代替に憑かれた幽霊――ゴーゴリ『外套』論

暑くて眠れないので、大学一年の時に書いたものを晒す。機会があれば手直しするかも。


はじめに

 『外套』は発表当時、ベリンスキー(1818-1848)によって人道的で社会批判的な作品と称され、その後ソ連の批評家であるウラジミール・エルミーロフ(1904-1965)によって「偉大なリアリストにしてヒューマニスト」であるゴーゴリの代表作とされた 。しかし、十九世紀末からローザノフ(1856-1919)やメレシコフスキィ(1865-1941)の批評によってそういった人道的な読み方は一面的だとされ、フォルマリストであるエイヘンバウム(1886-1959)の「ゴーゴリの『外套』はいかに作られたか」(1919) においては『外套』の「語り」に主眼が置かれ、人道的で社会批判的な要素は「副次的」なものとされた。エイヘンバウムは『外套』における「語り」を「地口」と「メロドラマ的朗踊調」の二つに分け、『外套』はこの二つの語りの組み合わせによる「グロテスク」 であるとしている。その後もシクロフスキィやトゥイニャーノフによって文体の側面からの研究がなされている。

 社会批判や人道的観点からなされた初期の『外套』研究において、多く引用される場面として、

そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書き損ないをしなかった。ただあまり悪戯が過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされるときにだけ、彼は初めて口を開くのである。『構わないでください!何だってそんなに人を馬鹿にするんです?』それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近頃任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼を揶揄おうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の眼には、あだかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。

という場面が存在する。この場面についてエイヘンバウムは、草稿においてはこの場面が存在しないことを指摘し、「当初の原案の純粋にアネクドート的なスタイルを感動的な朗踊の要素で複雑にする第二の層に属している。」 と、意味内容ではなく、あくまで構成の観点から、「メロドラマ的朗踊調」の導入としてのみ意味づけている。エイヘンバウムの論文が書かれた背景として、沼野充義がいうように「エルミーロフの著作は今から見ると馬鹿馬鹿しいほど非文学的な代物だが、スターリン時代のソ連では反駁を許さないほどの絶大な権力をふるったのである。(中略)今世紀初頭のいわゆるロシア・フォルマリズムの運動はそのようなイデオロギーに対する『文学の立場』の側からの根本的な異議申し立てだった」 (「ゴーゴリアン後藤明正」,1990)という、「絶大な権力をふるった」エルミーロフの人道的・社会批判的な観点からの研究に対する「異議申し立て」という要素があったことを考えると、このいかにも人道的な場面を過剰に軽視してしまうのも致し方ないことではあるが、問題はエイヘンバウム以降の研究においても、この場面は相変わらず軽視されているという事実である。たしかに『外套』が人道的で社会批判的な作品ではないということは、ゴーゴリ本人の言からも伺える。 そのうえ、アカーキーが就いていた九等官という地位が、当時のロシアにおいてはかなりコミカルなものとして扱われていた(注1)ことからも、人道的で社会批判的な作品を書こうとしたというよりは、喜劇を書こうとしたのだろうということがわかる。

 だからといって、本当にこの場面を単なる「メロドラマ的朗踊調」の導入と捉えてしまって良いのだろうか?本論においては、作品全体にはたらくとある法則を確認することを通して、この場面が作品内において持つある重大な役割について、明らかにしていきたい。

 一、アカーキーの変容

 まず初めに、『外套』の主人公であるアカーキーがどういった人間であるのかを確認しておこう。「或る局」に勤める万年九等官である彼は「局長や、もろもろの課長たちが幾人となく更迭しても、彼は相も変わらず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の十年一日の如き文書係を勤めて」おり、自らの職務に対して並々ならぬ熱意を持っていた。

こんなに自分の職務を後生大事に生きて来た人間が果してどこにあるだろうか。熱心に勤めていたと言うだけでは言い足りない。それどころか、彼は勤務に熱愛をもっていたのである。彼にはこの写字という仕事の中に、千変万化の、愉しい一種の世界が見えていたのである。彼の顔には、いつも悦びの色が浮かんでいた。ある種の文字に至っては非常なお気に入りで、そういう文字に出喰わすというと、もう我れを忘れてしまい、にやにや笑ったり目配せをしたり、おまけに唇までも手伝いに引っ張り出すので、その顔さえ見ていれば、彼のペンが書き表しているあらゆる文字を一々読み取ることもできそうであった。

しかし、いかなる勤務にも「熱愛」を持っていたわけではなく、彼の「熱愛」は専ら「写字」にのみ向けられていたようだ。

或る長官は親切な人間で、彼の永年の精励に酬いんがためにありきたりの写字よりは何かもう少し意義のある仕事をさせるようにと命じた。そこで、すでに作製ずみの書類の中から、他の役所へ送るための一つの報告書をつくる仕事が彼に命ぜられたのである。それは単に表題を書き改めて、ところどころ、動詞を一人称から三人称に置き換えるだけの仕事であった。ところが、彼にはそれが以ての他の大仕事で、すっかり汗だくになり、顔を拭き拭き、とうとうしまいには、『いや、これよりわたしにはやっぱり何か写し物をさせてください』と悲鳴をあげてしまった。(中略)どうやら彼にはこの写しもの以外には何ひとつ仕事がなかったもののようである。

さらに「写字」への「熱愛」は、止まるところを知らず、アカーキーにとって「写字」は職務を超えた、人生の唯一最大の糧であると言っても、過言ではないほどであった。

胃囊がくちくなりはじめたなと気がつくと、彼は食卓を離れて、墨汁の入った壺を取り出して、家へ持ち帰った書類を書き写しにかかるのである。若し、そういったものの無い場合には、自分の娯しみだけに、わざわざ自分のために写本をつくる。

心ゆくまで書き物をすると、彼は神様が明日はどんな写し物を下さるだろうかと、翌日の日のことを今から楽しみに、にこにこ微笑みながら寝に就くのであった。

また、「写字」に異常なまでの熱愛を傾けるアカーキーは、驚くほど日常の物事には無関心であった。それは「彼は生まれてこの方ただの一度も、日々、街中で繰り返されている出来事などには注意を向けたこともなかった」うえ、「アカーキー・アカーキエヴィッチは何を見たとしても、彼の眼には、そうしたもの(注、「日々街中で繰り返されている出来事」)の上に、なだらかな筆跡で書きあげられた自筆の文字より他には映らなかった」のみならず、馬に鼻息でも吹きかけられない限り「自分が書き物の行の中にいるのではなくて、往来の真ん中にいるのだとは気がつかなかったであろう」(注は筆者による)ほどなのであった。

 さて、薄給でありながらも「自分の運命に安ん」じていたアカーキーの「平和な生活」は、一枚の外套を新調せざるおえなくなったことをきっかけに、脆くも崩れ去ってしまうのである。「写字」に異様なほど「熱愛」をささげ、日常の物事に驚くほど無関心なアカーキーであったが、外套の新調を契機として、まったくもって人が変わってしまっている点は、やはり見逃すことは出来ないだろう。詳しく見て行こう。

 外套を新調するため、倹約に倹約を重ねるアカーキーであったが、「やがて新しい外套が出来るという常往不断の想いをその心に懐いて、いわば精神的に身を養っていた」のである。さらに外套のための節約を始めて以来、「彼の生活そのものが、何かしら充実して来た観があって、」「どことなく前より生々して来て、性格まで宛も心に一定の目的を懐ける人のように強固になった。」のである。新しい外套は彼の心の内をどんどん占めていき、彼を「放心状態」に陥らせ、「一度などは書類の写しをしていながら、すんでのことに書き損ないをしようと」したほどである。より決定的なのは、倹約の末に新しい外套を手に入れたアカーキーが「食後ももはやどんな書類にも一切筆をとらず、そのまま暗くなるまで、暫く寝台の上にごろごろしていた」という事実であろう。それまで彼が「熱愛」を向けていた「写字」が、新しい外套にその立場を取って代わられてしまったのである。それと対応するかのように、彼の日常の物事に対する態度も変わってしまう。アカーキーが副課長の開く夜会に向かう道すがらにおいて、彼が今まで注意を向けたことのなかった「街中で繰り返されている出来事」への態度が、外套を新調する前とまったく異なっているのである。

当の役人の住いに近づくにつれて、街路は次第に活気を帯びて、賑やかになり、照明もあかるく、通行人の数も一層ふえて、みなりの美しい婦人の姿も眼に付けば、海狸川の襟を付けた紳士にも出喰わした。(中略)こうしたすべてのものをアカーキィ・アカーキエヴィッチは、何かしら珍しいものでも見るように眺めやった。

 ここで一つの疑問が出てくる。すなわち、なぜ「写字」は外套にとってかわられてしまったのか? 渡部直己は「写字」と外套に共通するある機能を指摘する。「すなわち、そのまま人目に晒せばもの笑いの種ともなろう草稿文字と、これにくるまれた言葉の中身(意味)との関係が、ここで、みすぼらしい『カポート』とアカーキーの身体との関係にあたるのだとみれば、どうなるか。そしてまた、その中身をより美しく被い直すことに「浄書」の意義があるのに反し、アカーキーには久しく、我が身を立派にくるみ直す『外套』が欠けていたのだとすれば? ふたつながら、当然の成りゆきに近づく。『浄書』こそがありうべき『外套』の代補だったのだ。」 (「『筆耕』たちのさだめ―ゴーゴリー、メルヴィル、フローベール」,2004)ここでは「写字」と外套の「立派にくるみ直す」という機能の共通性を根拠に、「写字」が外套にその立場を取って代わられたことを説明している。渡部氏の言葉を借りれば、「欲望の代理対象としての浄書」ということなのだろう。

 さて、外套が「写字」の代理なのだとすれば、先に確認したとおりの熱愛が傾けられている外套が奪い取られたとなれば、アカーキーの怒りは想像だにしえないものであろう。しかしアカーキーの怒りの矛先は、意外な方向へと向かうのであった。

二、代替に憑かれた幽霊

 外套を泥棒たちに盗まれ、その盗まれた外套を取り戻すべく奔走したアカーキーであったが、とある有力者の叱責をきっかけにひどい扁桃炎を患いそのまま死んでしまう。その死の間際、アカーキーが口走っていた言葉たちには、明らかな論理のずれがみられる。

彼の眼前には次から次へと奇怪な幻想がひっきりなしに現れた。自分はペトローヴィチに会って、泥棒をつかまえる罠のついた外套を注文しているらしい。(中略)そうかと思うと、自分が勅任官の前に立って当然の叱責を受けているものと思い込み、『悪うございました、閣下』などと言ったりするが、果てはこの上もなく恐ろしい言葉づかいで、聞くに堪えないような毒舌を揮ったりするので、ついぞこれまで彼の口からそんな言葉を聞いたことのない主婦の老婆は、剰えそうした言葉が《閣下》という敬語の直ぐ後に続いて発せられるのに驚いて、十字を切ったほどであった。(中略)そうした支離滅裂な言語や思想が、相も変わらず例の外套を中心にぐるぐると廻っていたということだけは確かである。

 アカーキーは死の間際まで外套が奪われたことを恨み続けるが、その矛先は当初外套を盗んだ泥棒たちに向けられていたにもかかわらず、最終的には彼を叱責した有力者に向けられている。たしかに有力者はアカーキーの死に大いに関わっているし、外套を盗まれた際にもアカーキーに協力せず、あまつさえ叱り飛ばしてさえいるので、恨まれること自体はもっともであるが、本来外套の恨みを最も強く向けられるべき相手は、有力者ではなく泥棒のはずである。とにかくここで重要なのは、アカーキーの恨みの対象である泥棒たちが、その立場を有力者にとってかわられてしまっているという事実である。

 その後幽霊となり世間を脅かしたアカーキーは、ついに有力者を見つける。そこでも、有力者は泥棒たちの代理としての機能を果たしている。アカーキーが外套を盗まれた日と同じように、夜会帰りに、シャンパンを二杯飲んだ後で、同じく襟足をつかまれ、外套を奪われる。外套を奪うアカーキーのセリフこそ有力者への真っ当な恨み(「貴様はおれの外套の世話をするどころか、却って叱り飛ばしゃあがって。」)であったが、「盗まれた外套を探している」幽霊が求めたのは、やはり盗まれた外套ではなく、有力者の外套で(「おれには貴様の外套が要るんだ!」)、事実有力者の外套を奪ったアカーキーの幽霊は、それ以来ふっつりと姿を現さなくなった。どうやら有力者の外套は奪われた外套の代わりとして、十二分に機能したらしい。

 上記の例に限らず、『外套』の世界では、様々な形で「代替」が理由のある、なしに関わらず行われている。それは、一種の法則と言ってもよいだろう。思えば「写字」の代わりに外套がその機能を担い、外套自体も貂の毛皮の代わりに猫の毛皮がその機能を担い、外套を奪われる日の夜会は副課長が代わりに開いたものであり、奪われた外套も有力者の外套が代わりを担ってしまった。そしてアカーキーも常に代替をする主体ではいられない。ときにはアカーキーが違うものに取って代わられるのである。

こんな具合にして、アカーキイ・アカーキエヴィッチの死は局内に知れ渡り、もうその翌日からは、彼の席に新しい役人が座っていたが、それは背もはるかに高かったし、その筆跡も、あんなにまっすぐな書体ではなく、ずっと傾斜して歪んでいた。

考えてみればアカーキーが代替の主体であるときも、アカーキー自身の意志であるときは決して多くないのだから、彼だけ代替の運命を逃れるということは出来ないのだろう。先ほど変容として処理したアカーキーの性質の変化も、『外套』という作品世界においては、変容というより彼の性質が違う性質に取って代わられてしまったのだ、と考える方が自然なのかもしれない。しかし、アカーキーの何もかもが代替可能かというと、必ずしもそうではないようだ。彼の性質は代替、ないし変容させられてきたが、唯一、物語の始まりから終わりまで代替も変容もさせられない性質がある。それは、本論の冒頭に挙げた引用文に現れている。二度手間ではあるが、もう一度同じ箇所を引用しよう。

そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書き損ないをしなかった。ただあまり悪戯が過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされるときにだけ、彼は初めて口を開くのである。『構わないでください!何だってそんなに人を馬鹿にするんです?』それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近頃任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼を揶揄おうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の眼には、あだかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れした人たちだと思って交際していた同僚たちから、或る超自然的な力が彼を押し隔ててしまった。それから長いあいだというもの、極めて愉快な時でさえも、あの『構わないでください!何だってそう人を馬鹿にするんです?』と胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。

今度は先ほどより長く引用したが、ここで重要なのは、アカーキーが一人の若い男を一変させたことである。いったいなぜ、若い男の眼にはすべてが一変して見えるようになったのだろう?はっきりと断定することは出来ないが、その後の彼がこのことをきっかけに「世間で上品な清廉の士と見做されているような人間の内部にすら如何に多くの兇悪な野性が潜んでいるか」を幾度となく見るようになったことから、アカーキーの中に「兇悪な野性」を見たからだと推測することは出来る。「兇悪な野性」が何かもはっきりと断定はできないが、どうやら「戦慄を禁じ得な」いものらしい。よって、本論においては「兇悪な野性」を、恐怖を与える何物か、として定義する。

 ところでナボコフは『ロシア文学講義』(1981)において、アカーキーの幽霊について、かなり興味深い考察をしている。

アカーキー・アカーキエヴィチが熱中する外套着用の過程、すなわち外套を仕立てさせ、それを身にまとうまでのことは、実は彼が身にまとったものを脱ぐ過程、自分の幽霊という全裸の状態への次第次第の回帰なのである。物語のそもそもの始まりから、この男は超自然的な高跳びの可能な状態にあって―靴底をへらさぬためにつま先立ちして歩いたり、自分が往来のまんなかにいるのか文章の途中にいるのか判然としなかったり、というような一見無害な細部が、次第に文書係アカーキー・アカーキエヴィチを解体していく結果、物語の終わり近くに登場する彼の幽霊は、彼という存在の最も具体的かつ現実的な部分のように見える。

アカーキーの幽霊を、全裸の(余計なものを取り払った)状態であるとする論であるが、この論を踏まえて『外套』を読んだとき、アカーキーにおける「全裸の状態」とはいかなるものであるのだろうか? 幽霊の行動を追ってみよう。

 最初に幽霊が発見されるのは、「某局の官吏」によってだ。

某局の官吏の一人は目のあたりその幽霊の姿を見て、立ちどころにそれがアカーキィ・アカーキエヴィッチであることを看破した。しかしそのために却って非常な恐怖に襲われて、後ろをも見ずに遮二無二、駆け出してしまった。

次に幽霊を発見するのは幽霊を逮捕し、見せしめに「もっとも手酷しい方法で処罰しよう」としていた巡査たちである。はじめ、幽霊の襟足を捕まえ、もう少しで逮捕できるところであったが、すんでのところでとり逃してしまう。この場面で注目すべきは幽霊と巡査たちのドタバタ劇ではなく、勇敢にも捕まえようと挑んでいる最中の巡査たちと、取り逃がしたあとの彼らとの落差である。以下に勇敢にも幽霊を捕まえようと挑んでいった彼らが、取り逃してしまった後どうなってしまったのかを引用する。

それ以来、巡査たちは幽霊に対する恐怖のあまり、生きた犯人を捕らえることをさえ危ぶんで、ただ遠くから『おい、こら、さっさと行け!』などと呶鳴るくらいが関の山であったから、役人の幽霊はカリンキン橋の向こう側へさえ姿を現すようになって、あらゆる臆病な人々に多大の恐怖を抱かせたものである。

ここでもう一つ注目しておきたいのが、アカーキーの幽霊は巡査たちの前でくしゃみをし、隙を見て姿を消しただけであり、何一つ彼らを怖がらせることをしていないという点である。では巡査たちは何故恐怖に震えるのか? その問には、もう一つだけ、幽霊の出現を確認してから答えることにしよう。

 次に発見されるのはいよいよ有力者の前でである。アカーキーが外套を盗まれた時と似たシチュエーションで、泥棒たちの代わりに、外套を盗られるのである。

突然、有力者は誰かにむんずとばかり襟足を摑まれたように感じた。思わず振り返って見ると、そこにいるのは、ぼろぼろの古ぼけた制服を身に着けた背の低い男で、それがアカーキィ・アカーキエヴィッチであることを認めて彼はぎょっとした。役人の顔は雪のように蒼ざめて完全に死人の相を現わしていた。しかし、有力者の恐怖がその頂点に達したのは、死人が口を歪めて、すさまじくも墓場の臭いを彼の顔へ吹きかけながら、次のような言葉を発した時である。『ああ、とうとう今度は貴様だな!いよいよ貴様の、この、襟首を抑えたぞ!おれには貴様の外套が要るんだ!貴様はおれの外套の世話をするどころか、却って叱り飛ばしやがって。―さあ、こんどこそ、自分のをこっちによこせ!』哀れな有力者は殆ど生きた心地もしなかった。

もうお分かりだろう。ナボコフの言う「全裸の状態」のアカーキーは、出会ったものすべてを恐怖に陥れる。「某局の官吏」や「有力者」にはまだ恐怖に震える正当な理由もあるが、巡査たちに至ってはほぼ理由なしで恐怖に陥っている。そう考えた時、ナボコフの言う「全裸の状態」とはまさに、「兇悪な野性」のことではないか?それを裏付けるかのように、恐怖によって一変させられた「若い男」と同じように、「有力者」も恐怖によって一変させられている。

この出来事は彼に強い感銘を与えた。彼は下僚に対しても、例の『言語道断ではないか!君の前にいるのが誰だか分かっとるのか?』という決まり文句を以前ほどは浴びせなくなった。縦し浴びせたにしても、それは先ず、ことの顛末を一応聴取してからであった。

 様々なものに取って代わられてしまった物語冒頭のアカーキーの性質の中で、唯一最後まで残り続けていることが明示されているのがこの「兇悪な野性」である。言い換えれば、唯一代替不可能なのである。そして代替不可能なもの以外、余計なものをすべて取り払った「全裸の状態」のアカーキーは、理論的には今後、何かに取って代わることも取って代わられることもない……はずであった。しかし彼は「有力者」の外套を着てしまった。しかもそれはどうやら、彼にぴったりだったらしい。彼は「全裸の状態」たる幽霊である資格を失ってしまったのだ。そして、幽霊は「遥かに背が高くて、素晴らしく大きな口髭をたてて」いて、「生きた人間には見られないような大きな拳」をもった男に取って代わられてしまった。そう、アカーキーから外套をはぎ取った泥棒である。いや、もしかしたら、幽霊に取って代わったのでなく、泥棒は元々外套を求める幽霊だったのかもしれない。だがどちらが正しいかを我々が判断する術はない。ただ確かなのは、アカーキーの幽霊が二度と姿を現さないであろうということだ。

三、結論

エルミーロフによって見出され、エイヘンバウムらによって捨象された細部には、実はナボコフが「全裸の状態」とも呼ぶような、余計なものを全て取り払った人間の姿ーーもしかしたらそれは、人間の「本質」とも言い換えることが可能かもしれないーーが現れていた。この人道主義的な細部を、作者からのメッセージとして読んでしまったエルミーロフはもちろん、それに反発し、構成の観点からこの細部を意味付けたフォルマリストらの読みも、同様に不十分であると言わざるを得ない。草稿にはなかったこの部分にこそ、アカーキーの幽霊が辿る顛末を、「代替」を巡る悲喜劇として読み込むための鍵が隠されていたのだ。
それにしても、最も「本質」的な存在たる幽霊がよりにもよって外套を求め、かつあっさりと代替の餌食になってしまうという物語が、驚くほど喜劇的であるとは、いったいどういうことなのか?エイヘンバウムらが言う通り、『外套』においては喜劇的な部分のみならず、悲劇的な部分までもが笑いに奉仕する。ユーモアに貫かれたこの作品から、少なくとも「結局全ては代替可能である」といった冷笑的な教訓を引き出すことは難しいだろう。生前は写字に、死後においては外套に、そしてその実一貫して代替に憑かれていたアカーキー。そんな彼の、無力で情けない顛末にもし、笑いを通して滑稽さと表裏一体の愛おしさのようなものを感じるとするならば、『外套』という作品はエルミーロフの言う通り、ほんとうの意味で人道主義的な作品なのかもしれない。


(注1)R・ヒングリー著 川端香男里訳『19世紀ロシアの作家と社会』(1971)に「文官たちをからかうことになったら、作家たちは等級などを必ずしも気にするわけではなかった。しかしだいたい衆目の一致するところ、やや低めの名義上の参事官(九等文官)が一番コミカルだということになっていた。この『名義参事官』という名前が出るだけで、読者は快い緊張感を覚え、どんなどたばた騒ぎが演ぜられることだろうと待ち受けるのである。」とある。

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