デジタルメディアに憑く幽霊たち‐‐榊原澄人「飯縄縁日」について

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民俗学的な場としての飯綱と「飯縄縁日」

榊原澄人「飯縄縁日」は、長野県飯山市飯綱町(「飯縄町」とも)の飯綱高原を舞台に、実在の縁日の様子と作家の記憶とを重ね合わせた情景を描いた作品である。風景画のような景色の中にいくつかのループするgifのようなユニットが配されており、元々は長野県立美術館の「新美術館みんなのアートプロジェクト」の一環として作られた。そのため、展示の仕方としては長野県立美術館における、壁面に作品全体を投影する方法が正しいと思われる(実際の展示の様子は長野県立美術館公式twitterを参照)。しかし本稿の記述は、新千歳空港国際アニメーション映画祭2021にて上映された、この作品を右端から順番になめるように映していった、映画館で上映するために作られたヴァージョンに基づく。

この作品について理解するためにはまず、タイトルにもとられている「飯縄(飯綱)」という土地について理解する必要がある。飯綱という地名は飯綱山の山頂に食べられる砂があり、修験道の行者たちがその砂を食べながら修行をしたという言い伝えから、「飯砂(いいすな)」が転じて「飯綱(いいずな)」になったと言われている。また、飯綱山から始まった飯綱権現への信仰において、飯綱大明神は天狗の姿を取るとされており、飯綱山の山頂の砂は「天狗の麦飯」とも言われている。さらに飯綱大明神は人間に神的な力を分け与えると考えられており、戦国時代には多くの大名からの信仰を集めていた。

飯綱についてのこのような伝承は、民俗学者である柳田國男が『日本の祭』で語ったものと重なる。柳田は天狗を彼岸の世界から現世にやってくる神として捉えており、そのような神的な異形と現世の人間とが交流する時間を「祭」として考えていた。祭において人間は神と同じものを食べ(「共食」)、神的な存在と一体化し、その力を分け与えられる。飯綱とは神と「天狗の麦飯」を共食し、その力を分け与えられる場所なのだ。信州は柳田とその部分的後継者である折口信夫にとって、自らの民俗学を成立させる上で特権的な役割を果たした場所であるが、分けても飯綱はその地名からして民俗学的な世界観を色濃く残していると言え、「飯縄縁日」という作品にもそのような世界観が色濃く反映されている。

その最もわかりやすい例が、飯山市で広く行われている秋祭りの獅子舞、「獅子殺し」を描いた場面であろう。「獅子殺し」とは、天狗の面を付けた少年が獅子を殺すことによって、獅子の悪い部分を殺し、善き獅子へと生まれ変わらせるという演目である。折口信夫の言うように、祝祭において、山(異界)からやってきた神の権化である天狗の面を被るとは、神的な存在と一体化するということである。また、そのような祝祭における時間は、死が復活へと繋がる循環的な構造を持つ。折口の考える神はさらに、人格神のみならず植物や無機物に胚胎する霊魂をも含んでおり、人間‐神‐自然は祝祭において混ざり合い、交歓する。

「飯縄縁日」の「獅子殺し」を描いた場面においても、獅子は天狗へと復活・転生し、天狗も獅子へと転生する。「獅子殺し」を観る観客も天狗やひょっとこ、お多福といった神的な存在へと不断に変化・一体化し、性別や個人といった枠組みを超えて、他者や人間ならざるものと交歓する。折口が言うように祝祭において性別や国籍、種族が変化することは、仮面の付け替えと等価なのだ。さらに付近にある木も生成変化することによって、人間と神との混ざり合いに加わる。(折口信夫についての以上の記述は安藤礼二『折口信夫』pp. 180‐184に基づく。また、「獅子殺し」については「箱店屋横丁大家の店番日記」における詳細な飯山の秋祭りのレポートを参照した)。

生命と非生命の境すらも自明ではない。飯綱町にはどんど焼きという、道祖神やだるま、お札や門松といったものを燃やして古い神を天に送り返すと共に、その火で食べ物を焼いて食べるという行事がある。すでに述べた「共食」や復活としての死と繋がる行事であるが、「飯縄縁日」に描かれたどんど焼きにおいてはさらに、煙(非生命)が鳥(生命)へと変化している。このように「飯縄縁日」の細部を見ていけば、民俗学的な世界観とのつながりをいくらでも見出すことができるだろう。(「どんど焼き」については「いいいいいいづなマガジン」を参照した)。

デジタルメディアに憑く幽霊

祝祭を生きる人間は個や人格といった輪郭を失い、異種や自然と混淆する。そこにおける人間は、この世(現世)とあの世(異界・神)の境目にいるという意味で、幽霊のような存在であると言えるだろう。「飯縄縁日」における人間はしばしば、個性を示す書き込みが消えて単色に光る色彩になったり、種々の色に点滅する光へと変化したりするが、この光となった人間=幽霊は、「飯縄縁日」の持つ民俗学的な世界観のみならず、メディア論的な側面にも着目を促す。

作品の冒頭、二つの空間に挟まれるような場所に、白黒の実写映画を模した映像が配されている。この実写映画風の映像内に登場する男は黒い影のようになっているのだが、この男=影の動きはしばしば、隣接した空間に居る光となった人間の動きと重なる。補助線を引けば、フリードリヒ・キットラーは『グラモフォン・フィルム・タイプライター』において、映画を幽霊的な分身を生み出すメディアと見做していた。スクリーンに映る俳優の姿はかつてどこかに居たが、今はここに居ない者の姿であるのだから、映画を分身や幽霊と結びつけることは不自然ではないだろう。すると、光となった人間=幽霊とシンクロする、実写映画を模した映像内の男=影とは、映画が作り出す幽霊だと考えるべきだろう。

黒い影として描かれる幽霊と、色彩を持つ光として描かれる幽霊。前者の幽霊を生み出すのは、フィルムというアナログメディアの性質である。アンドレ・バザンの『映画とは何か』を援用したピーター・ウォーレン『映画における記号と意味』に代表されるように、メディア論においては、フィルムを必要とする映画と被写体との間に、物理的なつながりがあると考えられてきた。被写体から反射した光がフィルムに定着しているのだから、被写体と映像は光によって繋がっている。だからこそフィルムを必要とするアナログメディアは、被写体によく似たものではなく被写体の分身、すなわち幽霊となる。

これに対してフィルムを用いないデジタルカメラは光を数値データに置き換えて記録するため、映像と被写体との間に物理的なつながりが存在し得ない。さらに映画のデジタル化以降、映像制作の現場において実写映像に3DCGIといった非実写映像を加えることが一般化しているため、現代では映像と被写体との繋がりどころか、実写映像と非実写映像との差異すら自明では無い。レフ・マノヴィッチの『ニューメディアの言語』に代表されるように、メディア論においてこのような状況は、実写映像のアニメーション化と見做されている。現実とのつながりを失ったデジタル映画=アニメーションは、キットラーの言う幽霊的分身にはなり得ないだろう。

しかし「飯縄縁日」に現れる、現世と異界との間にいる幽霊は、デジタルメディアの特性と結びついているように見える。冒頭で述べたように、その形式と画面の質感から風景画のようにも見えるこの作品であるが、種々の色に光る幽霊たちの色彩は明度が高く、いかにも手描きらしい作品全体の調子と比べて明らかに浮いている。渡邉大輔が『明るい映画、暗い映画』で述べているように、映画やアニメーションに蛍光色のような異様に明るい色が導入されるようになったことと、デジタル技術の導入とには浅からぬ関係がある。すると光として描かれる幽霊は、影として描かれる幽霊がアナログメディアに結びついていたように、デジタルメディアと結びついていると考えるべきだろう。

作品の冒頭、白黒映画から男の影がフレームアウトする際、そのフレームアウトした先の空間に光となった人間が現れるシーンがある。まるで影の幽霊が光の幽霊へと転生したかのようだ。このシーンはメディア論的にさまざまな意味づけが可能であろう。アナログからデジタルへの移行というメディア史的な記憶への自己言及ともとれるし、あるいはセルジュ・ダネーが「理論によるテロル」で述べたような、種々雑多な映像の文法を取り入れることこそが現代映画の特性である、というポスト・メディウム的なテーゼの実践とも捉えられる。しかしここではアナログメディアによって生まれた幽霊が、デジタル化したアニメーションに憑いたのだと解釈したい。なぜならフィルムが幽霊化した分身を生産する装置であるとするならば、デジタル化したアニメーションは、無数の幽霊を降霊させるメディアであるからだ。

土居伸彰は『個人的なハーモニー』において、セルゲイ・エイゼンシュテインが「ディズニー」で提示した「原形質性」という概念を読み替えている。原形質性とは一般的に、いかようにも形を変えうるというドローイングの全能性のことを指すとされている。それに対して土居は原形質性を、画面の上ではなく視聴者の意識の上での全能性だとしている。エイゼンシュテインの例に沿って説明を加えれば、一般的にはディズニーの『人魚のおどり』において、タコが象のような姿を取るときの、タコの可変的な性質を原形質性と呼ぶとされている。しかし土居は原形質性を、タコが形を変えることで視聴者の頭の中に、そこに描かれていないはずの象を思い描かせることができる能力だとしている。土居はアニメーションを、現実を映し取ったり模倣したりするメディアではなく、描かれたものの意味を着脱させ、対象についての認識を流動化するメディアだと捉えているのだ。

そしてこの流動性は、タコがそこにいない象のイメージを呼び起こすように、無数のそこにないものを呼び寄せうる。土居は同書において、アニメーションの原形質性が不在の死者や幽霊を呼び寄せる作品についても論じている(pp. 291-308)。メディアの単数系であるメディウムという言葉が媒体という意味の他に霊媒という意味を持つことを考え合わせれば、アニメーションとは字義通りメディウム(媒体=霊媒)であると言うべきだろう。そして土居が次著『21世紀のアニメーションがわかる本』で述べているように、原形質性、すなわち無数のものの媒体=霊媒となる能力は、デジタル化によって加速し、アニメーションはありとあらゆるものを受け入れる「空洞」となる。

異種や自然と交歓し、現世と異界との間に居る人間=幽霊たちは、メディウムとしてのデジタル化したアニメーションによって呼び寄せられ、「飯縄縁日」の描く祝祭に加わることとなる。そこにはまた、映画史の始原に居る分身としての幽霊も加わることだろう。しかしこの作品の中には、祝祭に参加することを躊躇うものも居る。そのような存在は「飯縄縁日」にアニメーションとは違うジャンルの記憶を呼び寄せることとなる。

自然主義文学と「飯縄縁日」

新千歳空港国際アニメーション映画祭2021のパンフレットに寄せられた榊原澄人による「飯縄縁日」の説明は、祝祭に参加することを躊躇うものについての説明に終始している。以下に全文を引用しよう。

宵の狂騒の前で立ち尽くす彼は ファントム(亡霊)だった。 鬼の形相や怪物達の異形ではなく、彼こそが「ここにいて、ここにいない」のだ。 屈託に埋められた記憶と望まれる未来–陸に上げられた言葉–に幽閉されて時間が彼を〈その場〉から遠ざける。 そして彼は対岸から寄せる波間に乗って運ばれてくる詩が 韻を踏んでひたひたと寄せてくるのを聴いたのだ。

先に名前をあげた折口信夫の、最も有名なテクストの一つである「国文学の発生」を思い起こさせる文章だ。折口は「国文学の発生(第四稿)」において、文学の発生を以下のように説明している。まず外からやってきた神が現地の精霊を征服するために呪言を発する(それはしばしば、外から来た神が自らの来し方を語るという方法をとる)。征服された精霊たちは服従の証として、外来の神に対し「ほ」という言語以前の言語を捧げる。この始原の言語である「ほ」を呼び覚ます神の征服行為を、祝祭において神的なものと一体化した神懸かりが反復する。この反復の際に発せられる、意味のない音のリズミカルな反復が、文学と詩の起源となる。

外からやってきた神の語る来歴や祖霊といった過去、あるいは未来への預言が現在へと胚胎し、この世とあの世の間にいる神懸かりがそれをリズミカルに反復することで詩が生まれる。先に引用した榊原による「飯縄縁日」の説明は折口的な祝祭を、日常と祝祭の間にある視点から語ったものにみえる。しかしここで見逃してはならないのは、榊原が祝祭に参加する異形やそれと一体化した神懸かりではなく、祝祭から締め出され、日常と祝祭との間に立つ存在の方こそを「ファントム(亡霊)」と呼んでいる点だ。この「ファントム」が具体的に誰を指すのかは判然としないが、おそらく作品の冒頭に現れる室内で立ち尽くす男か、作品の最後に現れる、横転した車の横で頭を抱え続けている人物のどちらかを指すのであろう。本稿では立論の都合上、後者をファントムだと解釈する。

民俗学的な祝祭と縁を持ち、かつ行動することができない煩悶する人物である「ファントム」。このような人物は系譜的に、田山花袋に代表される自然主義文学運動につながる。もちろんそれは、単に『布団』の主人公が行動することができない煩悶する人物であったということからのみ生まれる連想ではない。

佐藤春夫は『近代日本文学の展望』において、日本文学における自然主義運動が信州シンパによって担われていたことを強調している。現に田山花袋が残した数多くの紀行文にも信州は登場するし、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』はもちろんのこと、『破戒』や田山花袋『重右衛門の最後』の舞台に至っては飯綱にほど近い場所である。飯綱町がある信州とは民俗学のみならず、自然主義文学にとっても特権的な場なのだ。この信州という場を通して、自然主義運動の担い手たちと柳田國男との友情が育まれたことも見逃すべきではないだろう。

小林秀雄の「私小説論」や中村光夫『風俗小説論』に代表されるように、日本の自然主義文学は一般的に、ヨーロッパのリアリズムを表面的に模倣しただけの失敗作だと見做されている。その失敗の内実は多岐に及ぶ(科学的な観察意識の不徹底、近代によって棄損された私性の再建というコンテクストの不在…)が、福嶋亮大は『厄介な遺産』においてその中でも、紀行文的な想像力と宗教性の温存とに着目している。首都の景色を語る洗練された美学ではなく、地方や郊外の景色を提示する紀行文的なものをリアリズムの母体とした結果、例えば田山花袋は近代的な啓蒙主義とは相反するロマン主義的な想像力(『重衛門の最後』の自然人や「名張少女」の地方の理想的美少女)を抱えることとなった。あるいは自然主義文学に度々登場する紀行文的な要素は、多くの場合、宗教的巡礼を思わせる効果と結びついていた。このような想像力はヨーロッパ的なリアリズムよりも、古代的な民俗学と多くの共通点を持つ。

このように、信州という場を共有する民俗学と自然主義文学とには浅からぬ関係がある。そして「飯縄縁日」に現れる、民俗学的な祝祭の傍で行動することができないファントムとは、行動よりも内面的な葛藤が優先される自然主義的なプログラムと、祝祭の民俗学的なプログラムとの、狭間にいる存在であるように見える。あるいはこの狭間にいる存在こそが、日本の自然主義における「私」であり主体であると言えるかもしれない。兵頭裕己が『王権と物語』で述べているように、私小説における「私」=主人公=作家の自己告白というプログラムは、悪霊や災厄を依代に宿らせ、語らせることで除災を図るというアルカイックなプログラムと結びついているからだ。日本文学における近代的な「私」は科学的な主体であるのみならず、現世と異界との狭間にあるシャーマニックな主体でもあり得るのだ。

パノラマから彷徨へ

近代と古代、自然主義と民俗学との狭間にいるファントム。それは「飯縄縁日」を観る観客ともよく似ている。とはいえ、ファントムと観客との共通点を指摘するためにはいくつもの障害がある。長野県立美術館における「飯縄縁日」の展示は風景画とともにパノラマを想起させるが、トム・ガニングが「継起性の芸術」で述べているように、パノラマの鑑賞体験はヨーロッパ近代の主体にとっておあつらえむきのものであったからだ。

ガニングが述べるように、パノラマはそれを眺めるための特権的な視点が存在しないために、それを眺めるありとあらゆる視点の全てが等価になる、近代的大衆のためのメディアである。さらに観客はパノラマを鑑賞する際、複数の視点を経験するために巨大なパノラマの中を歩き回り、その巨大さを一挙にではなく継起的に経験する。雄大な自然や人知を超えたものという、カントが『判断力批判』の中で崇高なものの例として挙げたものを、パノラマの観客は複数の視点を渡り歩くことによってバラバラに経験する。汲み尽くし得ないほど雄大な景色を一挙にではなく、順々に経験することで汲み尽くしてしまうパノラマには、崇高やそれと結びついた宗教性が機能していない。パノラマとは大衆的かつ世俗的な、限りなく近代的なメディアなのだ。

新千歳空港国際アニメーション映画祭2021で上映された劇場用の「飯縄縁日」においても事情は変わらない。1フレームに収まらない長大な景色を端から順に見せていく方法は、劇場の観客にパノラマと同質の鑑賞体験を与えるムーヴィング・パノラマとそっくりそのまま同じものであるからだ。すると「飯縄縁日」は内容面において民俗学的な世界観を保っているにも関わらず、鑑賞体験としては限りなく純ヨーロッパ近代的であるという、チグハグな作品であるようにも見えてしまうだろう。

だが、「飯縄縁日」のファントムのすぐそばに壊れた車があったことを見逃してはならない。ガニングは先に挙げた論考の中で、パノラマとムーヴィング・パノラマの鑑賞体験を、動く列車から見る景色と関連づけている。以下に引用しよう。

 ヴォルフガング・シヴェルブシュは動く列車からの眺めを「パノラマ的」と巧妙に記述したが、一九世紀の最も近代的な移動の技術と表象の技術との間に彼が示唆した親和性は啓発的である。それはともに、継起性の論理を通してのみならず、機械的に駆り立てられた速度の力によって、風景を貪りつくすかのように思われる。ムーヴィング・パノラマは蒸気機関のように、一貫して前進する動きへと力を変換し、観者を引き連れていく。

パノラマもムーヴィング・パノラマも景色を貪り尽くすために移動を必要とするが、この移動は蒸気機関車の前進する力にあつらえられている。だがムーヴィング・パノラマのようにフレームが前進する上映用の「飯縄縁日」は、この前進運動を頓挫させている。ファントムが前進運動の現代的表象である車を失って途方に暮れていたように、観客も「飯縄縁日」を観るときには前進するフレームの推進力を無効化し、視線を彷徨させることとなるのだ。

「飯縄縁日」には種々のループする動きのユニットが存在するが、全てのユニットの動きを完全に把握することは、上映用のヴァージョンにおいてはほぼ不可能に近い。フレームの中にはいくつものユニットが存在しており、当然一つのユニットを見ている時は別のユニットを目視することはできない。横目で他のユニットを見つめても、例えば作品冒頭に現れるプラレールのようなもので遊ぶ子供は、動きがコマ飛びのようになっており、注視しないことにはその動きの全容を把握し難い。かつ白い鳥のようにフレームを跨いで運動し、複数のユニットと関係するものもあるために、ユニットの動きの把握は、作品を繰り返し鑑賞したとしても容易ではない。フレームは前進するが、観客の意識は前進によって覆い隠された、見損ねた運動の下に取り残される。

「飯縄縁日」を観る観客は、近代的な前進運動の機能不全にこそ、循環する動きの汲み尽くしえなさを見る。これはフレームの前進する時間(近代的・日常的な時間)の裂け目に、ユニットの循環する時間(民俗学的・祝祭の時間)を見るということでもある。「飯縄縁日」を鑑賞するとはすなわち、近代と古代の狭間にいるファントムと同じ位置に身を置くということだと言えるだろう。


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