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〆切過ぎてしまったが ぜひとも爪痕残したい 素敵な企画に 独り言として書く記事

人というのは(いや、私だけでしょう…)不思議なもので、〆切(あるいはこの日までに❗的な日)の翌日に、大切なことを思い出すんですね😱

軽自動車税の納期、オンライン講座の受講料振込日、楽●市場からのメールでポイントをポチッと押す日、これは必ずや行きたい❗と思った落語やコンサートの先行販売期間終了日、etc、etc…。

という長い前説の後、〆切は昨日だったというのにご本人に承諾も得ないままご紹介させて頂くのが、こちらの記事です。
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riraさん主催の、【鶴亀杯】曲から一句という企画なんですけど、1つでも記事を書きたいな💖という意欲を持っていたのですが、日々の仕事に忙殺されている内にウッカリしてしまい、残念ながら昨日で締め切られておりまして、貼らせて頂いたリンク画像にも※終了しましたと、しっかり書かれております💦

駄菓子歌詞!

この企画に乗ろうとして考えていた句がありますので、このまま闇に葬るのは勿体ない、せめて私のような者の記事を見ていただける皆様に恥を晒したいと思いまして、企画外独り言記事として書かせていただきますm(_ _)m

昭和62年度全日本吹奏楽コンクール課題曲A「風紋」より

心もよう
風に吹かれて
様変わり

夏井先生に上五が字余りとは何事だと怒られそうですが(笑)

以前より親交のある皆様には、「また『風紋』ネタかよ」と思われる危険性を覚悟で詠んでみました。

私が吹奏楽を始めたのは中学2年の時、昭和59年春でした。途中入部です。
最初は楽譜も読めないし、私に与えられたバリトンサックスという楽器は重たいわりに目立たないし、先輩は厳しいし、夏休みが潰れると聞いて、早く辞めたいなと思っていたのですが、顧問の先生のコイツを逃してなるかという執念(?)に負け、嫌々ながら部活に参加していました。

そんな私を吹奏楽大好き人間に変えたのが、その年のコンクールでB部門ながらゴールド金賞を取ったことでした(ちなみに演奏したのはF・エリクソン作曲「序曲 祝典」)。

その後はどんどん吹奏楽の世界に惹き込まれ、途中入部だというのに中2の11月に行われた3年生引退による役員改選では部長になってしまい、益々どっぷりと吹奏楽の世界に浸かるようになりました。

そして高校に入っても当たり前のように吹奏楽部一択だった私。
部活説明会も吹奏楽部以外は右から左へ受け流し、目指せ新入部員一番乗り!
そして高校でも吹奏楽部でバリトンサックスを吹いて吹奏楽を満喫する予定だったんですが、高2になって再び部長に任命され、夏のコンクールの課題曲もこの風紋に決まった時に事件が起きました。

打楽器が1年生1人を残して、いなくなってしまったんです。

私は部長として責任を感じ、進退伺をもって顧問の先生に相談に行ったのですが、結論として私が打楽器に移ることになりました。
引退していた3年生にも懇願して復帰して頂き、中学の時に打楽器で、高校では他の楽器を吹いていた同期にも頼み込み、何とか打楽器の陣容を立て直して、夏のコンクールに挑みました。
私は打楽器の基礎打ちから、先輩、同期に教えてもらい、約一か月の即席栽培でティンパニー担当として出場しました。

(その「風紋」を演奏した、昭和62年夏のコンクールです)

とにかく高2の夏をティンパニーの練習に費やし、「風紋」という課題曲に挑んだ17歳の夏を、私は生涯忘れることはないと思います。

だからこそ、この曲を素材に、ぜひ一句詠みたかったんです🎷🥁

上の句「心もよう」には、打楽器の部員が一斉退部して動揺している当時の私の心境を。

中句「風に吹かれて」には、この曲に対する思いを。

下の句「様変わり」には、サックスから打楽器へ移籍し、心境も演奏時に見える風景も変わったという思いを。

それぞれ込めてみました。


吹奏楽なんて興味ないよ、という方もいらっしゃると思いますが、5分少々だけ騙されたと思って、貼り付けたYouTubeを開いて、ぜひ「風紋」を聴いてみてください!
他の吹奏楽コンクールの課題曲も、再生候補に沢山上がっているのですが、この「風紋」は断トツの再生回数を誇っています。
それくらい、吹奏楽経験者には抜群の人気な曲なんです。

そして私も、何度でも再生しては、高校時代に帰りたい…と涙しています(苦笑)

青春って…かけがえのない一瞬、だけど一生ものの宝物ですね🎵

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