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日本語で出来ないことは英語でも出来ない!

中学生の進学塾の英語クラスで、私は(頼まれてもいないけど)その日学んだ文法をベースにして英語で何らかのフリートークをさせるようにしています。

当然スピーキングは期待されていないけど、やるべきだと思うからほんの少しだけやっています。進学塾の授業のメインは文法・読解ということもあり、受身の子が多いです(でも、確かに20数年前もこんな感じだった)。問題を解かせれば問題なく解ける=英語力はあるのに、フリートークが全然発展しない


ここ最近はzoom授業に切り替わっており、機能の制約上、一人ずつしか発話できません。先日、ある一人の生徒が回答者となり(この子が一番大変)、「昨日の夜なにをしたか」に関連する質問を一人一問するというスタイルでやってみました。

回答者は「テレビを見た」と回答。

一人の女の子がすぐさま一つ質問をしてくれました。

私が「おお、いい感じ!」と思ったのもつかの間、無言。

私「全く関係ない質問でもいいから英語でしてみようか?」

(無言)

私「日本語でもいいよ!」

(無言)

埒があかないので止めました。

実は、先に同じことを別のクラスで実施したのですが、次々と質問が出てあっという間に終わったので、その違いにびっくり。

このクラスと私との間にラポートが形成されていなかったという、私にとっては面目ない結果ともいえるかもしれませんが。私が発話をする機会を設ける意図は生徒に伝えて、淡々とレッスンを続けました。


「なんで英語を勉強しているんだろう?」と訊くと、たいてい「外国人とコミュニケーションが取れるようになりたいから」と答えます。中学生も高校生も大学生も基本的には同じ答えです。

「どうしたらコミュニケーションが取れるようになるんだろう?」と訊くと、「英語が出来るようになる」と答えてくれる子がいるのですが、本当にそうでしょうか?

英語の理解とコミュニケーション能力は完全に別モノです。

誰もが日本語を話している環境においても、「コミュニケーション能力が高い」「コミュニケーション能力が低い」ということが話題になりますよね。でも、何故か「英語が出来れば世界中の人とコミュニケーションが取れるようになる」と思っている人が少なくないのです。

例えば、日本語でもプレゼンをするのが下手な人が、英語でプレゼンをしたら上手に見えるなんてことはあり得ません。英語がどんなに上手な人でも同じです。観衆にインパクトを与えるのは、言語ではなく、話している内容・構成、話し方、立ち居振る舞いなどです。

言語は文化の影響を大きく受けると言われています。「英語学習」が、英語圏の習慣・文化を身に付けるというところまで指すのであれば、「英語学習」=「コミュニケーション能力の習得」と言えると思います。でも、現状、そこまでの学びを提供できる機関は極めて少ないのではないでしょうか。

英語学習を通してコミュニケーション能力を養うことも出来ますが、英語学習である必要はありません。媒介語は日本語でも良いし、養成の場はどこでも良いはずです。発言する力、質問する力、意見を言う力、それは学校の中で、家庭の中で身に付けることが出来まず。

どんなに英語の問題集が解けても、十分なコミュニケーション能力が育まれていなければ、外国人とコミュニケーションを取りたいという希望はかなえられないかもしれません。本音は、塾で一斉授業受けてる場合じゃないよ!と言いたい。

高校、大学まで受身の学習を引きずる子も少なくないのです。一方、受験英語をやっても外国人と会話が出来るようにはならないと割り切っている子もいます。留学さえすれば出来るようになると思い込んでいる子も。とりあえず、「日本の受験英語しかやってこなかったので、聞けないし話せないんです」という大学生を減らしたい


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