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「言葉とは何か」と言われたら、あなたは何と答えますか?

知り合いにすごく考えるのが好きな人がいます。ぼくらのあたり前と全然違う基準で物事を考えている人です。

友達はいったいどれくらいの関係値の人を指すのか、異性と付き合うのはどういう意味なのか、付き合うことで何か変わるのか、となかなか面白い思考をしています。会ったときはいつもお互いの考えを話し合う、とても楽しい大切にしている時間です。

ここ最近で一番印象に残ったのは、

Twitterが手書きの文字だったら「死ね」なんて言えないと思う

というお話。

手書きの文字を見ると、その人の性格や感情が結構読み取れます。綺麗な字なら落ち着いていて繊細なんだなーとか、力強い字だったらその文字に特別な想いを込めて書いたんだなーとか。直接話すのには及ばないけど、文字でも十分そういった細かい心情を読みとれるんです。

Twitterは全員が同じ字体、フォント、大きさ、黒色、と画一化されています。もちろんこれが悪いといっている訳ではありません。同じ条件だからこそ言葉の使い方が洗練されていくし、短い文でも上手く相手に感情を伝えられるようになります。

ただ、良くも悪くもみんな同じ条件下でしか発信できないのです。

活字になると、なんだか、責任感というものを忘れてしまう人が多い気がします。なんでかというと、活字であれば無感情のまま言葉を発することができるからです。よく例えられるのは「www」と打っているのにリアルの人は全然笑っていない、という状況。笑い話っぽく使われるけど、割と本質を付いていると思っています。

みんなが言っているから自分も言っていいだろう、匿名だし大丈夫だろう、最悪言い逃れできるからいいだろう。
そうやって、自分の逃げ道が十分あると錯覚してしまうんですね。

多分、アンチと呼ばれる人たちは手書きになったらあんな発言はできないです。先ほども言ったように、あなた書いた文字にはあなたの感情・性格が表れます。人を中途半端な気持ちで反対するような人は一文字も書けないはずです。だってそれは、わざわざ自分で文字を書いてまで伝えたいことじゃないから。

活字になると「心」が抜けてしまうんですね。

前に「信頼できる人の文章には共通点ある」という記事を書きましたが、人間性がある人は自分の言葉にちゃんと責任を持っています。だから、感情がちゃんと伝わってくるんです。

「言葉とは何か」と言われたら、あなたは何と答えますか?ぼくは、

自分の感情を相手にも感じてもらうための記号

だと考えます。

感情のない文字には価値はないです。

想いを発信する活動をしているからこそ、
言葉を学び続けていかないといけないんです。

手紙のような発信を。


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