父と、桜と
寒さが押しては返す。
ぼんやり霞がかった空、ぽわんとした陽気に油断していたら雪の予報だ。
ずっと前のことだが、父が余命を宣告されたのは、ちょうど今頃だった。
私は実家を出たばかりだったと思うが、なぜその時そういう成り行きだったのかは覚えていない。
父を助手席に乗せ、数キロ先の湖まで運転したことがある。
私のことをいつまでも小さい子どもだと思っていた父は、「とまれ、とまれっ」「信号信号信号」と気が休まらないようだったし、私も私で「うるさいうるさい」「わかってるよ」と不機嫌になり、あまり穏やかなドライブではなかった。
あいにくの空模様。墨色をした湖を囲むように、桜が咲いていた。
白い花びらがちらちらと舞い落ち、濡れた道路にたくさんはりついていた。
すこし離れて見ると、すっかり痩せて小さくなった父が妙に絵になったのを覚えている。
ものすごく良く言えば小さめの和製ショーン・コネリーのようで(賛同は得られたことがないが)、病のせいで骨格が浮き出て、うすい髪やちょび髭が真っ白になり、いっそう欧米のおじさまみたいだった。
来年の今ごろ、桜がまた咲いて、父はいない。間違いないことで、ふしぎなことだとも感じた。何が父の命をとっていくのだろうと、そんなようなことも思った。
父は肩で息をして、すぐに歩みを止めてしまった。そのあと家路まで何を思ったか、家に帰ってどんな話をしたろうか。
父がこの世を旅立ってから、まだまだ青臭かった小娘の人生には難解なことが続いて、生きていたら父を深く悲しませただろう。怒ったかも。
今はもう、かなり遠くまで運転できるし、社交辞令もそつなくやれる。いろいろあって看護師になった。子どもをひとりで育ててきたこと。父が知ったらどれも驚くに違いない。そして、やっぱり心配させてしまう。
そろそろ寒さにも疲れた。
ことさらに春はあわただしく短いが、今年はゆっくりと待ちたい。