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伝え方を吟味すると世界が変わる

私は今まで、想いはあるのに空回る人だった。

想いをそのまま行動に乗せていくと、強過ぎたり、周囲との温度差をよく感じて、ビクビクしてた。

悪いことをしてるわけじゃないんだけど、なんか空気が悪い気がする。

じゃあ、やらなきゃいいのでは?と思うのだけど、他の行動に変えるのも苦手。

というか、こうしたらいいと思う!という想いからなかなか離れられない。

それに行動はしないよりもした方がいい、というポリシーが根強くて。

だからホントはアクセル踏みたいんだけど、踏み込んだら良くないかもしれないと思って、ブレーキを踏みつつアクセルを踏んでる。

アクセル全開にできたらいいのに…と思いながらね。


そんな私が、やっとトンネルを抜けそうな気がするから、言語化して腑に落とす記事。



今、私に必要な考え方

私には考えがある。

そして、経験もある。

行動すべきイメージも大体見当がつく。

ところが、それを行動したとき、結果に対してなんとなくアレ?という違和感がいつもある。


それに対して、私は自分の考えや経験が絶対的なものではないわけだからと、もっともっと勉強しなくては!といつも自分に言い聞かせることが多かった。

実習で指導者とうまくやりとりできなかったときも、新入職で先輩とうまくいかなかったときも、勉強不足がベースにあると思ってきたから。


その後、コミュニケーションの問題だとわかったんだけど、「コミュニケーション」という言葉自体が曖昧過ぎて、何がどう良くなかったかは実感がなかった。

そもそも、フツーの人は自分のコミュニケーションのカタチがどうかなんて、客観的に評価できるものなの?

上手な人は感覚的にできてるんだろうなって思うし、苦手な人はやっぱり苦手で、どこかで学ぶしかないんだとは思う。

みんなどうしてるの?

苦手だから、上手くかわしていく…もひとつなのかな。

でも私、今は子どもの相談や療育、子どもとの関係構築、仕事をしていく上で、コミュニケーションって必須だし、かわしていくことが最適とは思えない。

そう考えて、やっとそのコミュニケーションについて、深く考えてみよう、学んでみようと思えた。


で、コミュニケーションについての講義とか机上の勉強を始めたわけではなくて。

日々、慎重に人とコミュニケーションをとるようにしてる。

コミュニケーションの機会はたくさんあるからね。

夫や子どもたちと、仕事で同僚と、仕事相手の人生の先輩方と。


今までだったら、なんとなく会話がない状態があったら自分から話をふるとかして、話題に失敗してダメージを受けたり、余計なことに首を突っ込んで空気が悪くなったり。

でもやらなきゃいけないって、どこかで思ってて。

そういう勝手な思い込みを全て捨てて、今は自分から積極的に動かない、話さないことを徹底してる。

それよりは、マイナスの関わりを減らすこと、余計な刺激にならないことを徹底しようと思ってる。


これは夫の考えで、私に今までなかった考えなのね。

歳を取れば取るほど、慎重さが必要になることが多い気がして、私が今までとってきた作戦よりも夫のやり方の方がより今の私の状況には合ってるって思えたから。

ひとつのエラーが信用を失くすのよ。

若いときはそれも糧にして次に進めるけど、それなりの歳になるとそれでは信用されなくなってしまうところがあるよね。

なんか、そういうのをヒシヒシと感じるようになってきた。

子ども理由とはいえ、転職を繰り返してきたから、なおさらかもしれないね。

転職自体はマイナスではないけれど、転職するごとにハードルってどんどん上がっていくような感覚があるよね。

歳をとっていくんだもの。


コミュニケーションを慎重にとることで、やっと実感できたのが、伝え方ってすごく大事だってこと。

選ぶ言葉、伝えるタイミング、言葉の数、声のトーン、態度、場面、いろいろ。


私は欲張りだから、アレもコレもって伝えたくなりやすいんだけど、本当に大切なことってそんなに多くない。

焦らなくていい。

そして本当に必要なことだけに絞っていいんだって、自分に言い聞かせたの。


そして、それとは別に自分の身に降りかかってきそうなリスクを感じたときは、ちゃんと伝えておくとか記録を残すとか、そこはメリハリつける必要があるって思った。

私はつい逆をやりがちだったから、頑張ってる割にはイヤな思いをすることが多かった気がする。


それから、コミュニケーションがリスク回避目的だけになると、親しみを感じにくい気がするから、普段からの雑談や関係性を良くしておくことも大事よね。


なんかそういう人とのやりとりのコツ、もっと早く分かったら良かったな。

経験で理解できる人と、言わないとわからない人、言っても理解しづらい人、興味のない人、いろいろよね。

私は経験で理解してきたことのベクトルがちょっとズレてたのかなぁーと思う。

今やっと、自分を軸に考えられるようになってきて、私は何が得意で何が苦手で、どうしたいと思ってるのかっていうのをベースに置き換えてる途中。

社会が、周りが、なんとなくコレを求められてる気がするから、そういうのはちょっと横に置いておいて。


自分らしさをベースに「伝える」を意識する

私は多分、本能的にいろんな物事をちゃんとやりたい人だし、人との関係は丁寧に築きたい人なんだと思う。

そして、一緒に何かを高め合えたり、楽しめたりするのが好きなんだと思うな。

そこを大切にできるような言動や行動をとれているのか、そこがポイントなのよね。


で、私がそうしたいと思って言動や行動を意識したとしても、一緒に高め合えたり楽しめたりできないことだっていっぱいあるのよね。

だって、人によって大切にしたいことは違うから。

でも私はそうしたいと思ってる、それが私だ!って自覚して生きていることが大事。

結果はそのまま、そうなんだねって受けとめるだけでいいし、上手くいかない結果から自分を責めたりやり方を変えたりしなくていい。

伝わるには時間がかかるし、伝わらなくても仕方ないし、一貫してやり続けることを大切にしていいと思う。


深い深い精神の世界

先日、次男の件で療育センターの診察をお願いした。

いろいろ考えをまとめていったのに、上手く伝えられなくて、ドクターとの会話がだんだん噛み合わなくなって、私の理解も追いつかなくなって、すごく難しかった。

ドクターに質問されればされるほど、精神の世界って難しいって思ったし、こうだからこう!と簡単に決めつけられることでもないと実感した。

そして、後からやっとやってきた、ジワジワとつながるドクターの言葉と現実。


やっぱりワーキングメモリ不足だから、困っていることの内容をリアルタイムで理解していくのは難しいのかもしれないね。

でもそうやって、自分の頭にないことを言われて、ハッとするような、アレ?という違和感だったりが、最初は不安のタネでしかなかったんだけど、最近ではちょっと快感に近いものがある。

あ、新しい視点がやってきたんだ、今までの私の考えでは到底及ばない世界なんだ、という実感が、自分の心を軽くしたりする。

それをもっと学んで及ぶ世界にしていくのか、それだったらまぁいいか、と諦めるのかは、自分が目指しているゴール次第なんだよね。


以前は何とかしなきゃと思っていたけど、今はコントロールできない現実はただ見守って、その都度対応していくしかないという冷静な考え方ができるようになってきた。


仕方ないのよね。

それでいいのよ。

起きた現実に対して、相手はどうしたいと思ってるのか、私はどうしたいのか。


慌てない。

ダメだと思わない。

できることを考える。

自分の「こうしたい」との折り合い。


この世界は自分が考えているよりも焦らなくていいし、自分がやらなくていいことってたくさんある。

そういうことが考えられるようになって、それを実践して、ああやっぱりそうなんだって実感して、感覚の修正をしていく。


本当にいろんな世界がある。

だから決めつけなくていいと思う。

苦しかったら、自分の世界から出ていく覚悟が必要だけど、苦しくない世界は必ずどこかにあると思う。


自分の世界を変えるためにできること

私の現実が変わってきたのは、ここ数年のこと。

順番的にはこうだったと思う。


① まずは自分の世界が一部であって、いろんな世界があることを実感する。

② 自分とは違う世界を持っている人の感覚を話したり、一緒に同じ経験をする中で知る。

③ その感覚で世の中をもう一度見渡してみる。

④ 新たな発見がある。

⑤ 違った感覚の中で行動をしてみて、今までと違う感覚を得る。

⑥ 今までの自分の思い込みからの解放。こうじゃなくても大丈夫、を積み重ね、こうすべきを手放す。

⑦ 今までだったらダメと思ってきた行動をして、むしろコレでいいんじゃないか?という体験を重ねる。

⑧ 苦しみから解放されてくる。


⑥の思い込みからの解放をしたもののひとつとして、「行動しないこと」がある。

私は「何事も行動しないとわからない」と思っていて、「行動しない」という選択はダメだと決めつけてきた部分があった。

でも行動しない大切さがあるのよね。

行動するよりもまずは把握と判断で、それがしっかりしていれば行動は最低限で済む。

それは言動も同じ。

それを通して私は、「行動までのプロセス」が今までいかに少なかったか、という事実に気づけたの。


今、私がやりたい「伝え方」の試行錯誤

世界が変わるには行動が変わることだと思うのだけど、その行動として、私は「伝え方」を今は選んでる。

伝え方が変わると、相手が変わる。

ほんの少しなんだけど、大きく違う。

少し丁寧にしたり、少しわかりやすくしたり、少し言葉数を減らしたり。

できることはたくさんあるの。

いつもとちょっと変えるだけで、相手の表情や行動が変わる。

これは仕事でも子どもに対しても、ものすごく実感してること。


現実が大きく変わるのは、自分の中の「ダメ」の思い込みを外したとき。

私がやるべきと思ってきたことで、やめたことは以下のとおり。


笑顔が絶対に必要だと思うこと。

でもいつも笑顔って怖い。

私だったら敬遠する。

自然に出てくる笑顔で十分だと思った。

だから、笑顔を意図的にやめた。


初対面の人でも話をして場を和ませること。

これは必要な人もいると思うけど、そうすべきと決めつけてはいけないと思った。

初対面はフツーに慎重でいい。

言葉が出なかったら無理に出さなくていい。

業務連絡だけでもいい。

余計な刺激はいらない。


早く場に馴染もうとすること。

別に早く馴染まなくていい。

時間がかかると思って、慎重でいるくらいでいい。


子どもや後輩に教えること。

必要なことは聞いてくるから、教えようと思わなくても、聞いてきたことに答えるだけでいい。

教えるよりも背中で見せた方が信頼される。

自分の言葉や態度、行動の方に意識を向けた方が適度な関係でいられる。


何でも自分で解決しようとすること。

困ったらどうしたらいいか考えて行動する、コレが大事だと思ってきた。

でも本当に自分が動くべき?

何にどれくらい動くのか、自分のやりたい方向とどれくらい近いのか、行動までにいくつか整理してからの方が、悲しい現実を迎えなくて済む。

自分がやらなきゃいけないことって、実はそんなに多くない。


最後に

全然まとまらないね。

ホント、私って頭がゴチャゴチャし過ぎてるよね。

もっともっとシンプルに記事が書けたらいいのに。

でもいいの、コレが私なの。

私のためのnoteなんだから、私が自分で納得するようなカタチでいいの。


この記事で書きたかったのは、伝え方が変わると現実が変わるんだよってことだったのね。

でも、書いていくうちに見えてきたのは、それに必要な前作業だった。

つまり、伝え方を変えるには、ただいつも使ってた言葉を変えるだけではなくて、意識を変えること。

思い込みと向き合って、思い切って外してみること。


結局、いくら丁寧にコミュニケーションを取ろうとしたところで、その意図や自分の考える方向っていうのは変わらないし、実はそっちの方が伝わるのよね。

あ、この人私をコントロールしようとしてる、とか、私のやり方を変えてほしいと思ってる、とか、私を実は否定してるよね、とか。

私は今まで、それを感じ取って、その意図に自分を合わせていって、嫌われないように、イヤな思いをさせないように気を遣って生きてきたのよ。

そこを変えないと、コミュニケーションの質の部分って変わってこない気がする。


実習で指導者と上手くいかなかったとき、ここまで掘り下げて考えられたら、私は今頃もう少しシンプルに生きていられたのかな。

いや、当時の自分にはこの感覚、理解できなかった気がする。

実感を伴わない見えない話は、私には難しかった。

そこが脳の発達の弱かったところなんだと、私は今やっと実感しているし、そこは仕方ないところだし、そこでつらい思いを積み重ねてきたんだなーってわかる。

そこを責めなくていいよね。

今、やっとわかるようになってきたタイミングなんだから、私は私のペースで、大切に感じたことを大切にしていけばいいよね。





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