人生の分岐点
私も50年少々生きてきましたが、その中で何度か頭を悩ます分岐点がありました。
まあ人間も生きていれば、頭を悩ませる選択肢、分岐点というのは多々ありますよね(^_^;)
「あの時、別の選択をしていたら・・・」
というのは、一度は考えてしまうことだと思います。
私もいくつか分岐点を経験してきましたので、大したネタではないですけど、今日はそのお話でも…φ(. .)
①12歳「広島か豊橋か富山か」
これは自分の分岐点というより、父親の分岐点です。
小学校卒業まで横浜に住んでいた私ですが、父親はその半年前から転勤の打診を受けていたそうです。
転勤先の候補は三ヶ所。
広島県大竹市か愛知県豊橋市か富山へ戻るか。
父の後日談ではありますが、富山に戻るのは即座に拒否したそうです(;^ω^)
すると残るは、広島県大竹市か愛知県豊橋市。
転勤自体は受け入れざるを得なくなっていたとのことで、丁度私が小学校を卒業して中学校に上がるタイミングと重なるということから、父と母は物凄く悩んだそうです。
悩みに悩み抜いて出した結論は、広島県大竹市への転勤。
その決め手を父に尋ねたところ、実は会社に入ったばかりの頃、新人研修で広島県大竹市に一時的に住んでいたことがあり、若干土地勘があること、また横浜から同時期に転勤する方には父の知り合いが多く、ほぼ全員が豊橋ではなく広島を選んでいたこと、これらが決め手となったようです。
私が小学校卒業と同時に引っ越すと親に教えられたのは、年末くらいだったと思います。
母親がとても申し訳なさそうに切り出したのを今でも覚えていますが、私は寧ろラッキー🎶と思いましたよ\(^o^)/
以前にも書いたことがあるのですが、何せ小学校時代、私は女子に嫌われていて、卒業アルバムのクラス別コーナーで、女子が選ぶゲスイ男子第2位という栄誉をもらったほどでしたから(o_o ;)
そんな環境から1ヶ月しない内に、広島県大竹市の中学校で、今度は「ミエハル」というあだ名をもらって、横浜から来た芸能人そっくりな転校生として中学デビューするんですから、人生どこでどうなるか、わからないですね(笑)
※ 仮に父が豊橋を選んでいたら?
全く想像も付かないのですが、豊橋にも工場の近くに社宅があるのをヤフー地図で確認したので、恐らくそこに入居することになったでしょう。
さらに拡大すると、文教町なのか、学校が沢山あります。
私が豊橋に行ったとして通うことになる中学校は、地図上から見ると豊橋市立青陵中学校ではないかと想像が付きます。
一応ググってみましたら、戦後すぐの創立で、結構歴史がある中学校でした。
部活動も盛んなようですが、豊橋に引っ越していたら吹奏楽部に私が入ったかどうか?
これは分からないですね💦
ですがスポーツ系の部活はかなりの強豪校のようで、地区大会を突破して県大会に出場している部が大半、更に全国大会へ出るほどの部活もありました。
そんな部活に非体育会系の私が付いていけるわけがありませんr(・_・;)
では文化部はどんなのがあるのかな?と思ったのですが、HPから確認出来たのは、吹奏楽部だけでした。
・・・きっと豊橋でも吹奏楽部に入ってたんじゃないかな~(;^ω^)
その後、高校や大学までになると想像可能な範疇を超えてしまうので、中学校まででとどめておきたいと思います。
その他には、近くを豊橋電鉄の路面電車が走っていたり、豊橋駅は新幹線駅もありますし、鉄分接種には困らない環境だったと思います。
また、豊橋でも私はミエハルとあだ名をつけられたかどうか?
これは神のみぞ知る、の世界ですが、多分豊橋の中学校に行っても、付けられたと思います。
富山で就職した際も、就職2日目に先輩から
「アンタ、見栄晴に似とる」
と即指摘を頂いた実績がありますので(n*´ω`*n)
②22歳「広島か東京か富山か」
次の人生の分岐点は、大学を出てどこで就職するか?でした。
私の母校、広島修道大学は、中国地方でならかなり知名度があり、私が卒業する頃はまだバブルの残り香が漂っていましたので、高望みしなければ、大学名を言うだけで広島の民間企業には即就職できるほどの状態でした。
しかし私は一人っ子ですので、先に富山へ戻った両親を、いつかは世話しなくてはならない日がやって来ます。
先祖代々のお墓も守らねばなりません。
その日が来た時に、人脈を生かして広島の会社に入ったはいいけど、親の面倒を見なきゃいけないので富山へ行かなきゃいけないため退職させて下さいと、言える度胸があるのかどうか?
また富山ですぐ転職先が見付かるのか?
大学4年生の春先は、迷いに迷ってました(^_^;)
迷いながら私が受けた企業は、職種も何もかも統一性がありません(笑)
中国セルラー電話(広島・のちのau。OB訪問などもせず突撃突貫精神で挑んだものの、最終面接で落選)
立山黒部観光(富山・アルペンルートの会社。受かったものの、広島で予定ギッシリの8月にバイトに来いと命令され、無理ですと言ったら後から落選 笑)
富山トヨペット(富山・初めてリクルート葉書が来たので喜んで返事を書いたらそれだけで内定。しかしよく考えたら、自分に車を売る能力などないことに気付き辞退)
ぎょうせい(東京・都内の出版社。都内の仕事に憧れて受験。面接官に気に入られ運よく内定を頂いたものの、福利厚生面を慎重に考え、辞退)
朝日新聞社(大阪本社を受験。マスコミへの憧れがまだ残っていて受けたが、1次試験で惨敗)
朝日新聞社営業職(大阪・まだマスコミに執着し、記事は書けないけど営業職でと挑む。1次面接はなんと補欠合格。しかし繰り上がり合格の期限までに連絡はなく、落選)
富山市役所(富山・安定(?)の公務員。倍率の低さに助けられ合格。以後、今に至る)
このように全く一貫性がない就職活動でしたが、最終的には富山となった訳です。
実際、私が就職した平成5年の8月には、父親が重病にかかり、もし広島や東京で就職していたら、退職願を出して富山へ戻らねばならないほどの状況でした。
父は無事に生還したのですが、富山で就職して良かったな、と思えるエピソードの一つです。
またこの時に、富山で生きていくには車が絶対必要だと痛感し、就職半年にして車の免許を取りに、自動車学校の夜間の部へ通うこととなります💦
③26歳「妻か見合い相手か」
私が妻と出会ったのは、平成8年7月の海の日で、友人主催のBBQの場でした。
新しい祝日「海の日」が制定されたものの、初の海の日は土曜日に被るという、働く者には実感のない休日でした(苦笑)
細かい経緯は省略いたしますが、何とか後に鬼嫁…もとい、妻となる女性と翌日のデートの約束を取り付け、舞い上がってBBQから帰宅したところ、母が興奮した面持ちで、
「今日わざわざ上司の方が、息子さんにピッタリな女性を紹介しますといってお出でになったよ!」
と、私に写真とプロフィールを渡してきました。
早速見てみると、私より1つ年下で、三つ編みの髪型が可愛い女性💖
この時は本当に、頭が禿げるかと思うほど悩みました(苦笑)
何故、同じ日にこんな素敵な縁談が…(;´・ω・)
もう一日早ければ良かったのに…(;´Д`)
やっとの思いで自ら見付けてきた彼女候補 vs 上司お勧めの可愛いお見合い相手s(・・;)
「わざわざ上司が暑い中、我が家まで訪ねて下さって紹介してくれる女性」に会わない訳にはいかないだろう?」
という自分と、
「自分で見付けてきた彼女候補がいるのに二股かけるのか?」
という自分の闘いです。
この時は翌日に彼女候補さんとデートすることにしていたので、とりあえず即答は避け、彼女候補さんと過ごして、正式に彼女になってくれたら、残念だけど二股は掛けられないのでと上司に報告する、こう決めました。
果たして運命の翌日、約束した午後2時に、私は待ち合わせ場所に赴きました。
カンカン照りの猛暑の公園で、ひたすら待ちました。
しかし、待っても待っても彼女候補さんは来ません。
途中、あまりに遅いもので、帰ってしまおうかとも思ったんですが、でももしその直後に来たらどうしようと思い、とにかく待ち続けました。
かくして彼女候補さんが待ち合わせ場所にやって来たのは、約束の時間を遥かに超えた午後3時半。
「ごめんなさい、待たせちゃって。用事が全然終わらなくて」
「大丈夫ですよ。これくらい」
んまぁ、強がっちゃって(笑)
ケータイ、スマホがない時代ですから、連絡の取りようがないのです。
だからひたすら待つしかなかったんですね。
その後喫茶店に行ったり、ドライブしたりして、途中で正式に彼女になってくれませんか?と申し込みました。
「はい、こんな私で良かったら・・・」
私に、遂に彼女ができた瞬間です!
10年間で12連敗を喫した男に、やっと春が来ました♪
これはこれで嬉しかったんですが、こうなると上司の紹介はお断りせざるを得ません。
翌日の月曜日、上司に事情を説明し、写真とプロフィールをお返ししました。
「それなら良かったじゃないか。先方には上手いこと言っておくから気にするな。頑張れよ」
と、漢気あるお答えを頂き、私は自分で見付けた彼女とのお付き合いに邁進することとなりました。
で・す・が・!
最近の妻の鬼っぷりを見せ付けられるに至っては、もし平成8年夏に上司が紹介して下さった女の子と、会うだけ会っていたら、運命は変わっていたのか?と、悶々とする時が多発しておりますσ(- -*)
今でも覚えているのは、私よりもちょっと背が低くて、三つ編みで、結婚の条件は何もなし、趣味・特技はピアノを弾くこと、お写真の顔は丸くて可愛いってこと…。
ご実家は我が家から車で15分ほど。待ち合わせる場所も迷うことはありません。
趣味・特技がピアノですから、私とは音楽という共通項がありますし、一緒にクラシックコンサートに出掛けたりも出来ただろうなぁ。
結婚の条件も特にないなんて、有り難い限り((ノェ`*)っ))
同居もしてくれただろうし、一人っ子でも構わないと言ってくれただろうし(*ノωノ)
一度だけ会っておいた方が良かったかな~💖
…妻が鬼化しなきゃ、こんなことも思い出さずに済んだはずなんですけど💦
とにかく写真だけでしかお顔を見たことのないH.Kさん。今頃、幸せな家庭を築いておられることを願ってやみません!
もっと他にも人生でどっちにするの?という選択を迫られた場面は多々あるのですが、今回は本当に人生を左右するほどの出来事を3つ書かせていただきました。
まあ、選択した反対側だったらどうなっていたかな?と妄想するくらいはいいですよね(;´∀`)
サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。