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手を取ることは難しい

文・ハネサエ(OTONAMIE)

人よりできることがうんと少ないのに、私にとって、誰かの助けを借りることはとっても難しい。そう気がついたのは3人目の子を産んで、1年と少しが経った頃だった。

心身の疲労が限界に達したのだろう。なにをするにも時間がかかるようになってしまい、ある日とうとう布団から出られなくなった。
食事を作るどころか食べることさえできなくなって、子どもたちの世話もままならなかった。ちょうど夏休みのど真ん中で、私はリビングに敷いた布団に転がったまま、騒ぐ子供たちをぼうっと眺めていた。
末っ子はまだ1歳で、ほんとうなら目を離せない時期。閉じそうになる瞼をどうにかこじ開けているのが精いっぱいだった。

どうにかしないといけない、と何度か受診したことがある内科を訪れて、着いたとたんに倒れて車いすで運ばれた。
でも、車いすで運ばれながらどこか安堵している自分もいた。
暗くて酸素の薄い、狭い狭い箱の中から外に出て、誰かに「助けてほしい」と手を伸ばせたことは、あまりに大きな一歩だった。
今まで、自分ひとりでなんとかすることしか考えたことがなかったんだ、とこの時初めて気がついた。

*

思えば就職活動のときもそうだった。
私が就職したのは2004年。就職活動は2003年のこと。
就職氷河期と言われる世代で、学校も就職支援にはどことなく消極的だった気がする。私は2年制大学に在学していて、多くの子が編入を勧められていたのを覚えている。
大学は行先のない学生をうみたくなかったのかもしれない。
いろんなところで就職氷河期という単語が散見されて、焦燥感ばかりがつのっていった。社会に出るにはどう考えても不十分で未完成な自分をいったい誰がほしいと思うのだろう。そんな不安がいつだって全身を覆っていた。

なのに、あの頃、私は誰にもそれを言えずにいた。
日記帳の中にだけわんわん弱音を書き連ねて、実態の分からない「社会」に怯えていた。
みんな頑張っているから頑張らないといけない。それはちっとも間違っていないのだけど、頑張るということは苦しいことで、こんなに苦しいんだから、自分はとても頑張っているんだと思っていた。

あれは就職課の先生に声をかけられたんだったろうか。きっかけをとんと覚えていないのだけど、ある日、就職課の先生に履歴書を見せる運びになった。
それまでも就職活動はしていたのだけど、就職課の先生と話したことはなく、就職活動ってたった一人で戦う、うんと孤独なものだと思っていた。

「まず、髪の毛を黒く染めなさい」
当たり前のことを言われた。
当たり前のことを、と思ったけれど鏡を見ると黒く染めたはずの私の髪の毛はいつの間にか脱色して、明るい茶色になっていた。就職活動において髪が黒くなくてはいけないかどうかについては今は置いておくけれど、当時それは就職するために服を着ていることと同じくらい重要なことだった。そんな当たり前のことさえ、すっかり視野が狭くなった私には見えなくなっていたらしい。
その後、就職課に何度か通い、履歴書を添削してもらい、最終的に私は就職に漕ぎつくのだけど、それまでの孤軍奮闘していた時間を思うと呆気ないほど一瞬のできごとだった。
手を伸ばせば誰かが一緒に考えてくれる、そういう場所が大学内にもあったのに気づけなかった。もしかすると気づこうとしていなかったのかもしれない。

*

話を冒頭に戻そう。
お医者さんのサポートと服薬、さらに託児所の利用を経て、私はゆっくりとだけれど、どうにか調子を取り戻すことができた。
思えばそのずっと前から抱えきれない日々のあれこれに、目が回るような乳幼児の育児に、うんと疲れ果てていたのに。何度も「もう無理」と思ったのに、誰にも言えなかった。
おそらくそれが「人に迷惑をかけること」だと思っていたからだろう。
そうして何年もかけてゆっくり降り積もった「もう無理」がいつの間にか心も体も壊してしまったのだった。

誰かに助けてほしいと手を伸ばすのは、私にとって、とても難しいらしい。あれから3年が経って、少しは上手になったような気でいるけれど、それでもやっぱり難しい。ふと気がつくと、「最後に笑ったのはいつだろう」と眉間の皺を伸ばすことのなんと多いことか。

以前、ライターの友人がもう何年も心療内科のお世話になっていると言っていた。
今はずいぶんと調子がよくなって月に1度の通院らしいのだけど、その都度最近のできごとや、今の心境なんかを主治医に話すらしい。主治医からはいい傾向ですね、とか、お薬を変えてみましょうか、とか、その都度お話があると言う。
その話を聞くたび、状況に応じたメンテナンスのようだな、と羨ましく思っている。彼女のように、伴走してくれる存在があることはきっと人生を少し丈夫にする。
足りない部分に鞭をうつのではなく、誰かに手を伸ばして補ってもらう、それは意外と簡単じゃない。

*

今回、この文章を書くにあたっていろんな就職支援の行政機関や施設の方に話を聞かせてもらった。共通して感じたのは支援をする機関も施設もたくさんあってそれは驚くほど充実しているということ。
転職を考えている人にも、働いたことがないけれど働きたい人にも、働きたいけれど一歩が踏み出せない人にも、働くことに対する不安を聞いてほしいだけの人にも、なんならそもそも働きたくない人だって、ちゃんとドアが開かれていた。もちろん、すべて無料で。
ただ、かなしいけれど、支援をする機関や施設が、一軒一軒ドアをノックして困っている人を探すことはできないのだ。
支援をする側は、支援を必要としている人を待つことしかできないのが現実でもある。

けれど、「困っています」、そのひと言の先には必ず、伴走してくれる存在がある。充実したサポートも、手厚いケアも、あたたかい職員さんも、全部あると知った。そのことは私にとっても、希望だった。
いつか助けを必要としたときに、いつか自分の大切な人が助けを必要としたときに、すっぽりと受け止めてくれる場所がちゃんとある。そう知れただけで、目の前の不確かな道がなんだか少し歩きやすいものに思えた。

例えば、1冊の小説が心のよりどころになるように、例えば、友人のひとりが心のよりどころになるように、例えば、主治医が心のよりどころになるように、例えば宗教が心のよりどころになるように、例えば絵を描くことが心のよりどころになるように、支援をする機関や施設も人生を伴走する存在になりうるのだと思った。

なにかに躓いていると感じたら、カジュアルに誰かを頼ったり行政の力を借りられる社会がいいなと思う。
「困っています」と言うことは誰かに迷惑をかけることとイコールではないのだから。

*

ひとりで生きられるほど世界は平坦ではないけれど、手を伸ばす先があるくらいには社会の仕組みはあたたかい。
誰もが頑張らずに平坦な道を歩ける世界になれば最高だけれど、そうなるにはまだもう少し時間がかかりそう。

伴走者はいるだろうか。
1冊の本と出会うように、手を取る先がみんなに等しくあればいい。

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