サン・シンイン『オン・ハピネス・ロード』があまりに素晴らしかったので

東京アニメアワードフェスティバル2018の一日目に行ってきた。

鑑賞したのは「短編コンペティション スロット2」と長編『オン・ハピネス・ロード』、オープニング作品『パジャマを着た男の記憶』の三つ。どれも非常に見応えがあり、アニメーションの豊饒さの一端に触れたようで大変満足な一日だったのだが、その中でもサン・シンイン『オン・ハピネス・ロード』にはかなりの衝撃を受けた。

台湾を舞台にしたこの作品は、チーと呼ばれる女性の半生とともに、70年代後半以降の激動の台湾情勢を描いている。田舎町に住む少女の強烈なアメリカ・コンプレックス、台湾独立運動の激化、労働デモの盛り上がりとその挫折、震災などの台湾近現代史と、個人的なヒストリーとが織り交ぜられたこの作品のスケールの大きさは、『ちびまる子ちゃん』を思わせる可愛いルックからは想像つかないほどのものだった。

時系列がザッピングされた独特のナラティブのおかげで、台湾史に明るくない人にとってはいくつか時系列を把握しにくいところがあるものの、扱われている問題や描かれる社会問題は、グローバル資本主義の時代を生きる人々にとって切実なものばかりだ。台湾の田舎町からアメリカに出てきた先進的なチーと、田舎町に住む人々との微妙な摩擦、あるいは時代の変わり目を生きる人々への先行世代からの無理解などの描写には、国を問わず多くの観客が感情移入することができるだろう。


『オン・ハピネス・ロード』というタイトルは、チーの家族が住む田舎町「幸福路」に由来する。この幸せに満ちたタイトルとは裏腹に、物語は祖母の死と夫との不仲とを理由に、アメリカから台湾に戻ってきたチーの失意の描写、その状況の救いのなさを強調することから始まる。

そもそも幸福路には、希望と呼びうるようなものが殆どない。チーの父親は働くことに前向きではないために、なけなしのお金を宝くじに注ぎ込むし、母親は現状や自らの考えを変えることに前向きではない。学校でも、家庭で用いられている台湾語が禁止され、北京語で喋ることを強要される。この町を出て、より大きな都市へ出ていくことが目標であるかのように。

だから名の知れた高校に受かり医者を目指すチーは、両親にとって数少ない希望であった。しかし台湾独立運動の激化もあって、チーは世界を変えるための哲学や文学に傾倒する。進路を変えようとするチーと、猛反対する両親。そんな中祖母だけは、チーの選択を尊重してくれた。

結局文系の学部を出て記者として活躍したチーであったが、アメリカ人との結婚を機に故郷を離れアメリカで暮らすようになる。しかし夫との生活はうまくいかない。食べ物の好みも違うし、何よりカウンセリングが必要なレベルで子供を恐れている夫と、妊娠してしまったチーとでは、幸せな家庭を作り上げることができるはずもない。

夫との離婚が見えてきたところで、祖母が亡くなったという知らせが入る。人生の先行きが見えない中での、愛する祖母の死。台湾に戻ってきたチーは堪え難いほどの辛さに襲われるたびに、祖母の幻影を見るようになる。幻影はたびたびチーに助言を与えるが、しかしどれもいまいち役に立たない。幼い頃は夢想の中で王子様がチーを幾度も助けてくれたが、大人になった彼女は幻影によって救われることがないのだ。頼みの綱の両親も、チーは稼ぎのある夫と一緒にいるべきだと思っており、妊娠したチーを助けてくれる人も、彼女が腰を落ち着けることができる場所もない。


この袋小路の中で、物語はハッピーエンドのような見た目で幕を閉じる。詳しくはネタバレになってしまうので避けるが、ここで留意しなければならないのは、冒頭から結末に至るまで、チーやその家族の抱える問題が何一つ解決していないということだ。一見ハッピーに見える結末も、その実様々な問題の先送りでしかない。

問題が解決しないというのはしかし、同時代的なモードでもある。例えばバリー・ジェンキンス『ムーンライト』(2016)やアキ・カウリスマキ『希望のかなた』(2017)といった映画、山田尚子『聲の形』(2016)や片渕須直『この世界の片隅に』といったアニメーション、あるいは佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(2017)といった文学においてもそうであるが、こと社会問題(その多くはグローバル資本主義によってもたらされるものだ)を扱う作品において、抜本的な解決が図られることはほとんどない。それらは個人にふりかかる困難、所与の条件としてのみ扱われ、その困難の中でも小さな幸せを見つけ出すことに作品の重点が置かれる。

『オン・ハピネス・ロード』が特異なのは、問題の解決できなさへの鋭い批評眼を持っている点だ(もちろん、上記の作品は全て、それぞれがそれぞれの方法で解決できなさと向き合っている)。チーは家族や幸福路の人々を苦しめる問題の根本に、搾取や貧困、あるいはナショナリズムといったより大きな問題が潜んでいることを知っているし、その解決を図ろうとしたこともある。さらにハッピーエンドの先で、また別の問題が噴出するであろうことも重々承知している。それらが全て解決不可能であることを知っているからこそ、現状追認にも見えるハッピーエンドは、現状への白痴的な埋没とは違ったものでありうるのだろう。


『オン・ハピネス・ロード』は台湾の田舎町生まれの女性を描いた、ローカルで個人的な作品でありつつ、価値観の違う家族のすれ違いや、袋小路の中で生きていく人間の姿を描いた、普遍的かつスケールの大きな作品でもある。東京アニメーションフェスティバルではあと3月11日の夜に1回放映しておしまいらしいが、別の映画祭や配給によって、この作品の持つアクチュアリティと魅力とを体感することができる人が増えることを望む。




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