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今日という日の感動を言葉に

私「よし、勉強おしまいね。」

学校に行かない選択をして2年以上の小学校6年の長男と、分散登校で今日は休みの小学校4年の次男と、一緒に勉強を始めて2時間。

ちょうどお昼になって、おしまいにした。

念願のおうち勉強、達成。

ここまでが長かったな。

それがいいとか悪いとかはわからないけれど、親子のコミュニケーションのひとつとして、おうちで一緒に勉強ができることは私の願いだったの。


「ママと一緒に勉強」はハードルが高い

うちの子たちには発達の凸凹がある。

保育園では配慮をしてもらいながら生活した。

小学校でも配慮をお願いしたのだけど、こちらからの要望と相談の上に成り立つことが多く、私はまだまだ子どもたちのことも配慮の仕方も理解できてないんだと思った。

理解が追いついてないから相談もお願いもできないし、担任の先生とのコミュニケーションの取り方もすり合わせも下手だった。

困ってるのは私。

そこからなかなか抜け出せなかったと思う。


2年で次男はいろいろと目立つことが増えて。

離席や注意散漫、場にそぐわない発言など先生から聞くたびに、それに対しての親の対応や先生へのお願い、相談など、いい形でできなかった。

適切な機関につながっているのに、適切な支援や相談につなげていくのは私の役割。

それが上手くできない時ってどうしたらいいのかもわからず、いつもワタワタしてた。


一方で、子どもと向き合うには最低限お互いの信頼がベースにないとどうしようもないと感じてた。

ママ大好き!じゃなくていい、安心して相談できる、話を聞こうと思える、子どもたちにとってのそういう相手に、私はなれてなかった。


仕事柄、人との信頼関係の感覚には敏感だと思う。

一方的に言い聞かせる形では、信頼関係って築けない。

相手の意見や気持ち、こちらの意見や気持ち、それをまず伝え合えること、そこからお互いにとって納得できる形を見つけていくことって大事よね。

お互いに1人の人として話をしながらも、私は親の視点でも考えていく。

だけど、お互いにフィットするような関係には、なかなかなれなくて。


それでも長男とは、小学校3年で突然やってきたかな。

それまでは心の内側が全く見えなかった長男が、少しずつ自分のことを話してくれるようになった。

意識してきたことといえば、自分の小学校時代の失敗談を話したり、自分なりの勉強との向き合い方や友だちとの向き合い方、今思うとこうだったかも、なんて話を寝る前に淡々と話してきたかな。

私っていう人となりが伝わったのが良かったん みたい。

安心したんだと思う。

長男は心を開いてくれるようになり、本当は学校に行きたくないことも打ち明けてくれ、小学校4年からは学校に行かない選択をして今に至る。


次男ともうまく噛み合わなかった。

次男はADHDもあるから、行動抑制がきかず、つい言い聞かせることが多くなってしまってたのが起因だと思う。

次男の問題行動には注目せず、普段のなんてことはないときの関わりを大切にすることにした。

ちゃんとあなたのことを見てるよ、知りたいと思ってるよ、という姿勢と、ジャッジじゃなくてそのままの次男をそのまま理解する意識。

何か話しても逆ギレされることが続いてたけど、最近は冷静に話ができることが増えてきた。


次男は帽子を3つ重ねるとか、靴下の3枚重ねや片方しか履かないとか、ギョッとするような状況で学校に行くことが多かった。

それを私は、「不安からのもの」や「それがどういう意味を持っているかの理解の弱さ」が原因と考えてた。

よく注目されたいための行動と言われたりもする。

それはゼロではないとは思ったけど、笑われたとか学校が嫌だとよく言っていたから、私は理解の方のつまずきと考えてサポートしてきた。


でもね、親の言うことを聞いてみようと思うところに利点が感じられていなければ、何をしても、何を言っても脳には届かないの。

だからね、私は何よりも次男との信頼関係を大切にして、ずっと過ごしてた。

そのためには何気ない時間に、お互いに心地よい関わりがどれだけできるかが重要だと思ってた。


そんなこんなしているうちに、この1年で次男も変わってきた。

私も変わったしね。


こうやって、地道にコツコツ積み重ねていくしかないんだろうなって思ってる。

よく〇〇をすれば良くなる!みたいなノウハウあるけど、そんな簡単なことじゃないと私は思う。

何かをすれば、というよりも、ちゃんと目の前に存在している人のことを見て感じて知ることが大事よね。

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今日という日に感動

今日は〇〇を午前中にやろうね、と事前に声をかけておいた。

感情的にならずに3人が揃い、それぞれが課題に向かって勉強してた。

私もね、次の職場に必要な知識の再確認と法律の確認しなくちゃ。


長男はネットスクールや通信教育を利用して、自分のペースで勉強を積み重ねられてきているのを感じた。

夜の眠れなさは続いているけれど、学びの積み重ねはしっかりとできてることを確認できて、ホッ。

時事的なこともネットニュースで確認しているみたいだし、ニュースについての話を振ると自分なりの考えや知っている情報を話せた。

家にいると、人に伝えるとか頭で整理して話すとか、そういう機会がどうしても少なくなるから、こういう会話していくことも大事かもって思えた。


次男はまだ勉強の理解にサポートが必要だと感じたかな。

刺激が多いとどうしても集中できないし、理解には時間がかかるし、気分によってもムラがある。

学校ではそれなりにやってもらいつつ、家では家での勉強を積み重ねていく必要があると思った。


分散登校になっていた今月はいい機会だったのに、仕事がある日は向き合えなくて、すれ違いが多かった。

もう少し時間が持てたらいいのにって何度も思った。


そんな中での今日の午前中の時間は有意義だったよね。

ただね、本人たちの自分からの意欲があってやってることじゃないから、私の親としてのエゴでしかないかもしれない。

いや、エゴなんだろうなって思う。

それでも、今、私が子どもたちに必要だと思うこと、自分にできることはお互いに無理のない範囲でやっていきたいと思ってる。


それとともにたくさん一緒に笑う時間を過ごしたいよね。

夕ご飯のときに、みんなで笑って食べる時間も最近やっと作れてきた。

私の笑いのセンスの低さを実感してるところではあるけど。

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おうちでのバランスを考える

うちは発達の凸凹があったから、幼少期から小学校低学年までってめちゃくちゃ大変だったんだけど、それを抜けた今、やっと肩の力が抜けた。

勉強もやっと一緒にできた。

低学年のカンタンな時に積み重ねたいって何度も思ったけど、うまくいかなくて、苦しかったもの。


今は遅れと凸凹のある三男が、これからワーッと荒れそうというか、大変な時期に突入しそうな予感なんだけど、みんなで話し合ったり考えたりして、乗り越えていけそうな気がしてる。

この安心感は大きい。


今まで、私にとって仕事という社会活動のウェイトがかなり大きく占めていて、子どもや家のことを大切にしたくてもできなかった。

仕事を減らすと生活費や教育費にしわ寄せがいってしまうこと、時間ができても子どもや家のことをちゃんとやれる自信がないことから、仕事を減らすことに怖さがあったのも事実。

だけど、大丈夫。

こんなふうにひとつひとつやってきたことは積み重なってる。

家が安心できる場所で、親が安心して話ができる人であれば、まぁいいよね。

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自分を立て直す時間に

やっと家庭のベースが整ってきたから、転職で仕事の時間が減る分、自分の時間が持てると思ってる。

必要なときは子どもたちに、安定してるときは自分の時間に。

その時間で私は、もう少し自分を立て直したいって思ってる。

10年日記を書くこと、手帳やnoteの活用、40代の10年をどんなふうに生きていきたいと思っているか、ゆっくり考えながら日々を過ごしたい。

30代は怒涛の10年だった。

子どもの療育とか、心の発達とか、自分の特性とか、生活のバランスとか、仕事との両立とか、人間関係とか、ガムシャラに頑張ってなんとかしようとしてきた10年だったと思う。

それは無駄にはなってなくて、ガムシャラにやったけど、だからといってどうにかなるものではないってことがわかったから、今がある。

やってみて実感しないと次に進めないところは、私らしい。

40歳を目の前に、今は一生懸命棚卸ししてて、これからの人生の軸をなんとなくでもいいから、見出せないかなって思って過ごしてる。


私はただいるだけで、生きてるだけでよくて。

やらかしてばかりだけど、そのやらかしが持つ意味と、やらかしたから得られる大切なことも見えてきたからさ。

やらかしてもいいじゃん、ってちょっと思えてきたし。

何にもしなくてもいいし、何かを頑張ってもいい、そんなふうにどんな自分でも応援できそうな気持ちにもなってきた。


私は今考えられる中でひとつひとつ選択し、行動して積み重ねていく、その繰り返しが未来をつくると思ってる。

自分の足で自分の力で自分がやりたいと思うことを選択していたら、自分に合ったカタチでいろんなチャンスがやってくるんじゃないかって感じていて。

焦らず流れに乗っていくのもアリだよね、そう思ってる。


今日という日に感謝して。

あんまり気負わず生きていこうと思う。

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