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近況(一級建築士試験というボス)

お久しぶりです。
二週間程、更新に間が開いてしまいました。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
この二週間の間にも、東京のコロナ感染者数の急増や、昨年に続く豪雨による甚大な被害といった暗いニュースが目につく様な気がします。

Go To キャンペーンの開催も批判をよんでいて、巷では『Go To Hellキャンペーン』などと揶揄されているますね。

日本の状況が好転することを祈るばかりです。

私の方はと言いますと、先日一級建築士の学科試験を受けて来ました。
コロナ渦で開催さえ危ぶまれた状況でしたが、無事何もなく試験を受け終えた事に、一安心しています。

結果の方ですが、何とか、学科試験を突破することが出来ました。

お祝いの声が聞こえた様な気がしたので、お礼の言葉を言わせてください。笑

ありがとうございます!

まだ10月に製図試験というラスボスがいるので、今からまた大変ですが、とりあえずは表面のボスは倒したという感じでしょうか。

ちなみに、一級建築士の合格率はと言うと、

例年 学科:18%前後   製図:40%前後 となっています。


さて、このアカウントは建築関係の話はあまりしない方向性ではありますが、せっかくの機会なので今までの自分の進路と合わせて軽く触れておきたいと思います。

グッゲンハイム美術館

建築という分野に進もうと考えたのは、高校三年の部活を辞めてからでした。

僕はテニス部に所属していたのですが、高校の記憶というのはほぼ部活の記憶になります。

休みは月曜日の一日だけでしたし、休日も朝の6時の起床から帰宅の20時過ぎまでは部活に拘束されていたので、他の事に打ち込む暇はありませんでした。

辞めるという表現を使った通り、僕は引退より二か月程前に部活を自主退部しました。

ある程度一つの組織(部活)の中で過ごしたという感覚もありましたし、当時は受験以外にバイトもやってみたいという気持ちがあったので、中途半端な時期ではありましたが後悔はなかったです。

高校三年生の頃の僕はと言うと、進路なんていうものには全く興味がない世間知らずの鼻垂れ小僧でした。

医者、弁護士、公務員、銀行員、広告、出版など、どの職業を見てもピンとしません。

そこで僕が取った行動が、世の中にある職業一覧をプリントして、特にやりたくない職業には斜線を引いていくという消去法です。

大変な作業に思えますが、とても簡単です。
なぜなら当時の僕は、あらゆるものに対して知識がたりなかったため、その職業の魅力も分からずに、調べようともせずにただ単に斜線を上から順番に引いていく作業だったからです。

そして、そこで残ったのが建築と教員でした。

早い話が、自分の頭の出来では、仕事内容まである程度具体的に想像ができ、

かつ 「まあやってもいいかな」 と上から目線で判断できたのがこの二つの職種しかなかったのです。

当時の自分の知見のなさ、人間としての魅力のなさにほとほとため息がでます。

まぁ、大した話ではなくそれが僕が建築の分野に進んだ理由となります。

高校卒業から10年以上たった今では、他にやりたい事が山の様にありますし、それに対して10代の頃から取り組んでいればと後悔の念が尽きません。

つまるところは、建築という仕事は僕のやりたいことではなく、成り行きで行きついてしまった職業なのです。

なので、今高校生や中学生で、例えば将来小説家になりたいと決め、毎日それに向かって進んでいる人などを見ると、眩しすぎて目が開けられません。

本人がどう思っていようと、今の僕から見ればティーンエイジャーというのは本当に輝いていますし、誰もが使っている言葉で陳腐な表現でまとめれば、
「無限の可能性」を持っています。

彼らに比べれば、アラサーの可能性なんて言うものは1/5、いや1/10程度かもしれません。

__まあ、

過ぎてしまったことを後悔しても仕方ないですね。
過去は変わらないし、自分の能力が上がる事もないのです。

「これから」 が、

やっぱり、重要ですよね。

10年後、アラフォーになった僕が、アラサーの人たちを眩しく見えない様に、その為の10年を過ごしていきたいと思います。

PS  
受験時代の話、大学時代の話は少し面白いので、またの機会に話しますね。
僕は二浪、2留年、1休学をした人生のビハインド王なのです。


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