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「個性がない」は、悩むだけムダ?-3泊4日の参禅修行①

今年はやけに“修行欲”が高い。平成最後の夏だから? うまく説明できないけれど「ちょっと落ち着いて軸を整えたい」みたいな気持ちになっている。

その修行欲を満たすため、行ってきたのが福井県永平寺。ここでは、修行僧に近い生活を3泊4日で体験できるプログラムがある。

初日に電子機器をすべて預け、化粧を落とし、参加者全員が同じ袴を着る。座禅を行う禅堂の中は私語厳禁。それ以外の場所でも、“修行をしている”意識を忘れずに、私語は慎むようにと、担当の修行僧から説明が入った。

噂によると、男女20人ほどの参加者で、毎度脱落者が1,2割いるらしい。

1日目のスケジュール
13:00 集合、オリエンテーション
17:00 夜ご飯(精進料理の薬石修行)
18:40 入浴
19:40 座禅
21:00就寝

1日目からさっそく座禅。畳半畳ほどのところで、壁に向かいながら40分サイクルで、ひたすら座り続ける。

来る前は足の痛みを不安に思っていたけれど、それよりも眠気の方が辛かった。永平寺は曹洞宗の総本山。この宗派の禅は、とにかく「何も考えない」らしい。

考えないでいると、ここぞとばかりに眠くなるから厄介だ。普段「ちゃんと考えて行動しなきゃ」なんて思っているけれど、逆に「何も考えない」もこんなに難しいのか……と軽く絶望もした。

それよりも大変だったのは、精進料理を食べる作法。壁と反対側を向き、木で作られた幅30cmほどの場所で食事をとる。この作法が覚えることが多すぎて、ひたすら難しかった。

1人1つづつ食器・ひざ掛け・テーブルクロスなどのセットが渡され、セットをほどいていく順番、手つき、箸を取り出す手、使う指、片付けの方法、すべてが決められている。

食べる時も、もちろん私語は禁止。そもそも音を立てる行為自体を良しとしないため、たくあんを食べる時は最小限の音になるよう努力しなくてはいけない。

また周りと食べるスピードを合わせることを指導され、隣の人の進捗を横目で見ながら、早く食べたり、少しテンポを落としたりしてバランスを取る必要があった。

食事作法が一番大変だった修行で、2日目のお昼はお味噌汁を派手にこぼしてちょっとへこんだ。けれど精進料理がおいしすぎて、1日の中で一番楽しみだった時間でもあった。

2日目のスケジュール
3:50 起床
4:20 座禅
5:30 お勤め(大広間へ行き、100人近くのお坊さんと一緒に正座でお経を唱える)
6:45 朝食(小食・修行)
8:00 掃除、ストレッチ
9:15 講和(お坊さんの話)
10:30 座禅
11:10昼食(中食・修行)
13:00 座禅
15:00 講和
16:30 薬石
17:30 入浴
18:30 座禅・読経
21:00就寝

参加者の人とは、最初に出身地と名前の自己紹介を交わした程度だ。休憩時間は少なく、入浴中も私語禁止のため、年齢も、職業も、どんな思いで来ているのかもさっぱりわからない。服装もすべて一緒。細かい所作の規則もあるので、行動も同じになる。

けれど不思議と、「この人合いそう」とか、「会社にいたら盛り上げ役だろうな」とか、「こだわり強いな」とか、その人の行動だけで、なんとなくわかってくるのだ。

朝、3:50を告げる鐘と同時にとび起きて、目が開かないまま動いている私の布団を一緒に畳んでくれる人。話せなくても、廊下ですれ違うとにっこり笑ってくれる人。掃除の時間に行動が生き生きとしはじめ、超特急で雑巾がけをしてる人。みんな一緒なのに、面白いくらいにまったく違っていた。

“没個性”と言われてしまう学校の制服や、リクルートスーツのことを座禅中に思い出した(「考えてはいけない」のに、わかっていても止められないものだ)。

「みんなと同じ格好、同じ行動は、それぞれがもつ個性がなくなってしまう。もっと自由に自分を表現すべきだ」なんてことを、これまでよく聞いてきたように思う。

けれど果たして、そうなのだろうかと、目の前の壁に問いかける。

私たちは同じ服を着たら、個性が無くなってしまうのだろうか。同じ行動を取ったら、一緒になってしまうのだろうか。

今回お世話をしてくれた数人のお坊さんは、服装や所作だけでなく髪型まで一緒だ。けれど不思議と、“みんな一緒”だとは感じられなかった。

やさしそうな声で話す人。説明が苦手な人。正座中、足がしびれて死にかかってるところにそっと「どうしても無理なら大丈夫ですよ」と神の一声をかけてくれる人。その人からにじみ出る特徴は明らかにその人だけのもので、雑談なんて一切していないのに、みんながみんな違って見える。

個性を出すとかキャラ立ちするとか、いろんなことを考えて、無理して、戦略立てをするまえに、まず「私でいること」それ自身が、すでにかなりエッジの効いた個性なのかもしれないなぁと思う。

今の社会では目に入るものがみんな違いすぎて、本当に"違っているところ"が見えなくなっているだけなのかもしれない。「個性がない」なんていう悩みはきっと、悩むだけ無駄なことなのだろうなぁ。

何もしなくても十分私はオリジナルだ、と思った参禅修行の気づき。


永平寺で考えたこと、しばらく続きます。

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