ひつじ雲

旅立ちが近い方のケアをさせていただいております。看護師です。仲間たちと、にぎやかに慌た…

ひつじ雲

旅立ちが近い方のケアをさせていただいております。看護師です。仲間たちと、にぎやかに慌ただしく、ブラックなジョークも飛ばしながら。時にしんみり。読んでくださった方、ほんとうにありがとう。 実際の状況とは部分的に変え、お伝えしています。

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「死に目に会いたい」

よく聞く言葉である。 しかし、これはなかなかそうもいかない。 時に神様らしき存在が、最高にうまくリードしてくれることもあるが、たいていはその瞬間まで右往左往するものだ。本人ではない。家族が…。 訪問看護をしていた頃のこと。 Kさんは、すでに余命長くない方だった。独居にはもったいないような立派なお家だったけれど、どこもかしこも何もかもが、硬く冷たく妙に寒いのだ。「階段あがって手前の部屋なんか怖くない?」などと看護師の間でもよく話にあがった。冬服を出すとかしまうとか、風通しなど

    • ご飯が食べられなくなったら

      ご飯が食べられなくなったらもういいよ。 管に繋がれてまで生きたくないよ。 多くの方がおっしゃっていた。 なのにこれまたむずかしいわけで…。 飲み込むことができなくとも、胃から下がまだ少しは元気なら、栄養剤を流すために鼻から管を胃まで通す。 胃瘻をつくる。などの選択肢がある。 それが困難でも、血管からしばらくは栄養や水分を送る方法がある。 だが、本人が意思を伝えられないことも多い。家族が決めなければならないのだ。 これは重い決断で、何をどう選んでも、それが正しかったのかと

      • Aさんの友だち

        比較的、日常生活動作は保たれていたAさんは、職員の目を盗んでカラスに餌付けを試みていた。 従業員が雨を凌ぐためのトタン屋根が、 Aさんの部屋から見下ろせる。そう離れていない。その屋根にカラスはやってくる。なぜなら、Aさんが病院食のパンや自前の菓子などを投げるからだ。 何度も注意を受けるが、あいつは俺の口笛を理解しているのだとか、俺が窓に見えると鳴くのだと話をすりかえ、誇らし気ですらある。 「そりゃエサやったら来ますよ、動物なんだから。Aさん聞いてます?全然聞いてないなこりゃ

        • 感染症のさなかに

          Aさんは、ちょっと大変な方だった。 入院時から酸素ボンベを手放さず、眠るときは無呼吸予防の機器を装着していた。「これは私の命綱。丁寧に扱ってちょうだい」対応が悪い職員には長いお説教。と、いう顛末の、ご本人からの報告もまた長く、なかなか解放してもらえない。 「薬局からお電話です〜」「ドクターから急ぎの指示です〜」と、適当な理由で救出したりされたりすることもよくあった。 さて、Aさんは世を騒がせた流行り病にかかってしまった。 著名人の命も奪ったファーストインパクトは忘れがたい。

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        「死に目に会いたい」

          「死に目に会いたい 」2

          前述のとおり、これはなかなかそうもいかず… かつてのAさんは、おむつを外しては投げたりと、何しろ元気いっぱいの方だった。月日とともに傾眠的になり、ケアをさせてもらいながら、やんちゃぶりを思い出しては口々に懐かしんだものだ。時々「やめろやー」「母ちゃあーん」と、いきなり大声をあげ、職員を喜ばせた。 DNAR(Do Not Attempt Resuscitation) =心肺蘇生をしない方針に同意を得ていたが、しかし、やはり死に目に会いたいとご家族が希望され、すでに何回か呼ばれ

          「死に目に会いたい 」2

          父と、桜と

          寒さが押しては返す。 ぼんやり霞がかった空、ぽわんとした陽気に油断していたら雪の予報だ。 ずっと前のことだが、父が余命を宣告されたのは、ちょうど今頃だった。 私は実家を出たばかりだったと思うが、なぜその時そういう成り行きだったのかは覚えていない。 父を助手席に乗せ、数キロ先の湖まで運転したことがある。 私のことをいつまでも小さい子どもだと思っていた父は、「とまれ、とまれっ」「信号信号信号」と気が休まらないようだったし、私も私で「うるさいうるさい」「わかってるよ」と不機嫌に

          父と、桜と

          街の坩堝へ

          マツコさんと村上さんの、「月曜から夜ふかし」がすきだ。 街なかにふつうにいる人々の、底なしの変人ぶりを垣間見ることができる。 奇妙キテレツな人があちこちに生息している、街は坩堝だ。ふところが深い。 そんな皆さんが、ある日ある時、各所からポッと入院してくるのだから、「いろんな人がいるよね〜」となる。 食事も内服も、睡眠も排泄も、人それぞれ。いかにも、予想を超えた事件もおきるわけだ。 私たちの仕事は詰まるところ、なるべくその人に合った方法を見つけることだ。安全に快適にそれらが営

          街の坩堝へ

          偲ぶ

          親を見送るのとはまた違い、子の介護や看取りをする方もおられる。 難病、外傷、自死の失敗など様々だ。何年たっても受け容れることができないという親御さんに、そんなことはとうていできないままでも仕方がないとしか、伝えることができない。 再生医療の未来に期待を寄せる家族は多い。ゆえに、1日でも長くと希望にすがる。一方で、現段階では元通りにはならないことも多い。 私自身、同じ苦しみに耐えられるか、まったく自信がない。 若くして病に倒れたAさん。お母さまと新妻さんが、なんというか、日

          一日をすすめる

          大事な人をなくしたこと、生活の中で受けとめ、受け入れ、一日、一日をなんとかすすめていく。 心穏やかに思い出せる日もあれば、やたら心が塞ぐときも。 肉体があるせいでお腹はすくし、なれば財布を握り買い物も必要だ。風呂に入らねば不快である。 そうして、ただ生活を重ねているうち、いつしかなくした相手の年齢に並んだり、追い越したり、年号が変わったりして嗚呼…と思うなどする。 その人が残したものは、生活とともに、自分のなかで生きている。 いつしか自分も、誰かに何かを残して旅立つ側になる

          一日をすすめる

          「何があっても驚かない」

          日本では、親は子がみるものという根強い観念がある。 ひとつの信念か、信仰にも似たものか、感謝の念か。自分との約束みたいなものかも知れない。 すばらしいことだが、いざとなったらプロを頼ってもよい。 入院担当をさせていただいたAさんは、すでに寝たきりの状態だった。口だけは威勢がよく、何をするにも「ヤメロー」「バカヤロー」「コノヤロー」と罵声が飛んでくる。器用に唾を飛ばして威嚇もしてくる。ずいぶんお行儀がよろしい。 「すみません、こんな父で、ほんとうにお世話になります」付き添いの

          「何があっても驚かない」