向き合うチャンスだと思うこと。

それが自分の本当の願いにつながっていくんだよね。


自分の本当の願いなんて、簡単にはわからないけど、上手くいかない現実の中で、自分と向き合うと見えてくる。

いろんな角度で眺めてみたり、感じてみたり、言葉にしてみたり。

情けない自分とか、恥ずかしい自分とか、できない自分とかいっぱい出てきてつらくなったりするんだけどね。

あるときパッと反転するような視点に出会って、現実が一気に変わったりする。

自分のコンプレックスや弱みって、強みになるんだって思えたりね。

壁に見えてた現実が、自分を好きになるヒントに変わったり。


自分と向き合って良かったよ。

ずっとしんどかったけど、ある日突然抜けるってわかったから、今度からはもう少し落ち着いて上手くいかない現実とも向き合えそうだよ。








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