小説「15歳の傷痕」69〜二学期の始まり
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― 彼女とTIP ON DUO ―
1
吹奏楽コンクールが終わり、吹奏楽部は引退となったが、まだ俺はピンと来ていなかった。
このまま二学期の行事、体育祭でのマーチやその他の曲の演奏に参加しても良いと思うほど、まだまだ引退した実感はなかった。
だが若本に形上はまたしてもフラレた形になったため、音楽室へ顔を出すことは、ちょっとためらわれた。
またコンクールの後、始業式までに解決したい悩みが、俺にはあった。
(森川さん…どう接したらいいんだ…)
夏休み中に一週間悩んだ末に勇気を出して電話してくれ、プールに誘ってくれた森川さんとは、1日プールデートしたことで、グッと距離が縮まったとは思っている。
それまで俺に話し掛ける時は、照れて目も合わせられず、喋り方もぎこちなかったが、プールから帰る時は目を見てスムーズに話すことが出来た。
弁当も美味しかったし、細かい所にも気を使ってくれる森川さんだが、まさか帰りの下着を忘れるというハプニングは、却って森川さんの人間味溢れる失敗で、俺はますます好感度が高くなった。
別れ際に抱き合ったことも、忘れられない。
こう考えると、森川さんに正式に交際を申し込んでも問題はないように思える。
だが若本は森川さんに、吹奏楽コンクールで金賞を取ったら俺に告白する、と宣言している。
吹奏楽コンクールの結果を、森川さんも知りたいはずだ。
そこで結果は銀賞だったと知ったら、森川さんはどう思うだろうか。
金賞じゃないから俺は若本とは付き合ってないはず、ラッキー!と思うだろうか?
いや、森川さんはそんな性格ではない。
むしろ、そんな棚ボタで俺とカップルになっても若本に対して申し訳なく思ってしまう性格だ。
若本とは同じ土俵で、競い合いたいと思っているはずだ。
始業式の後、体育祭へ向けての生徒会役員会議が開かれることになっている。
その際、森川さんと何かしら話が出来れば良いのだが…。
2
「ミエハルくん、おはよう」
9月1日、結局森川さんにどう接しようか決められないまま、玖波駅で登校するために列車を待っていたら、女子から声を掛けられた。
誰だろうと思って振り返ると、中学の時の同級生、山神恵子さんだった。
「あっ、山神さん!おはよう。すっかり…変わったね…というか、戻ったね」
「えへっ、頑張ったんだよ~、この夏」
そこにいたのは、文化祭の時に見た不良少女の山神恵子ではなく、中学生の時に見ていた、憧れの山神恵子さんだった。
頭髪も前回見掛けた7月初旬から2ヶ月経ち、ほぼ黒髪に入れ替わっていて、剃っていた眉毛も戻りつつあった。
何よりH高校の制服を改造していたのを、元に戻していることが、嬉しく感じた。
「どう?その後、連中から誘われたりしない?」
「うん。元々アタシの家や電話は教えてなくて、夜11時に玖波駅前に集合ってことだけが決まり事だったんだ。だからその時間に行かないようにすればいいだけだし…」
「名前で探されたりしない?ほら、中学の卒アル見たら、名前と住所が分かっちゃうじゃん」
「名前なんて、本名はあんな人達には教えてないよ。学年もハッキリと教えてないし。逆に言えばアタシも彼らの本名とか、高校は何高校とか、働いてるかとか、全然知らないんだ」
「そうなの?じゃあ見た目とは違って、本当に関係は薄っぺらいものだったんだね」
「そうだね。ああいうグループって、本名とか住所とかキッチリ教え合ってたら、いざ警察に捕まったら全員一気に捕まっちゃうから、そこら辺の情報って最小限しか知らないみたいだよ」
「ふーん。悪いことしてるのに、グループ内ではルールを決めて守ってるってのが、なんというか、面白いというか…」
「アハハッ、本当だね!あ、電車が来たよ」
広島行きの列車が到着した。俺と山神さんは一緒に乗り込んだ。
これまでは吹奏楽部の朝練に出るため、早目の列車に乗っていたが、もうその必要もなくなったので、やや遅い列車にしたのだった。
すると山神恵子さんに会える偶然があり、それは嬉しかったが、以前乗っていた列車より数本遅くしただけで車内の混雑度合いが違っているのにビックリした。
「山神さんはいつもこの列車?」
「うーん、この列車か、もう1本後かな?ミエハルくんはこの列車で間に合うの?」
「うん。吹奏楽部もコンクールが終わったけぇ、引退になったんよ。じゃけぇ、朝練に出んでもええから、少し朝はゆっくりにしてみたんよね」
「まあ確かに、ミエハルくんのN高の制服の生徒も乗ってるね。そうかぁ、コンクールね…。高校最後のコンクール、どうだった?」
「いや、銀だった」
「ん?銀賞だったの?」
「そうだよ。高校3年間で、一度もゴールドは捕れんかったねぇ…」
「そっか。なんかミエハルくんの返しが変じゃけぇ、何かあったのかと思って…」
「あ、山神さんがさ、『銅だった?』って聞いてきたかと思って…。いやいや、銅賞じゃないよ、銀賞だよという…。ごめーん!つまらん親父ギャグで」
「アハハッ、気付かんかった~。ミエハルくんのユーモア精神は健在だね!」
「でもスムーズに相手に伝わらなきゃ、ダメだよね。また次に会う時まで、修行しとくよ」
と話していると、宮島口駅まではあっという間だ。
「じゃあまたね~。帰りに会えたら、またお茶しようね」
と山神さんに手を振られて、俺も恥ずかしながら手を振り返した。
山神さんの乗った列車を見送っていたら、他の車両からもN高生が結構下車してきた。
今から高校へ向かって歩けば、確かに丁度8時25分の始業に間に合う。
この1本後だと、走らないと間に合わない。
今までとは違う風景に少し戸惑いながら改札口を出て、これまでは見慣れななったN高の生徒の流れに乗って、俺も歩き始めた。
3
始業式の日は授業もないので、放課後になるのも早い。
これまではそのまま音楽室へ向かっていたが、今日からは向かわなくてもよい。
やはりまだ違和感は残っていたが、これまでの先輩方も、こんな気持ちを味わって来たのだろう。
ただ俺はそのまま帰るのではなく、生徒会室で会議に出なければならなかった。
体育祭で生徒会が担当する部分の確認と、生徒会役員用の競技冊子作成についてだ。
「お疲れ様〜」
生徒会室に入ると、既に大半の役員が揃っていた。中には、森川さん、山田さんもいた。
俺が森川さんの顔を見て、目で合図すると、何となく困惑した表情で返してきた。
(若本にコンクールの結果や、俺をフッたことを知らされたんだな…)
後で森川さんと話せる時間を作りたいと考えながら、俺は会議のテーブルに着いた。
山中が資料を持って、最後に現れた。
「ごめん、みんな。遅くなって。とっとと会議やって、今日はとっとと帰ろうや」
山中は資料を配った。
今年の体育祭のプログラムの原案だ。一部斜字になっているが、そこはまだ変更の余地がある部分らしい。
もう一つは、担当割振り表だった。
全部の競技で何かしら関わるという訳ではないが、審判係や接待係、召集係、救護係等があった。
係を選べるのかと思ったら、俺の場合は既に警備係長として、名前が印刷済だった。
「えー、俺また校内見回りのスケジュール組まなきゃいけんの?面倒だぁ〜」
と思わず言葉を漏らしたら、軽く笑いが起きた。
「まあまあ上井、我慢してくれよ。風紀委員長なんじゃけぇ。その代わり、生徒会役員はテントが当たるけぇ、日焼け対策が楽になるから」
すると女子から、本当ですか?やったー!と声が上がった。
俺の高校はまだ出来て4年目だからか、テントの数が少ないのだ。
そのテントの恩恵を、吹奏楽部で毎年享受してきたが、今年は生徒会役員として受けれるのはありがたい。
「プログラムはまだ変更出来るけぇ、変えたい所とかあったら、俺に教えて下さい。斜めの字の競技は仮の競技なので、何か面白い競技案がある人、これも俺に教えて下さい。あと係の割振りですが、一部はもう上井みたいに名前が入ってます。入ってない人で、この係がやりたいとかあれば、これも俺に教えて下さい」
山中はザッと資料の説明をした。
少し雑談はあったが、特に今決めなきゃいけないことはないので、次回の会議で決めることとし、今日は解散となった。
役員のみんなが、お疲れ様〜と言って生徒会室を出ていくのを、俺は見送っていた。
その中で俺は出ようとしている森川さんに、生徒手帳を千切ったメモに「屋上へ来てくれる?」と書き、他の役員から見えないように渡した。
メモを見た森川さんは、小さく頷いてくれたので、何とか話す時間が作れそうだ。
俺もタイミングを見て、生徒会室から出ようとしたら、山中が呼び止めた。
「上井、ちょっと…」
森川さんのことだろうと思い、立ち止まった。
「なに?」
我ながら白々しい演技をして、山中の言葉を待った。
「森川さんじゃけど…」
「はい、はい。伝えてくれた?」
「ああ、一応ね」
というのは、実は既に解決済みの、山田さんのことはなんとも思ってないという俺からのメッセージだった。夏休み中に勝手に解決してしまいながら、山中に報告してなかったのは、悪いことをした、と思った。
「何か言ってた?」
「分かりました、とは言ってたよ。だから、誤解は解けたと思うから、出来るだけ森川さんに話し掛けて上げてくれよ」
「ああ。そのつもりだよ。ありがとう、山中」
「お前の15歳の時の傷が塞がるまで、もう一歩じゃけぇ、頑張ってくれよ」
ここが山中の優しい所だった。俺は夏休み中の出来事を報告してなかったことを、心の中で山中に詫びた。
「うん、頑張るよ。じゃ、今日はこれで…」
「俺も協力するけぇ、何かあったら言ってくれよ。じゃあまた…」
という山中の声を背に受け、俺は森川さんが待っている筈の屋上へ向かった。
4
「ミエハル先輩…。来て下さって良かったです」
先に屋上に着いて、ベンチに座っていた森川さんから言われた。
「ごめんね、待たせちゃって。不安になったかな?呼び出したのは俺だから、行かない訳、ないよ」
「はい。先輩のことは、信じてますもん、アタシ」
森川さんが、綺麗な瞳で俺を見つめて、そう言った。
「でも、なんで屋上まで呼び出したか、分かってくれるかな…」
森川さんは言葉を発さず、軽く頷いた。
「じゃ、話は早いんだけど、一応確認ね。若本から、色々聞いてる?コンクールのこととか…」
今回も森川さんは何も言わず、2度、頷いた。
「じゃ、俺は若本とは付き合ってない…若本にフラレたということも聞いてるよね」
「…はい」
今回は言葉を発して返してくれた。
「まあそういう訳で、俺はコンクールの日、若本から付き合う訳にはいかない、と言われて…」
「…はい」
「森川さんが若本と勝負していたのは、森川さんからもプールに行った時に聞いたけど、若本からも詳しく聞いてるんだ」
「ですよね。あの子の性格上、その事をミエハル先輩にちゃんと宣言することは予想してました」
「だから森川さんが俺をプールに誘ってくれたのは、若本との競争で、俺に対してアピールしてくれたのかな?と思ってたんだ」
「…はい。そうです、そのとおりです。若本さんは毎日ミエハル先輩に部活で会えるけど、アタシは2学期まで先輩に会えないじゃないですか。ライバル関係だとか言いつつも。それでもしコンクールで金賞というのを取ったら、アタシは何も出来ないまま、この1年大好きだったミエハル先輩を、若本さんに取られてしまう…。だから仮に金賞という賞を取って、先輩が若本さんと付き合うことになっても、ミエハル先輩とプールで1日デートした思い出を作りたくて…」
森川さんは一気にそこまで話すと、一旦話を止めた。よく見ると、目に涙を浮かべていた。
「森川さん…。今まで、周りから色々言われてたけど、やっと直接お互いに本音を言い合えるようになれたね」
「は、い…」
森川さんは下を向いて、溢れる涙を手で拭いていた。
「森川さん…泣かないで」
俺はハンカチを、森川さんに渡したが…
「いえ、そんな…。ミエハル先輩の大切なハンカチを汚しちゃいます。自分のハンカチを使いますから、先輩はハンカチを仕舞って下さい」
そう言って森川さんは、俺の手にハンカチを戻した。
「森川さん…」
しばらく森川さんの感情が収まるのを、俺は待った。
「先輩、すいません、話を途中で止めちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。もう吹奏楽部は引退したから、時間はあるし」
「それで…それでですね、先輩とプールに遊びに行って、実はアタシはもう先輩のことを諦めようと思ったんです」
「えっ?」
「だって、アタシは若本さんに勝てる気がしなくて…。一度、先輩と若本さんが会話してるのを偶々聞いたことがあるんです。物凄く会話が弾んでて楽しそうで、アタシは勝てないって思いました」
「会話?でも森川さんが聞いたとなると、かなり前でしょ?」
「あ、まあ、そうですね…。一学期中でした」
「それなら…。若本が森川さんに宣戦布告する前でしょ。そんなの、気にしないでもいいのに」
森川さんがマイナスの感情になっている。少しでも前向きな気持ちを持ってほしい…。
「若本から、コンクールは銀賞だったから、俺に告白はしていないって聞いたのは、今日の朝だよね?」
「はい…」
「そう聞かされて、最初にどう感じた?率直に教えてくれるかな?」
「最初……。先輩が可哀想だと思いました」
意外な言葉が森川さんから返ってきた。
「俺が可哀想?」
「はい。コンクールの結果次第で恋人になる、ならないなんてことを若本さんが決めたのは、アタシは…アタシは…」
森川さんは再び大粒の涙を流し始めた。
「おかしい、って思ったかな?」
森川さんは深く頷いた。
「好きなら…好きって、告白すればいいじゃないですか、ミエハル先輩に。なのに、アタシが不利だからって、コンクールの結果を賭けて、銀賞だから先輩には告白しなかったなんて、先輩に失礼だし、先輩が若本さんに振り回されてるみたいで可哀想だって思いました」
泣きながら、森川さんは必死にそう俺に告げた。
「アタシがミエハル先輩のことを好きなのは、若本さんは前から知ってるのに、何で夏休み直前にそんなこと言い出して、アタシや先輩を混乱させて…。挙句の果てに金賞じゃなかったから告白やめた、って言われると、ミエハル先輩をオモチャのように扱って、飽きたからアタシに上げる、みたいな言われ方をしたような気になるし」
仲良しだと言っていても、一枚皮をめくると、様々な感情が隠されているんだな…。
「アタシは、若本さんみたいに、アッチ行ったりコッチ行ったり、しません。誤解はしちゃったけど…」
「誤解…山田さんの事だよね。アレは俺も悪かったから…」
「でもその事を、若本さんに相談したのが、良くなかったのかなって、今更ですけど、思ってます。その後に急にアタシもミエハル先輩が好きだとか言い出したので…」
若本が帰り道で、やっぱり先輩のことが好きと言ってくれた時は、確かに嬉しかったが、その裏で森川さんは悩みに悩んでいたんだ…。
「森川さん、色んな気持ちを抱えてたんだね」
「先輩、アタシ…」
「うん?」
「さっき、ちょっとブレたことを言いましたけど、やっぱり変わらず、優しいミエハル先輩のことが好きです。大好きです。やっと先輩に直接言うことが出来ました。こんな機会を作ってくれて、先輩、ありがとうございます」
「あ、ありがとう、本当にありがとう」
「先輩は、アタシのこと、どう、思ってくれてますか?」
いよいよ話の核心だ。ここで言葉を間違うと、大変なことになる。
「俺はね…」
<次回へ続く>