Aさんの友だち

比較的、日常生活動作は保たれていたAさんは、職員の目を盗んでカラスに餌付けを試みていた。
従業員が雨を凌ぐためのトタン屋根が、
Aさんの部屋から見下ろせる。そう離れていない。その屋根にカラスはやってくる。なぜなら、Aさんが病院食のパンや自前の菓子などを投げるからだ。

何度も注意を受けるが、あいつは俺の口笛を理解しているのだとか、俺が窓に見えると鳴くのだと話をすりかえ、誇らし気ですらある。
「そりゃエサやったら来ますよ、動物なんだから。Aさん聞いてます?全然聞いてないなこりゃ」主治医も苦笑い。
カラスとの交流は、Aさんに深い喜びをもたらしていた。

Aさんに家族はない。キーパーソンは役所の担当者だ。高齢のお母さまと長く一緒にいたそうだが、亡くなられたとのこと。さみしいね。
「いやホッとしたよ、大変だもん実際。どっこも行けねえしさ」いやいや、賭け事には足繁く通われ、お酒のプールにもずいぶん浸かったとの情報である。
遠慮のない年配のヘルパーには、「おかあちゃんにだいぶ迷惑かけたんじゃないの?いい年の息子がしっかりしなさい」などと叱られ、ニヤニヤしていた。

餌付け防止策として部屋移動があるにはある。様々な理由で日々、ベッドチェンジを考案するのだが、これがなかなか悩ましいのだ。
重症者はナースステーション近くに、盗癖があるのでナースステーション近くに、頻コールもナースステーション近く、トイレへ行く方はトイレ近く、寒がり同士は同じ部屋に、クリアな方は静かな人たちの中に、言動の不安定な方は廊下側に、寂しがりやも廊下側に、人によっては環境変化が事故の元、などなど…
クセ強が多い中、うまい部屋移動が実行できず、粛々と続くAさんとカラスの日常。
しかし、Aさんもあの感染症にかかってしまったのだ。
隔離期間が過ぎても換気は不良で、酸素を切ることができない。長年のタバコが影響しただろう。食事もとれなくなって、餌付けという名の交流は終わった。カラスとて「急にどうした」と思ったろう。

Aさんが旅立たれた、その明け方、アア、アア、と鳴き声が少し遠くから聞こえた。
あのカラスか、その一族か、ただのカラスか…
お母さん代わりのようだったヘルパーさんが、Aさんに声をかける。
「ほれ、お友だちがお別れに来てくれたよ」

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