ネットに載せている主な批評文まとめ
・文学
最近忘れられがちだけど、専門は文芸批評。一作について8000〜12000字程度の文字数かけるのが自分のベストパフォーマンスなので、ネット記事にしては少し長めのものも。
金井美恵子「ピクニック」評
→金井美恵子の作品評としては、現状これ以上のものはないと自画自賛している一本。これを読むだけで(ある時期の)金井美恵子作品の読み方・捉え方は変わってくると思う。今読み直してみても面白いので、作品評として終わらせるのでなくいつか大きな文脈につなげていきたい。
「代替に憑かれた幽霊––ゴーゴリ『外套』論」
→生まれて初めて書いた批評文。日本近代文学について研究する場で発表したので、前半は当時読んでいたそれ系の論文をパロディしようとした記憶がある。ナボコフを引用して論を進める後半部は若書きながらものすごくよくできていると思うが、前半のあらすじ紹介パートにおける視点の置き方もなかなかのもの。
・演劇
『クライテリア3』で演劇特集をしたりアフタートークに出たりと、現代演劇との関わりは徐々に増えてきた。感謝。
目は開けたまま、舞台は終われども。––屋根裏ハイツ 5F 演劇公演『ここは出口ではない』
→演劇批評家の山﨑健太が主催する劇評マガジンnoteachの記事として書いたもの。仙台の劇団、屋根裏ハイツのおそるべき傑作『ここは出口ではない』について、8000字弱。日常を積み重ねるような台詞回し・発声や、シュールなまでの非日常感が同居するこの作品のメカニズムと、微細な時空間操作などにフォーカスをあてた論考。途中でさりげなく?この劇を震災後演劇として規定することへの違和感を挟んでおいたのだが、当初はそこで「ポスト・震災後演劇」といった名付けを行おうと思っていた。もちろん、震災後という問題設定が失効したという意味ではなく、震災後的な感覚の日常化、あるいは日常のあり方を変質させたものとしての震災後という課題設定をするためのものだった。ただ「ポストモダン」とかもそうだけど、ポストという接頭辞が付属する言葉を不当に毀損してしまいがち&ちゃんと展開するとネット公開の記事としては長くなりすぎてしまうために、泣く泣くカット。
「世界に複数を受胎させるレッスン(ヌトミック『SUPERHUMAN』レビュー)」
→ヌトミック『SUPERHUMAN』評。「今・ここ」を超えたいけど、身体を持つ人間はどうしても「今・ここ」に縛られてしまう。身体をミクロに分解していけばイケる気もするけど、それじゃオウムと変わりがない。そんな「今・ここ」と現実の単数性に、いかに複数性を導入するのか。あるいは、このようでしかない「今・ここ」をどうすれば豊かに相対化できるのか。そんな問いに関する、可能世界論でも諸行無常でもない解決について、真剣に考えながら書いたレビュー。
地点『グッド・バイ』劇評
→太宰治「グッド・バイ」に、後期太宰作品をふんだんにミックスしてマッシュアップした作品、地点『グッド・バイ』のレビュー。空間現代とのコラボの中で、観た限りでは間違いなく最高傑作だった。戦前/戦後、震災前/後の断絶(本文では「中断」と書いた)と常同性の綾を見出した先に、不気味なものの在処を問うた文章。
・映画
今の所何一つお仕事をいただけていないジャンルだけど、書いたものは面白いものが多いので推していきたい。
「そのたびごと、たった一回の普遍――『ハクソー・リッジ』について 」
→メル・ギブソンの『ハクソー・リッジ』を戦争映画だとか、『プライベート・ライアン』をちょっと激しくしただけの作品だとか言う人が多かったので、その誤解を解くために「不能の神への信仰」と「漸進的な普遍への接近」をテーマにして書いた論考。同年公開のスコセッシ『沈黙』と(主演が同一人物だし)繋げる予定だったけど、構成が思ったよりうまくハマったので一作のみのレビューにした。
「さらされたる詐術(『記憶探偵と鍵のかかった少女』レビュー)」
→21歳の時に書いたレビュー。この頃は批評文を書くのが楽しくてしょうがなくて、とにかくサスペンスフルな構成と刺激的な論理展開とを追求していた。ヒッチコックの映画みたいに、重要な要素はできるかぎり早いうちに開示する、というのをやろうとした記憶がある(「さらされたる」というテーマとも合致するし)。それがうまくいってるかどうかは微妙だけど、正直今同じ作品について書けと言われても、これを超えられる気はしない。良くも悪くも人生で一番コメントをいただいた文章かもしれない。
・アニメーション
自分の仕事の中で、アニメーション関連のものは現状他ジャンルと切断されて受容されている印象。もどかしい。アニメーションは何について書くときも、自分の思考のコアの一つになっています。
tampen.jp上映会・短編アニメーションの<いま>を知るーーキャラクターという宇宙
→動画。アニメーション上映会のアフタートークで、建築家の奥泉理佐子さん、アニメーション研究者の田中大裕さんとお話しさせていただきました。短編アニメーションというと一見さんには少し辛い、映画祭文脈のものを思い浮かべる人が多いと思いますが、この上映会で扱われている作品はYouTubeやvimeo、ニコニコ動画とかのプラットフォームから生まれてきた、いわゆる「アニメーション史」とは違う生態系に属するものが多めでした。短編アニメーションの<いま>の面白さは、別個の生態系に属するものたちのクロスオーバーにあると思う。
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