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2分間で人生が変わる魔法の習慣

「プロテイン」なんて、自分には生涯縁のないものだと思っていた。

子どもの頃から本が友達。学校で一番好きな場所は図書室だった。日差しの下、校庭を走り回る運動部の人たちを見て、「青春だなあ」と目を細めるものの、所詮他人ごと。私が「あちら側」の世界の住人になることはおそらくないだろう。

しかし、人間は自分にないものを持っている人に惹かれるらしい。

大人になって結婚した相手は体育会系で、「悩んだり、ストレスが溜まったりしたらとりあえず走る。それでも駄目なら寝る」というポリシーの持ち主だった。
走ると苦しいし、疲れるし汗をかいて気持ち悪い。それがどうしてストレス解消になるのか、結婚当初、私にはまったく理解できなかった。

夫を見ていると、ひとしきり走った後、何やら粉の入った袋を開けて水に溶かし、飲んでいるようだった。
「それ、何?」
「プロテイン」
夫の説明によると、タンパク質が豊富に含まれ、運動後に摂取することで効果が高まるらしい。

「へえ。そうなんだ……」
説明を聞きながら、私の頭には、ボディビルの大会で筋肉を披露する人々の姿が浮かんでいた。元文学少女には無縁の世界だ。
自分と違うものを愛する夫の価値観を尊重しつつも、私は「プロテイン」と筋肉にまつわる情報を心の一番奥の引き出しにしまい、そっと鍵をかけて封印した。

それから、10余年の月日が流れた。

アラフォーになり代謝が落ちてきたところへ、コロナ禍が追い打ちになり、20年来あまり変化しなかった体重が、じりじりと増え始めた。
「35歳を過ぎると、代謝は落ちる一方だからね。運動して食い止めないと、どんどん体型が崩れていくよ」と夫に脅され、私は戦慄した。スポーツジムに通うこともままならない状況下で、選択肢は限られている。
「……わかった。走ってみる」
私はようやく重い腰を上げた。

と言っても、運動嫌いで通してきたインドアな性質を、突然ストイックに変えるのは難しい。本好きには、本好きのやり方がある。私は、まず「習慣」についての本を読むことから始めた。

手に取ったのは『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』。
原題は「Atomic Habits」。「一番小さな習慣」というような意味だ。アメリカでベストセラーになっているという。
習慣をテーマにした本はたくさんあるが、この本を選んだ理由はシンプル。「小さい習慣なら、面倒くさがりな自分にも続けられるかも」と考えたからだ。

新しい習慣を身につけるための方法について、著者は段階を踏んで丁寧に解説しているのだが、中でも新鮮だったのは、こんな見出しだ。

「2分間ルールで先延ばしをやめる方法」

走りに出かけるのが面倒くさい朝、走らないための言い訳を、私は無限に見つけることができる。「雨が降りそう」「まず朝ごはんの支度をしなくちゃ」「何となくお腹が痛い気がする」「走るのは、明日からにしようかな……」

そんな先延ばしをやめるには、2分間あれば十分だと著者は言う。
「走りに行く」と一口に言っても、「トレーニングウェアに着替える」「ドアを開けて外に出る」「準備運動をする」「スタート地点まで歩く」など、実はいくつもの行動が積み重なっている。そのうち、最初の行動を「2分間の儀式」にしてしまうのだ。

朝起きたら、まず2分間でトレーニングウェアに着替える。最初は外に出なくても、着替えるだけでいい。着替えることが習慣になったら、ドアを開けて外に出てみる。深呼吸して、戻ってくる。ドアを開けることも習慣化したら、今度は準備運動をして家に戻る。そうやって、ひとつずつ小さな習慣を積み重ねていくことで、新しい習慣が身に着くらしい。

「習慣は高速道路の入り口のようなものだ」と著者は言う。「あなたを進入路へ導き、知らないうちに次の行動へ向けて加速させる」。

本当に、そんなにうまくいくかなあ……と半信半疑のまま、私は朝起きたらトレーニングウェアに着替える「2分間ルール」をスタートした。最初から気合いを入れすぎると3日坊主になることは経験上わかっていたので、当初は外にも出なかった。とにかく何も考えずに着替えるだけ。

そのうち、せっかく着替えたのだからちょっと外に出てみようかなという気持ちになった。天気のいい朝、日差しを浴びると気分がいい。ストレッチだけでもしようかなと思う。何日かストレッチをしているうちに、気が向いたので公園を歩いて一周してみた。いい気分転換になる。ときどき歩くようになったので、ランニングやウォーキングの距離を計測するアプリをスマホに入れて、音楽を聴きながら散歩するようになった。歩けば歩くほど距離が積み重なっていくので、達成感が得られる。

歩く距離が延び、ときどき走るようになり、走る距離が1㎞、3㎞と延びていくのに時間はかからなかった。3ヶ月ほどで、私は「朝起きたら、自動的に走る」習慣を手に入れていた。今でも、朝目が覚めると「走るの面倒くさいなあ」と思うのだが、2分間ルールを使って、とにかく何も考えずに着替える。そうすると、脳が次の行動を覚えていて、体が勝手に動いてしまう。「走らないと落ち着かない。気持ちが悪い」とすら感じるようになったのだから、習慣の力はおそろしい。

毎日走っていると、自然と自分の体調に意識が向くようになり、食生活も変わった。朝は時間がないことを言い訳に、甘いパンやシリアルで済ませることが多かったのだが、「シャワーを浴びたら、すぐに冷蔵庫から野菜を取り出す」という行動を2分間ルールにしてみた。テーブルにきれいな緑色のレタスが転がっていると、「洗って食べてみようかな」という気分になるものだ。

食生活を意識すると、食事と栄養についてのさまざまな情報が目にとまるようになる。健康的な体を維持するには、野菜と同じくらいタンパク質が重要だということを私は知った。しかし、肉や魚や卵だけで、一日に必要なタンパク質を摂取することは難しいのだという。運動後に「プロテイン」を飲むと、効果的にタンパク質を摂ることができるらしい。なるほど。

「あのさ、プロテインの選び方を教えてくれる?」
ある朝、私は夫に切り出した。私が超インドア人間であることを誰よりも知っている夫は「ど、どうしたの急に?」と動揺している。
「効果的にタンパク質を摂って、筋肉をつけて代謝を上げたいんだよね。ムキムキになりたいわけじゃないけど、元気なまま年をとりたい」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、夫は穴が開くほど私の顔を見ていた。

そんなわけで、ほんの数ヶ月前まで、運動にもプロテインにも一生縁がないと思っていたインドア人間の私は、今や毎朝せっせと走り、プロテインを飲む生活を送っている。
最初はたったひとつの小さな行動「朝起きたら、トレーニングウェアに着替える」ことを習慣にしただけなのに。大きな変化はきっと、拍子抜けするほどささやかで、小さなきっかけから始まるのだろう。

「そう言えば、英語の勉強したいと思ってるんだよね」
夕食のとき、ふとそんなことを言い出した夫に、私はにっこり笑って『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』を差し出した。
「これ、読んでみて」
人生を変えるには、2分間あれば十分なのだ。

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