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感情がダダ漏れだった私の愛されるコツ

このタイトル、なんやねん!と自分でツッコミたくなるね(笑)

私はね、夫に愛されたい人で、愛されたいから愛を押し付けてた人だったの。

程よい量って人によって違うんだよね。

少食の人に山盛りよそってたみたいだった。


私の愛のカタチ

私はわかりやすい愛が好きだ。

好きって言われたり、かわいいって言われたり、ギュッとハグされたり。

すねてたらコンビニでスイーツ買ってきてくれるとか、仲直りといったら盛り上がるしかないでしょ、とか。

あなたのことを考えていますよ、想っていますよ、というのが、わかりやすく伝わってくるとか、わかりやすく想像できるとか。


だからみんなそうなんじゃないかって誤解してた。

それで私は周りに愛を伝えたくて、わかりやすい人間になろうと努力してきた。

愛情はわかりやすく伝えるし、いいな!と思うことはすぐに表現したり。

そういうことは勝手に、誰にでも喜ばれると思ってた。

そして、それを嬉しいと受け取ってもらえたり、笑顔になってもらえたり…それが自分へのエネルギーにもなった。


でもね、長男や次男には通用しなかったんだよね。

そんなのってある?

大好き、ギュ!ってやっちゃダメなの?

一緒にダンスしたくてテレビ見ながらダンスとか乗ってくれないの?

スゴイ!って言うとどうして叩かれなきゃいけないの?

私の愛は受けとめてもらえないの?

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自分の出す刺激は自覚しづらい

私、自分のしてること、あんまり自覚なかったんだよね。

母も同じような人だったからマヒしてたのかもしれないけど。


でも私に似てる人を見ててわかってきた。

刺激強っっ!

他人のこと考えすぎ!

私のことは放っておいて!

感情をそんなに押し付けないで!

いちいち語尾が強いよー!

目ヂカラありすぎだよー!

声が大きいよー!


私がいいって思ってたことも過度になるとキツかった。

何事もバランスなんだよねぇ。

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意識し過ぎなくて大丈夫

人の出す刺激を今までは全部好意的に受けとめなきゃいけないって思ってたのね、私。

だから刺激の強さとかスルーしてた。

でも思い込みを取っ払った私でいたら、そういう感覚がサラッと入ってきた。

ああ、これ、無理。

ここまでやんなくていいのかも。


満面の笑み、必要以上の褒め言葉、オーバーリアクション。


自分の感覚に素直になって思った。

今まで相手の好意なんだから受け止めなきゃいけないって思ってきた相手の表現は、全て受けとめなくていいんだって。

だから、逆に言えば自分の中に湧いてきたプラスの感覚を、相手に押し付けるようなこともしなくていいってこと。


なんでこんなに押し付けがましくなってたんだろ。

自分の感情ダダ漏れは良かれと思って無意識にやっていただけなんだなぁ。

特性とか、性格だと思ってた(笑)


いい感覚を与えなくちゃって思っていた笑顔や褒めること、プラスの言葉をかけることって、そんなに頑張るものじゃないんだよね。

なんでそんなに相手に与えなきゃいけないって思ってきたんだろう?


時々会う、同じような人。

自然な感覚でいると、意識してやってる人はやっぱり少し強いなって思う。

そこまではいらないかなって。


もちろんこれは「今の私」の感覚。

きっと今の私には必要な感覚。

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自然体でいられる心地よさ

してあげなきゃ!って強く思っていたんだろうな。

それは裏を返すと自分はしてもらわないとできない、自信ないってことなのかもしれないな。

でも自然体で大丈夫。

それで愛は伝わるし、愛は感じられるよ。

心配しなくても大丈夫なんだよ。

私は私のままで子育ても仕事もできるし、夫に愛されることもできる。

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あふれる感情は言葉に

もうひとつ感じてることがある。

私は想いがあふれると、いいカタチでならあふれさせてもいいと思ってる節がある。

それが、いい感情ばかりがダダ漏れる原因かもしれない。

だから私、いい感情が過剰になり過ぎるのかもしれない。


また、悪い感情はあんまり出したくない。

でも余裕がなくなると、あっという間に悪い感情があふれてその場の空気を悪くする。

ああ、やだやだ、この感じ。

こんな私でいたくないのにって思ってた。


そんな私からは思っていたよりも簡単に卒業できた。

アンガーマネジメントとか子育てのノウハウとかそっちをどうにかしなきゃいけないかと読んだこともあったけど、そっちじゃなかった。

自分の感情と素直に向き合うだけだった。

つらかったらつらい、楽しかったら楽しい。

それを自分と話せたらそれだけで十分だった。


自分との対話が下手だったのね。

だから目の前の人との対話を大切にしたいと思ってきたんだ。

でも目の前の人との温度差に悩むこともあったよね。

価値観の違いに悩むこともあったよね。


相手との対話も大事。

でもその前に自分と対話してみよう。

言葉にして、ああ、自分はそう感じてたんだねって実感するだけ。

それだけなのに、ものすごーーく自分が愛おしく思えてくる。

頑張ってたなぁって実感できる。

さみしさや悲しさを全身で感じられる。


そうすると誰かに何かしようとかそんな気持ちが落ち着いてくる。

ただ、自分らしくあるだけ、自然体の自分がそこにいるだけになる。

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夫の「愛おしい」が爆発する

夫は感情や気持ちを言葉にすることをあまり好まない。

口数は少ないし、余計なことは一切言わない。

表現することで揉め事や嫌な空気になることを避けているような感じ。

ものすごく空気を読んでいると思う。

人の気持ちを察するよりも、そこに流れる波長?みたいなものを感じているような気がする。


多分ずっと私の出す波長?はあんまり良くなかったんじゃないかな。

無理してた。

何かを求めてた。

いい反応をするからいい反応をしてよ?的な。

なんか決めてかかってた気もする。

こうするんだからこうしないとおかしいでしょ?みたいな。


そういう波長を感じたら、セーブしたくなる。

余計なことを言われたくないなぁとか、めんどくさいことになりたくないなぁとか。


私の感情は私のものよね。

こうしてnoteとか自分の日記帳やノートにこっそりと書き出して、自分で自分を感じておしまいにする、そんな付き合い方でいいんじゃないかなとやっと思えたよ。

自分の中にあふれた感情は自分の中で楽しんで、普段はできるだけシンプルな私でいる。


そんなスタンスでやっていたら、夫の私への「愛おしい」があふれた。

夫は元々こんなふうに表現したかったのかもしれない。

私が自然体でいられているから自然と表現できたのかもしれない。

ただ、自然体な私を愛おしく感じたのかもしれない。

それはわからないけれど、あまり自己表現をしなかった夫が随分と変わったなぁと思った。

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愛を伝えられることは幸せなこと

愛を表現するってとても気持ちのよいこと。

誰だって表現したいんじゃないかなぁって思う。

だけどさ、周りの目や相手の受け取り方、社会的な見られ方、いろんな影響で素直に表現できなくなっていることって多いと思う。

でも愛を素直に表現して、目の前の人が喜んでくれる、こんなにも幸せなことってないよね。

そして、素直に伝えられる相手がいること、これもとても幸せなことだよね。

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大切なのは自然体

愛されるコツをひと言でいうなら、「自然体」じゃないかなって思う。

今はね。


それはありのままに振る舞うことではなくて、

自分の感情は自分のものということと、

自分は誰かのために生きるわけじゃなくて自分のためにあるということ、

それを自覚した上で出てくる自然な自分…かな。

私の感覚で。

私の経験から思ったこと。


さらに言うと、それは「無理のない私」なのかな。

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