見出し画像

変えようと思った時が変え時だよね(maybe)(前編)

こんばんは。ミサキです。

さっき新しい記事を投稿したばかりなのですが、それ関連で。参加者の子と色々話して思考が揺れ動き、その揺れ動きの振れ幅みたいなのを(数か月後の修論執筆で頭を抱えている自分のヒントとするために)書き残しておきたいと思って、再びラップトップを開きました。

ここに書くのは、ミジュツカの今までとこれからについて。事実っていうか、事実の部分もあるけど、理念や理想がどのように変わってきたのかを書こうと思います。

5月24日にミジュツカの展示が始まって、それから約3か月の間にいろいろあったというほどいろいろはなかったけれど、主宰たる私の内面では様々な変化がありました。

そもそもなぜこの活動を始めたのかというと、私の在籍している学校には、学生が創作物を発表する場がなかったから。芸術系の学部がある学校なら、学校主催のアートマーケットやギャラリーがあったりしますが、私たちの学校にはありません(芸術系ではないのでね)。ついでにいうと、学校近辺(学校から徒歩で行ける範囲)にも美術館やギャラリーはありません。だから、私たちの生活圏に於いて美術に接触する機会というのはほぼないのです。これは、創作活動をしている学生にとっても、それらを観ることを愛好する人にとっても損失ではないかと思いました。特に、今の社会状況では行動範囲も制限されているので、創作物そのものに触れられる機会はだいぶ減ってしまっていますし。

では、コロナウイルスが流行していなければミジュツカを立ち上げなかったのかというと、そうでもありません。行動範囲が制限されていなくても、おそらくやっていたと思います。

なぜなら、ギャラリーで展示するのってめちゃめちゃ金がかかるから!!!!!!!!!!!!!!! もうまじ、学生にとってギャラリーで個展を開くことはとても苦しいことです。個展やったことないけど、ちょっと見積もってみて「あ、こりゃ無理だ。約半年分のバイト代がごっそり持っていかれてしまう・・・」と諦めました。だし、お金払って開催できたとして、その費用に見合うだけのエンゲージメントがあるかといえば、それはもう博打なわけで。リスクをひょいひょいと負える学生ばかりなら、世の中の美術系の学生はこぞって頻繁に個展を開催することでしょう。でもみんなそんな恵まれたバックグラウンドを持っているわけではない・・・。

費用面の問題もありますが、期間の問題もあります。レンタルギャラリーでの展示って、1週間とか定まった期間でしか開催できないんです。会期が終わってしまえば、売れなかった作品は誰の目にも触れることなく作家の自宅なりなんなりに保管されることになります。それってもったいないなって思ったんですよ。ええ。別に人目にさらすために創作しているわけではないが、創作したからには見てもらえた方が嬉しいし。

で、ギャラリーでも画廊でも美術館でもない、何か新しい場所で作品を飾ることができないかな、と考えるようになったのです。半世紀くらい前に欧米では「オルタナティブ・スペース」というものが流行ったらしいですが、それを数百周遅れで追っかけてるような感じ。あるいは、クールベが世界初の個展を開いたのと近い発想かなぁ(全然ちげーわ!!ってクールベガチ勢に怒られませんように)。

幸いにも、そんなことをうだうだ考えていた時に、Cafe & Dining Bar YUZURIHAの前店長に、「(私はかつて同期と一緒にCafe & Dining Bar YUZURIHAで展示をやったことがあったので)また一緒に何かイベントできたらいいですよね」とお声がけいただいたんですよね。これ幸い、渡りに船(使い方、あってる?)だと思って、スタッフと現店長にお願いして、お店で期間を定めずに作品の展示・販売をさせてもらえることになりました。本当に感謝。

と、ここまで「うちの学校の近くにも展示できる場所があったっていいじゃないか! ギャラリーとは違う形で。」という発想のもとにミジュツカを立ち上げたお話をしてきました。でもね、ミジュツカの目的ってこれだけではなかったんです。

もう一つのミジュツカの目的。それは、「いままで美術と縁のなかった人たちにも、美術に愛着をもってもらうこと」。

美術作品ってどうしても、行政が買い上げて公的に扱うもの、美術館に展示してあるもの、あるいは金持ちが蒐集する高額商品っていうイメージがあるじゃないですか。私はそれを変えたくて。大枚はたかなくても、一寸のジャンプ、あるいは背伸び無しでも買えるお値段で魅力的なものってたくさんありますよって知ってもらいたかった。お金持ちだけが美術を愛好できる世界っていやだなって思ってたんです。ピエール・ブルデューによると、美術作品にはどうしても個人の社会階層の差を明瞭にし、さらに固定化してしまう機能があるらしいですが、そうならないように美術をもっと開いていきたいと思いました。(彼の著書『ディスタンクシオン』や『美術愛好』に詳細があるので興味のある人はぜひ。)

だってさ、今後どんどん所得格差が拡大していったら、おそらく金持ちなんて呼ばれる人はどんどん減ってしまって、金持ち相手だけの商売なんて悪趣味だと思う。

それから、これもブルデューからの援用ですが、美術を愛好する人って大人になるまでの期間に美術に触れる機会が多かった人である傾向が高いらしいのね。義務教育で美術館に行ったりする機会は確かにあるけれど、それだけではどうしても美術に興味を抱きづらいらしく、結局は家庭環境に左右されてしまうのだそう。でも、今ミジュツカが活動している場所っていうのは、子どもではないけれども大人でもない、変容していく可能性が存分にある人たちがうようよしている場所なわけ。ってことは、この場所に美術に触れられる(購入できる)場所を作れば、今後コアな美術愛好家が育つ可能性もあるんじゃないかって思った。ので、彼らにも代えるお値段で作品を販売して、将来的にビッグなアートコレクターになってもらおうと。スモールでも顕微鏡サイズでもいいんですけど。

そうして熱狂的なファンが育つことで、創作活動を行っている側もより活動しやすくなるのではないかと思ったのです(実はこれが目的としてかなりの比重を占めている)。クラスで前に出て発表したことのある人はわかるでしょうけど、発表したときにオーディエンスから何の反応もないのってつらくないですか。作品つくったからには見てもらえたら嬉しいし、発表したことに対してなんらかのリアクションがあってほしい。それは購入という形をとるかもしれないし、作品についてのツイートかもしれない。そうやって作品に対して何らかの評価が行われることが、創作活動をする人々のモチベーションの一つになります。

あとは、制作するにせよ発表するにせよ、大なり小なりお金はかかるので、どうせだったら作品売れた方が次の創作や発表の資金ができていいなっていう。まぁそんなこんなでいろいろ考えてきた結果、初期ミジュツカの活動方針は以下のように定まりました。

「アルバム1枚買えるくらいのお値段で、アートが買える」

今まで美術に興味がなかった人にも見てもらえるような場所で展示・販売をする

安価にすることで、若年層でも買いやすい状態を作る

販売を通して、次回作や次の発表のための資金を回収する

で、この方針で数か月やってきたんですけど、まあこれがうまくいってないんですよね。なんでうまくいっていないのか、そもそも作品の売り買いってなんなんだろう、作品って売り買いしていいものなのかな、やっぱりお金持ちに対して売った方がいいのかな、作品の売買の目的って何、若年層に対して売ることは正しいのだろうかとか、いろいろ考えてきました。

研究なので、作品売買の倫理観以外にも、研究ならではのしがらみがあったりして、それもあってうまくいかず。私が参加者とコミュニケーションを取ることにビビってしまってうまくいかず。なんかうまくいかないんだよなーとなりました。

思ったよりも文が長くなってしまったので、いったんここで切ります。

続きが気になる方は後編へどうぞ。(今から書くのでしばらくお待ちください)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?