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生きるのが大変だったからこそわかること

「わかる」っていう感覚が信じられる人と信じられない人、いませんか?

私はかなりそこんとこ敏感です。

やっぱり同じような想いをして、いろいろと試行錯誤してきた人が選ぶ言葉っていうのは違うから。

「安心感」とか「リラックスできる」とか「丁寧に人と関わる」とか、そういう感覚を大切にしたいと思うようになってから、感じていることを言葉にしてみます。


信頼感が生まれるとき

信じられる人と信じられない人がいる、それは当たり前のことですよね。

自分が何を求めているのか、どんなことをわかってもらいたいのか、それにもよりますしね。

誰もが傷つきたくないし、つらくて話を聞いてもらいたいときもあるし、放っておいて欲しい人もいます。

私は困ったって思ったときに安心して話ができる人がいるって心強いし、わかってもらえると涙が出ます。

だから、私も仕事ではそんな存在になりたいって思っていました。


それでね、今、それがちょっと実現できている、それが嬉しいです。

私の専門で、わかってあげられることはからだの声を聞くこと、特に関節や筋肉、バランス、姿勢、動作に関しては見たり聞いたりして、実際に体を触ったらほぼほぼ理解してあげられます。

どこが悲鳴を上げていて、どこが弱っていて、どうしたらいいのか。

そして、それはひとつの手段にすぎなくて、その奥の気持ちはその方が生きていくことを応援しています。


そう、私の仕事の根本スタンスは「応援」です。

心強い味方とか、体のつらさをわかってくれる人、元気がもらえる人、そんな感覚の人間でいたいなって思っていて。

私がそばにいることで、体を動かすことを頑張れたり、おうちにいる間も頭の隅にからだのケアのことが意識できていたり、何かあってもあの人がいると思えると勇気を出せたり。

そんな存在でいられたらいいなぁ、と。


そして、その想いが最近実現できているのを感じています。

伝わっている、と感じるんです。

通じるってこんなにも嬉しいんだなって思います。


もちろん相手が私にそういう役割を求めていなければ、つまりニーズがなければやらないことなのだけれど、ニーズがあって、そういう方を治療していると一致感がすごくて…そんな状況にあると、よくなっていくのも早いのだなぁと思います。

信頼できるとか、安心できるとか、そういう気持ちって心や体のエネルギーになるんですよね、きっと。

加齢変化や関節の変形など、私の手では治療効果を出せないものも多々あるのだけれど、できることが増えたり、生活の質は上がっていったり、気持ちが元気になって動けるようになっていったりしていく姿をみてきました。

本当に嬉しいです。

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できないことを悲観しなくていい

その人の困っている部分に専門分野でピンポイントにサポートしてあげられる、そういう自分でいられている現実に、最近とても感謝するようになりました。

それは多分、今までの私の生きづらさとか、子育てでの行き詰まり感とか、仕事での無力感とか、そういう経験が、今の私を育てたのだと思うから。


今の職場ではね、最初はなかなか結果を出せなくて、目の前の人に申し訳なくて、それを自分でうまくコントロールもできなくて、私は母親としても職業人としても不器用でうまくできなくて情けないって思ってました。

何年かかかって、やっと今自分なりのスタンスが確立できて、お互いにいい時間を過ごせるようになってきて。

時間はかかるけど、想いは叶う…実感しています。


だからね、私、今、上手くいかないでしんどくなってる子どもたちのことも、肯定的に考えられるようになってきたんです。

大丈夫、いつかその経験が自分を強くするよって。

今、上手くできない自分をダメって思わないでほしいなって。

時間、かかるんだよって。

人それぞれのペースがあるし、得意不得意もあるし、慎重だったり丁寧にやりたかったら余計に時間ってかかるもの。


私はね、自分の専門分野で、人の生きるチカラになりたいって願ってました。

昨日は、言葉は生きるチカラになるって伝えたけど、手段はいくらでもあると思うんです。

そういう想いが、いつか必ず自分を強くする…そう信じてほしいなって思います。


できないことを悲観しなくていい。

情けなく思う気持ち、自分を否定したくなるくらいの経験は、いつか自分を強くするから。

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想いはいつか叶う

今の職場はね、最終的には自分の想いをほぼ100%叶えられるような場所でした。

これがやりたかったんだって、心が震えました。

でも100%近くも想いを叶えられることって、ものすごくエネルギーが必要でした。

それくらい、私は自分の能力以上のことを自分で欲していたんだって実感したし、その中でもバランスを取って想いを叶えるコントロールを学びました。


振り切ってもね、上手くいかなくてもね、その中で学ぶことってたくさんあります。

むしろ、上手くいかないからこそ、気づきにつながるんですよね。

自暴自棄になってしまいやすかった私だけれど、上手くいかない自分を信じていいし、応援してあげることは大事なんだって、やっとやっと気づけました。


どんな経験でも、無駄になるってことはなくて。

できない自分を責めて気持ちを高めていく必要もなくて。

ただただ、現状に対して、自分がやれることをひとつひとつ積み上げていく。

困ったら声に出す。

でもいちばんは、頑張ってる自分にオッケーを出して、応援してあげる、それでいいんですね。


私、今までわからなかったなぁ。

壁にぶち当たったとき、いつも体当たりして突破しようとしてきたもの。

それが雑草根性を育てたとは思うけど、いろんなやり方があっていいんですよね。

自分以外にも守りたい存在ができたら、体当たりはちょっと体力的にも周りへの影響的にも、合わなかったんだと思うから。


先日、夫との関係の変化もnoteで赤裸々に言葉にしてみたら、心が少し穏やかです。

多分、言葉にすることで、あっちに転んだりこっちに転んだりしながらも、夫婦ともに欲しいと思ってきた「信頼できる人と愛おしいと思う気持ち」にたどり着けたと、実感できたんだと思います。

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自分の気持ちや想いを大切にしよう

こうしたい、これを手に入れたい、こんな感覚が欲しい、そういう自分の気持ちには貪欲に、結果はすぐに出なくても、求めていっていいんだろうなって思います。

欲しいものは諦めなくていい。

ただ、同じやり方ではなくて、いろんなやり方でチャレンジしてみるのがいいかな、と思います。


仕事も子育ても夫婦愛も、望むカタチではないけれど、叶えたかった想いは叶ってるんです。

幸せのカタチっていろいろあるんだなって思います。

成功とか有名になるとかお金がたくさん得られるとか、そういうカタチはわかりやすいけれど、それを得ることでどんな感覚を得たいかの方が、実は大事で。


私は多分、信頼できる人がいる安心感や、家族で過ごす穏やかな日々が欲しかったんです。

それを実感するためには、今までつらいと思ってきた数々の試練や問題が必要だったのだろうと、今ならわかります。

なんか言葉にしたらキレイゴトのようだけど、全然キレイじゃないし、修羅場感満載でした。

でも必要だったのよね、うん、そう!


つらいときは、それを解決するために頑張るよりも一緒にいてくれる人を見つけたらいいのかもしれない。

頑張るのは自分だけど、落ち込んだり、ブレブレだったり、どうしても自分を責めたくなっちゃうときでも、うんうん、そうだねーって言ってもらえるような。

でもそういうときってさ、傷つくの怖いし、人を簡単には信用できなかったりするから、そんなときはnoteでみかんがこんなこと言ってたなぁって思い出して欲しいなぁ。

私もこれから仕事変えるし、職場の人間関係構築には自信がないし、落ち込んだら自分のnote見返すって決めてます(笑)

最終的には、自分のことをいちばんに自分が応援できるのがいいんだろうなって思うので。


今、いろいろ悩んでたりしんどかったりする方、一緒に自分を応援していきましょうね♪

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