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教師も人間。生徒も人間。


ちょっと私の経験を。

結論、
感情が剥き出しになり、ぶつかり合うと問題になる。
人間には感情があり表現することができる生き物。
それが悪く作用すると問題が起きる。

先生と生徒(児童)の問題は、今に始まったことではない。
私にも経験がある。
私は別の先生に助けてもらったから救われた。
その先生は、もうこの世にいないけど。

小学6年の時だった。
授業中に隣の席の女の子が、私に小さく折った手紙を渡してきた。
授業中の手紙渡しは、誰でも行っているようなクラスだった。
私は、それを面倒に思う子供だった。

ちょうど6年生の時、母親が離婚を告げてきた。
私の毎日は、少し心が不安定なのもあったからなのか、
同級生からもチクチクと小さないじめがあって
毎日学校に行くのが嫌だった。

「ねえこ、好きな人いるの?」

隣の席の子からの手紙には、その一言が書いてあった。
隣の子は、特別仲良しなわけではなく、クラスメイトという関係だった。

その手紙を読んでいる時、担任の先生が急に大声を出した。

「ねえこさんは授業に参加せずに手紙を読んでいます!」

そして私に近づき、手紙を取り上げた。
隣の子は、抵抗し、自分に罪をかぶせ、

「先生、それ私が渡したんだ。ねえこに渡したのは私!」

私は黙っていた。
確かに、手紙を受け取るのを面倒だと思った。
こんなことになるだろうな、と想像できたから。
でも、そこからだった。

「ねえこさんの好きな人は○○君でしょ。知ってるよ。
 みんなも知ってるよ。○○君もねえ子さんのことが
 好きだってみんな言ってるよ。」

明らかに、その手紙には書いていない内容だった。
それを大きな声で黒板の前まで行き、クラスのみんなの前で
読み上げたのだ。
正しくは読み上げたのではなく、自作文を言い放ったのだ。

特に私は◯◯君を好きでもなんでもなかったし、
ただクラスメイトで普通に話している仲だった。
私には意味が全くわからなかったから、黙っていた。

「ほら、図星だから何にも言えないんだね」

と担任は得意げに言っていた。

隣の子は、

「違う違う、そんなこと私書いてない!」

と終始否定していた。
そして授業の後にその子は私に謝ってきた。

「ごめんね、あんなこと書いていないのに。
 先生、ひどいよね。」

「別に、大丈夫。事実じゃないし。」


その担任が私を嫌っているんだろうなと思ったのは、
その時だけだった。
私は特にその先生に囚われていなかったのだと思う。
でも隣のクラスの先生(学年主任)が、何かにつけ私の事を気にかけてくれていた。
声をかけてくれたり、学年での行事での決め事でも私を採用してくれたり。
私はその先生が担任だったら良かったなぁと思っていた。

ある日。
もう結婚して子供も生まれて母になってからだった。
帰省したときに母と担任の先生の話になった。
そのときにびっくりする話を聞いた。

「ねえこは、6年の担任にいじめられてたみたいだったね。
 卒業間際に、校長先生と面談があって、謝られたんだよ。」

え、何それ初耳。
私、先生にいじめられてた?そうだったのか。
それでつじつまがあった。

「6年生になってから急に通信簿の成績が下がったから、学校に相談してみたんだよ。たまたま校長先生と学年主任の先生と話すことができてね。」

確かに、6年生ではガクッと成績が下がったのを覚えていた。
仕方ないよなー、評価するのは自分じゃないし、って思っていた。

「その時に、校長先生も学年主任の先生も、ねえこは担任から嫌がらせを受けていたようだと言っていたんだけど、ねえこは覚えてない?」
と母。

びっくりした。
確かに担任は、あまり私には声をかけてこなかった。
それは私がもともと先生になつくようなタイプの子供ではなかったから、
普通に思っていた。

「成績があからさまに下がったから、ねえこに何かあったのかなと心配になって聞いてみたんだよ。」

でも良かった。
その当時、私は全くその担任からの嫌がらせに敏感に反応していなかった。
それは本当に今思うと良かったと思う。

自分より、隣のクラスの学年主任の先生の方が、気づいていたようだ。
だから、たくさん声をかけてくれていたんだ。
その先生はとても面白い先生で、色んな想像力で話をしてくれて、
授業が楽しかった事を覚えている。
私だけでなく、一人ひとりの個性を理解し伸ばしてくれるような先生だった。
同級生に息子さんがいて、私はその息子さんと一緒のクラスだった。
異動とともに、その息子さんも転校して行った。卒業とともに。

当時の私は、学校が面白くなく、
友達は仲良しなのかいじめられてるのか分からないような関係で、
行きたくないけど、離婚した母に心配かけるのも嫌だったし、
祖父と祖母にも心配かけたくなかったから通学していた。
クラスメイトの中には話す相手はいたから救われていた。
だから、担任の先生はそんな私をいじめたくなったのかもしれない。
原因は私にもあったのかもしれない。

中学生になると、なぜか仲良しなのかいじめられてたのか分からない友達は、クラスが別になった。
今思うと、学年主任の先生の計らいだったんだと思う。
中学生では伸び伸びとした生活が送れた。
霧がはれたような中学校生活だった。

先生も人間だし、生徒も人間。
だから好き嫌いはあって当然だと思う。

でも、だからと言って自分の好き嫌いを
他の人に認めてもらいたくて披露するのは大人気ない。
それも児童に。
その担任はあからさまに嫌味くさい奴だった。

その時助けてくれた学年主任の先生は、
私が大学生の時、訃報が届いた。
自殺だったと。

本当にいい先生だった。
目をキラキラさせて子供たちに話をする先生だった。
優しい先生だったんだ。
その先生がしっかり見ていてくれたから、
私は救われたんだ。

昔も今も、教師の問題ってあるんだと思う。
感情の問題。
心に余裕がないと、
先生だって人間だから、イライラしたりカッとなったりするんだ。
死んじゃう人だっている。

子供も嫌な思いをする。
子供の親だって嫌な思いをする。

うまく言えないけど、
いじめはあってはならない。
でもひきずってもいけない。
人間だから、先生も生徒も。

私が関わってきた先生たちは、
今の時代なら、みんな辞めさせられてるな(笑)。
棒を持って歩いて、ケツバットだったり、
「一歩前へ出ろ」と言われ平手打ちされたり(笑)。
きっと「加減」が分かっていたんだろうし、
感情で動いていなかったんだと思う。
子供への「愛」と親御さんからの「信頼」があったからこそ
成り立っていたんだと思う。

今って、そういうの、あるのかな。
そういうのを知らない子供たちなんだろうか。
それも、考えさせられるな。

結論、
今も昔も
先生も生徒も
人間だから、合う合わないはある。
でも自分の感情を他人に同調させるのは違う。
それも子供に同調させるなんて。
大人のやることではない。
人間それぞれなんだから。
それぞれの感情を時にはぶつけ
時には認めて
時には反発し
時には分かり合って。
自分を大切にできたらいいなと思う。

よく聞くけど、先生らしい、ってなんだろう。
先生も人間。えらくなんかない。
女らしい
男らしい
先生らしい。。。
一体、なんなのかな。

いじめられていた立場で、先生の立場を考えるのも
よく分からないけれど、
人間なんだから感情があるんだから、
お互いに理解できないこともあるんだろうけど、
そうなんだーって認めることはできるよね。

理解できなくても
その存在や意見を
「あなたはそうなんだね」
って認めることはできると思う。
それでいいと思う。

何が言いたいのか、ちょっとよく分からくなった。

気に入らなくても、
無視したりされたりするより、
「そうなんだー」
と存在や行為を認めてくれればそれでいいんじゃないかな。
「ふーん」
でいいんじゃないかな。
「自分は違うけど、そうなんだー」
でいいんじゃないかな。
先生も生徒も、それでいいんじゃないのかな。
先生とは違うけど、そうなんだー。
でいいんじゃないのかな。

支離滅裂になってしまった。
ここでやめておきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。









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