野村崇明

文芸/映像/演劇批評を書く批評家。twitter:@mihailnomrish

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ネットに載せている主な批評文まとめ

・文学 最近忘れられがちだけど、専門は文芸批評。一作について8000〜12000字程度の文字数かけるのが自分のベストパフォーマンスなので、ネット記事にしては少し長めのものも。 金井美恵子「ピクニック」評 →金井美恵子の作品評としては、現状これ以上のものはないと自画自賛している一本。これを読むだけで(ある時期の)金井美恵子作品の読み方・捉え方は変わってくると思う。今読み直してみても面白いので、作品評として終わらせるのでなくいつか大きな文脈につなげていきたい。 「代替に憑かれ

    • デジタルメディアに憑く幽霊たち‐‐榊原澄人「飯縄縁日」について

      作品のトレーラーおよび購入はこちら。 民俗学的な場としての飯綱と「飯縄縁日」 榊原澄人「飯縄縁日」は、長野県飯山市飯綱町(「飯縄町」とも)の飯綱高原を舞台に、実在の縁日の様子と作家の記憶とを重ね合わせた情景を描いた作品である。風景画のような景色の中にいくつかのループするgifのようなユニットが配されており、元々は長野県立美術館の「新美術館みんなのアートプロジェクト」の一環として作られた。そのため、展示の仕方としては長野県立美術館における、壁面に作品全体を投影する方法が正し

      • マイナーなものの模倣‐‐ひらのりょう「Krasue」について

        作品のトレーラーはこちら→https://vimeo.com/673027952 Krasue(ガスー)とは東南アジアに伝わる妖怪のことで、女性の生首に臓器がぶら下がった見た目をしており、発光しながら宙を飛んで家畜や人間を襲うと伝えられています。分けてもタイではよく知られた存在であり、現代でもいくつかの目撃談があるほか、ポップカルチャーにおいては一種のアイコンと化していて、例えば“Krasue Valentine”(2006)や “Krasue: Inhuman Kiss”

        • 新千歳空港国際アニメーション映画祭2021①

          去年に引き続き、今年も新千歳空港国際アニメーション映画祭のプレビューメンバーを務めました(プレビューメンバーとは、コンペに応募されてきた作品に対して、足切りと評価付けを行う仕事です)。 応募作品の全てに目を通したわけではありませんが、他のプレビューメンバーと比べて自分の足切り基準が厳しくなりすぎないよう、他のメンバーと自分の評価基準を照らし合わせられるように、私に割り振られた作品以外にも可能な限り多くの作品に目を通すようにしていました。だからこそ新千歳のラインナップの洗練具

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          目は開けたまま、舞台は終われども。––屋根裏ハイツ 5F 演劇公演『ここは出口ではない』

          1 佃煮となめたけ A なめたけって佃煮なの? B …佃煮でしょ、 B スーパーの分類では、同じところにいるよね、  なめたけ(の醤油炊き)が(海苔の)佃煮と同じであるかは、双方を定義する仕方に依るだろう。だがB(作中で「シホ」と呼ばれる、Aと同棲している女性)にとって両者の異同は、スーパーでの陳列のされ方という、場の近接の度合いで測られる。当然、その尺度を正当化する根拠などない。だが多くの人々と同様に彼女は、同じ場所に置かれた佃煮となめたけに、置かれる場所の同質性を超え

          目は開けたまま、舞台は終われども。––屋根裏ハイツ 5F 演劇公演『ここは出口ではない』

          地点『グッド・バイ』劇評

          空間現代の演奏に合わせて、後期太宰作品のセリフとともに「グッ」「ドッ」「バイ」という合いの手を入れ続ける役者たち。彼らの動きは、徹底的に様式化されており、からくり時計の人形を思い起こさせる。その印象は、彼らの衣装が太宰作品の登場人物たちを想起させるものであること(セリフを聞く限り、役者たちに役という役が割り振られていないにもかかわらず、である)によって強化されている。後期太宰作品、殊に『斜陽』の登場人物たちは、喪われていく階級のステレオタイプを形象化した存在であるが、三浦基の

          地点『グッド・バイ』劇評

          サン・シンイン『オン・ハピネス・ロード』があまりに素晴らしかったので

          東京アニメアワードフェスティバル2018の一日目に行ってきた。 鑑賞したのは「短編コンペティション スロット2」と長編『オン・ハピネス・ロード』、オープニング作品『パジャマを着た男の記憶』の三つ。どれも非常に見応えがあり、アニメーションの豊饒さの一端に触れたようで大変満足な一日だったのだが、その中でもサン・シンイン『オン・ハピネス・ロード』にはかなりの衝撃を受けた。 台湾を舞台にしたこの作品は、チーと呼ばれる女性の半生とともに、70年代後半以降の激動の台湾情勢を描いている

          サン・シンイン『オン・ハピネス・ロード』があまりに素晴らしかったので

          代替に憑かれた幽霊――ゴーゴリ『外套』論

          暑くて眠れないので、大学一年の時に書いたものを晒す。機会があれば手直しするかも。 はじめに  『外套』は発表当時、ベリンスキー(1818-1848)によって人道的で社会批判的な作品と称され、その後ソ連の批評家であるウラジミール・エルミーロフ(1904-1965)によって「偉大なリアリストにしてヒューマニスト」であるゴーゴリの代表作とされた 。しかし、十九世紀末からローザノフ(1856-1919)やメレシコフスキィ(1865-1941)の批評によってそういった人道的な読み方

          代替に憑かれた幽霊――ゴーゴリ『外套』論